【結論】坂本花織はトリプルアクセルを試合で成功させたのか?
最初に、練習での着氷と競技会での成功を区別しておきたい。
坂本のトリプルアクセルには、次の3つの段階があった。
- 練習段階: 回転不足ながら着氷できることがあった。
- 成功目前の段階: 2019年、2025年には本人が回転や跳び上がり方の改善を実感していた。
- 公式戦: トリプルアクセルを完全に成功させた記録は確認できない。
特に重要なのが、2017年のインタビューと2019年の強化合宿後の発言だ。
2017年6月、スポーツナビのインタビューで、当時17歳だった坂本はフリーにトリプルアクセルを組み込む構想を明かしている。
回転不足なんですけど、降りることはできていて
さらに、本人は「絶対に跳びたい」という強い意欲も示していた。
当時は回転不足で着氷するか、回転が足りても転倒するかという状態だった。つまり、ジャンプそのものに挑戦する能力はあったものの、試合で得点につながる完成度には届いていなかったのである。
2019年には成功率の低さが課題に
2019年7月のweb Sportivaの取材では、坂本はトリプルアクセルについて、タイミングが合えば回り切るところまでいくものの、そのタイミングを合わせることが難しいと説明している。
本人が挙げた課題は、主に次の2つだった。
1. ジャンプの高さをさらに出すこと。
2. 空中での回転速度を上げること。
高さと回転速度のどちらを優先するかについても、本人は試行錯誤していた。
これは単に練習量を増やせば解決する問題ではなかった。ジャンプの跳び上がり方と空中姿勢を調整し、回転を完成させるタイミングを安定させる必要があった。
2025年の本人の発言が示した決定的な事実
2025年12月22日、全日本選手権後の取材で、坂本は同年9月の木下グループ杯直前までトリプルアクセルを練習していたと明かした。
本人によれば、これまでで最も惜しいところまで到達していたという。
この発言によって、2019年に一度挑戦しただけで終わったわけではなく、2025年まで技術的な可能性を追求していたことが分かった。
ただし、本人が語った「惜しいところ」は、完全な3回転半を試合で成功させたという意味ではない。回転不足でも着氷できる状態だったことを示している。
したがって、坂本花織のトリプルアクセルは「練習では成功に迫ったが、公式戦での成功には至らなかった」というのが正確な整理である。
【挑戦の経緯】2015年の負傷から2017年のシニアデビューへ
坂本花織のトリプルアクセル挑戦を理解するには、ジュニア時代までさかのぼる必要がある。
坂本は2000年4月9日、兵庫県神戸市生まれ。4歳でスケートを始め、力強いスケーティングとダイナミックなジャンプを武器に成長した。ISUの選手プロフィールにも、出身地や競技開始年が記録されている。
ジュニア時代から取り組んでいた大技
2016年12月の神戸新聞の報道によると、坂本はジュニア時代からトリプルアクセルに挑戦していた。
2015年から練習を重ね、もう少しで成功できそうな手応えを得ていた時期もあった。
ところが、2015-16シーズンに右すねの疲労骨折を経験する。
長期間リンクに立てない時期があり、ジャンプの練習も中断せざるを得なかった。
この負傷は、トリプルアクセルへの挑戦に影響した転換点だった。
坂本はジャンプだけに頼らない選手へと成長するため、陸上での走り込みや水泳による体幹強化、バレエを通じた身体表現の改善にも取り組んでいった。
2017年、17歳で再び挑戦
2017年6月のスポーツナビのインタビューでは、翌シーズンのフリーにトリプルアクセルを組み込む構想を語っている。
当時の坂本にとって、この大技は単なる得点アップの手段ではなかった。
身近な先輩たちが跳んできた大技であり、自分自身も習得したいと考えていたジャンプだった。
2017-18シーズンは平昌オリンピックを目指す重要な時期でもあった。
実際、坂本は平昌五輪の代表に選ばれ、17歳で初めてオリンピックに出場することになる。
ただし、オリンピック出場を実現したからといって、トリプルアクセルも完成したわけではなかった。
この時点で既に、坂本の競技人生には「高難度ジャンプの習得」と「試合で確実に結果を残す」という2つの課題が存在していた。
【2019年の転換点】げんさんサマーカップでトリプルアクセルを見送った理由
2019年8月11日・12日/滋賀県立アイスアリーナ
2019年は坂本にとって、トリプルアクセルの習得を本格的に再開した重要なシーズンだった。
2018年の全日本選手権女王となり、2019年3月の世界選手権では5位。さらに上を目指すため、世界のトップ選手と戦うための技術強化に取り組んでいた。
その一環がトリプルアクセルだった。
げんさんサマーカップ2019で何が起きた?
