DJ KOOの若い頃はロック少年!19歳のDJデビューからTRF結成、2026年の現在まで徹底解剖
TRFのDJとして知られ、バラエティー番組でも明るいキャラクターで親しまれているDJ KOO。金髪のロングヘアやサングラス、パワフルなパフォーマンスが印象的だが、若い頃は現在とはかなり違う姿をしていた。実は、少年時代から洋楽ロックに夢中になり、ギタリストを目指していた音楽好きだったのである。
1961年生まれのDJ KOOは、高校時代に日体大柏高校(当時の柏日体高校)のラグビー部で3年間を過ごし、卒業後はディスコの世界へ。18歳頃にDJを志し、19歳頃には仕事として報酬を得るようになった。その後、1986年のTHE JG's結成、1992年の小室哲哉との出会い、TRFへの参加を経て、日本のダンスミュージックシーンを代表する存在になった。2025年にはDJ活動45周年を迎え、2026年も精力的に活動している。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 若い頃の音楽遍歴:沢田研二やローリング・ストーンズに影響を受けたロック少年で、当初はギタリスト志望だった。
- 高校・DJ時代:日体大柏高校のラグビー部で鍛えられ、高校卒業後にディスコで見習いDJを始めた。
- 音楽キャリア:1986年にTHE JG'sを結成し、1992年に小室哲哉と出会ってTRFの活動へ進んだ。
- 2026年現在:65歳。2025年のDJ活動45周年を経て、音楽やイベント、幅広いコラボレーションを続けている。
【少年時代】DJ KOOの若い頃は意外にも本格派のロック少年だった
沢田研二とザ・タイガースが音楽の原点
DJ KOOは1961年8月8日生まれ、東京都出身。本名は高瀬浩一として知られている。
幼少期から音楽が身近にある環境で育った。テレビ朝日POSTのインタビューによると、母親が営んでいたスナックではいつも音楽が流れており、家には使われなくなったレコードもたくさんあったという。
小学生の頃に夢中になったのが、ジュリーこと沢田研二だった。ザ・タイガースの音楽