2019年8月11日、坂本はシーズン初戦となるげんさんサマーカップのショートプログラムに出場した。
新プログラム「No Roots」で臨んだものの、ジャンプのミスが重なり、58.62点で6位となった。
冒頭の3回転コンビネーションで着氷が乱れ、得意の3回転ループでも転倒した。
試合後、坂本は久しぶりの競技会で緊張し、足が震えたことを振り返っている。
そして、翌日のフリーでは、練習中だったトリプルアクセルを跳ばない方針を示した。
当時の報道では、本人が成功率の低さを理由に、いったん見送る意向を明かしている。
ここで注目したいのは、トリプルアクセルを跳べなかったからではなく、試合で成功させる確率が十分ではなかったという点だ。
練習で何度か着氷できても、競技会では緊張やプログラム全体の流れが加わる。
ジャンプ単体の完成度だけではなく、演技全体を成立させる必要がある。
坂本はその現実を理解したうえで、フリーでは自分が持っている技術を優先する判断をした。
2019年7月の取材で見えた技術的な壁
web Sportivaの2019年7月20日付の記事には、坂本自身がジャンプの課題を具体的に語った内容が掲載されている。
当時の発言から見える課題は以下のとおりだ。
| 技術的な課題 | 当時の状況 |
|---|---|
| 回転速度 | 空中での回転が遅いと自覚 |
| ジャンプの高さ | さらに高さを出す必要性を認識 |
| タイミング | 回転し切れるタイミングを合わせることが難しい |
| 成功率 | 本人が非常に低いと説明 |
| 試合への導入 | 国内大会での投入も指導者と相談する段階 |
この時期の坂本の挑戦は、技術面でも競技戦略の面でも、まだ発展途上だった。
【2025年の練習内容】木下グループ杯直前まで挑戦していた事実
坂本花織のトリプルアクセルをめぐる話題が再び大きくなったのが、2025年12月の全日本選手権後だった。
坂本は2025年9月の木下グループ杯直前まで、トリプルアクセルを練習していたことを明かした。
注目すべきなのは、本人が「今までで一番惜しいところまでいっていた」と振り返ったことだ。
三宅咲稀の言葉が自信につながった
同じ練習拠点でトレーニングしていたのが、三宅咲稀だ。
三宅はトリプルアクセルに取り組んでいた選手であり、坂本の練習も身近で見ていた。
2025年12月のデイリースポーツの取材で、坂本は三宅から跳び上がり方が変わり、成功できそうだと声をかけられたエピソードを紹介している。
坂本自身も、その言葉を受けて成功への期待を強くしたという。
しかし、最終的には完全な成功には届かなかった。
このエピソードは、単に「練習していた」という話よりも重要だ。
長年課題だったジャンプの跳び上がり方に改善が見られ、周囲の選手も変化を感じ取っていたのである。
木下グループ杯2025の公式記録とダブルアクセル
2025年9月5~7日に大阪の関空アイスアリーナで開催された木下グループ杯。
坂本は女子シングルで総合2位となり、合計203.64点を獲得した。
日本スケート連盟の大会記録とISUの公式プロトコルを確認すると、実際の演技構成にはダブルアクセルが組み込まれていた。
フリーでは冒頭の2Aに加え、後半にも2A+3T+2Tのコンビネーションを入れている。
一方、3Aは構成に含まれていない。
| 項目 | 木下グループ杯2025の記録 |
|---|---|
| 開催期間 | 2025年9月4~7日 |
| 坂本のSP | 65.25点・4位 |
| 坂本のFS | 138.39点・2位 |
| 総合成績 | 203.64点・2位 |
| 主なジャンプ | 2A、3F、3Lz+2T、2A+3T+2Tなど |
| トリプルアクセル | 公式プロトコルに記載なし |
ここから読み取れるのは、練習で大技に挑戦しながらも、競技会では完成度の高いジャンプ構成を選択していたということだ。
三宅咲稀も同大会でトリプルアクセルに挑戦
同じ木下グループ杯では、三宅咲稀も注目を集めた。
スポーツニッポンによれば、9月6日の公式練習で三宅はトリプルアクセルを着氷した。
ただし、実際のフリーの公式プロトコルでは、冒頭の3Aに「q」と転倒を示す記録が付いている。
つまり、練習での着氷と試合での完全な成功には違いがある。
この点は坂本のケースを考えるうえでも重要だ。練習で成功に近づいていることと、試合で安定して得点化できることは別の問題なのである。
坂本のダブルアクセルはなぜ重要だったのか
ダブルアクセルは2回転半のジャンプであり、トリプルアクセルは3回転半のジャンプだ。
両者の差は空中での回転数だけではない。
試合では、着氷後の流れ、ジャンプの質、プログラム全体の構成まで含めて評価される。
2025年の木下グループ杯の公式プロトコルでは、坂本のフリー冒頭のダブルアクセルにプラス1.52の出来栄え点(GOE)が付いている。
さらに、2A+3T+2Tのコンビネーションでも得点を積み重ねていた。
つまり、坂本にとってダブルアクセルは単なる代替ジャンプではなく、完成度の高い演技を構築するための重要な武器だった。
【跳ばない理由を分析】ブノワ・リショーと指導体制、坂本独自の戦略
坂本花織がトリプルアクセルを試合で跳ばなかった理由は、単純に技術が足りなかったからという説明だけでは不十分だ。
本人の発言と競技記録からは、少なくとも3つの要素が見えてくる。
理由1:練習での着氷と試合での成功率には差があった
2019年には成功率が低いことを本人が認め、げんさんサマーカップのフリーでは投入を見送った。
2025年にも、回転不足なら立てるところまで到達していたものの、完全な成功には届かなかった。
フィギュアスケートでは、回転不足のジャンプは技術判定で評価が変わる。
ISUの採点では、必要な回転に対して4分の1回転を超え、2分の1回転未満の不足がある場合、「アンダーローテーション」として判定される。
プロトコルでは「<」の記号が使われ、基礎点が減点される。
さらに、転倒すれば転倒による減点も発生する。
そのため、練習で着氷できる状態であっても、試合で安定した得点源にするには別の水準の完成度が必要となる。
理由2:自分の得意なジャンプ構成を完成させる方が合理的だった
坂本の強みは、ジャンプの高さと飛距離だけではない。
スピードに乗った滑り、力強いエッジワーク、ジャンプの着氷後の流れ、演技全体の表現力が評価されてきた。
高難度ジャンプを追加することによって、ほかのジャンプや演技構成の安定性が損なわれるのであれば、必ずしも得策とはいえない。
2025年12月、全日本選手権で5連覇を達成した後、坂本は自分の戦い方を貫いたことについて、次のように話している。
これが自分のやり方だから別にいいじゃないかと思った
この言葉には、他の選手と同じ高難度ジャンプを追い続けるのではなく、自分の持ち味で勝負するという競技哲学が表れている。
理由3:引退を見据えた最終シーズンだった
坂本は2025年6月20日、神戸市内のアイスリンクのオープニングイベントで、2025-26シーズン限りでの引退を表明した。
スポニチの取材では、引退の決断について、以前から考えを固めていたことも明かしている。
2026年のミラノ・コルティナ五輪を集大成と位置づけ、その後の世界選手権までを見据えた競技生活だった。
この状況で、完成度が十分でない大技を試合に投入することには慎重にならざるを得ない。
ただし、引退がトリプルアクセルをやめた直接の理由だったと本人が明言したわけではない。
むしろ、2025年9月の木下グループ杯直前まで練習していたという事実からは、引退を決めた後も技術的な挑戦を続けていたことが分かる。
ブノワ・リショーは坂本のコーチだったのか?
ここで、指導体制についても整理しておきたい。
坂本花織の関係者として検索されるブノワ・リショーは、フランスの振付師として知られる人物だ。
ISUの公式選手プロフィールでは、坂本のコーチと振付師は次のように区別されている。
| 人物 | ISU公式プロフィール上の役割 |
|---|---|
| 中野園子 | コーチ |
| グレアム美津子 | コーチ |
| 川越雅弘 | コーチ |
| ブノワ・リショー | 振付師 |
| マリー=フランス・デュブレイユ | 振付師 |
ブノワ・リショーは坂本のプログラム制作に関わってきた重要人物だが、公式プロフィール上ではコーチではなく振付師として登録されている。
この区別は重要だ。
トリプルアクセルの技術指導を誰が担当したのかという問題と、プログラムの振付を誰が担当したのかという問題は別だからである。
坂本の競技人生を支えた指導者として、長年のコーチである中野園子とグレアム美津子の存在も欠かせない。
【2026年引退】世界選手権4度目の優勝で完成した坂本花織の競技人生
2026年3月、坂本花織は現役最後の大会となる世界選手権に出場した。
舞台はチェコのプラハ。
すでに引退を表明していた坂本にとって、これが競技スケートの最後の大舞台だった。
2026年3月27日、4度目の世界女王に
坂本はショートプログラム、フリーの両方で1位となり、合計238.28点を記録した。
フリーの158.97点は自己ベスト。
世界選手権女子シングルで4度目の優勝を果たし、浅田真央の3度を上回る日本女子史上最多のタイトル数となった。
ISUの公式記録によると、優勝した年は以下のとおりだ。
- 2022年
- 2023年
- 2024年
- 2026年
3連覇の後にもう一度頂点に立ったことは、坂本の競技人生を象徴する成果となった。
最後の演技でもトリプルアクセルは必要なかった
ISUの大会レポートによれば、坂本は現役最後のフリーで7本のトリプルジャンプと難しいスピンを成功させた。
演技に使用したのは、エディット・ピアフの楽曲を中心としたプログラムだった。
最後に流れた曲は「Non, je ne regrette rien」。
日本語では「いいえ、私は何も後悔していない」という意味を持つ。
ISUの公式レポートでは、坂本が演技後に、後悔なくこの演技で競技生活に別れを告げられるという趣旨の言葉を残している。
ここで改めて考えたいのが、トリプルアクセルの存在だ。
2017年には絶対に跳びたいと語り、2019年には本格的な習得を目指し、2025年にも成功に近づいていた。
それでも最後の世界選手権では、トリプルアクセルを組み込まずに優勝した。
これは大技への挑戦が無意味だったという話ではない。
挑戦を続けたうえで、自分が最も高いパフォーマンスを発揮できる構成を選んだ結果だ。
2026年5月、正式な引退会見を実施
所属先のシスメックスは、2026年5月13日に神戸市内で坂本の引退会見を開催した。
坂本は会見で、21年4か月に及んだスケート人生を振り返り、今後は生まれ育った神戸で子どもたちにスケートの楽しさを伝えるコーチを目指す考えを示した。
現役選手としての活動は終了したが、フィギュアスケートとの関わりは続いていく。
かつてトリプルアクセルの習得に苦労した経験は、今後指導者として若い選手を育てる際にも生きる可能性がある。
【プロの結論】坂本花織がトリプルアクセルを跳ばずに勝ち続けられた本当の理由
坂本花織のトリプルアクセルをめぐる話題で、最も大切なのは「跳べなかった選手」という見方をしないことだ。
彼女はジュニア時代から大技に挑戦し、負傷による中断を経験しながらも、2017年、2019年、2025年と挑戦を続けた。
2025年には、本人がこれまでで最も成功に近づいたと振り返るほどの進歩があった。
しかし、フィギュアスケートの勝負はジャンプの難易度だけで決まるわけではない。
評価されるのは、ジャンプの質、プログラム全体の完成度、スケーティング、表現力を合わせた総合的な演技だ。
坂本は自分の得意なジャンプを磨き、スピードと流れを生かした演技を完成させてきた。
その結果が、世界選手権4度の優勝という実績につながった。
今回の経緯から、フィギュアスケートを見る際には次の3点を判断基準にするとよい。
1. 練習での成功と公式戦での成功を区別する。 着氷したように見えても、回転不足や転倒があれば評価は異なる。
2. ジャンプの難易度だけで選手の実力を判断しない。 安定したジャンプと質の高いスケーティングも大きな武器になる。
3. 技術的な挑戦と競技戦略を分けて考える。 練習で挑戦することと、勝負の場で採用することは必ずしも一致しない。
坂本花織は、トリプルアクセルを完成させて引退した選手ではない。
むしろ、完成しなかった大技への挑戦を続けながら、自分自身の戦い方を確立し、最後まで世界の頂点を争った選手なのである。
【坂本花織のトリプルアクセル】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:坂本花織はトリプルアクセルを成功させたことがありますか?
A1:練習では回転不足ながら着氷できる段階に到達していましたが、公式戦で完全に成功させた記録は確認されていません。
Q2:坂本花織がトリプルアクセルの練習を始めたのはいつですか?
A2:ジュニア時代から取り組んでいました。2015-16シーズンの右すねの疲労骨折による中断を経て、2019年に本格的な練習を再開しました。
Q3:坂本花織がトリプルアクセルを跳ばなかった理由は何ですか?
A3:本人の2019年の発言では成功率が低かったことが理由として挙げられています。試合では完成度の高いジャンプ構成を優先していました。
Q4:2025年の木下グループ杯直前まで練習していたのは本当ですか?
A4:本当です。2025年12月22日の取材で、坂本本人が9月の木下グループ杯直前まで練習していたと明かしました。
Q5:三宅咲稀と坂本花織のトリプルアクセルにはどんな関係がありますか?
A5:三宅は同じ練習拠点でトリプルアクセルに取り組んでいた選手です。坂本は三宅から跳び上がり方の改善を指摘され、成功への手応えを強めたエピソードを明かしています。
Q6:坂本花織は2026年に引退したのですか?
A6:はい。2026年3月の世界選手権を現役最後の大会とし、4度目の優勝を達成しました。同年5月13日に神戸市内で引退会見を行い、今後は指導者を目指す意向を示しました。
Q7:坂本花織の世界選手権優勝回数は何回ですか?
A7:2022年、2023年、2024年、2026年の合計4回です。日本女子シングルでは史上最多の優勝回数となっています。
まとめ:坂本花織のトリプルアクセル挑戦が残したもの
坂本花織のトリプルアクセルは、公式戦での成功には至らなかった。しかし、その挑戦の歴史には、彼女の競技者としての成長が刻まれている。
2017年には17歳で習得への強い意欲を示し、2019年には世界のトップで戦うために本格的な練習を再開。2025年には、木下グループ杯直前まで挑戦を続け、本人が成功に最も近づいたと感じる段階に到達していた。
それでも、試合ではダブルアクセルをはじめとする完成度の高いジャンプ構成を選択した。
そして2026年3月、世界選手権で4度目の優勝を達成。現役最後の演技を自己ベストの238.28点で締めくくった。
坂本花織の最大の功績は、トリプルアクセルを跳べたかどうかだけでは測れない。
大技を追い求める向上心と、自分の強みを見極める冷静さ。その両方を持ち合わせていたからこそ、長年にわたって世界の第一線で戦うことができた。
今後は指導者として神戸から新しい選手を育てる道を目指す。自らが経験した挑戦と挫折、そして勝つための技術と判断力が、次世代のフィギュアスケーターに受け継がれていくことにも期待したい。 (出典: 坂本 花織 トリプル アクセル(Yahoo!ニュース))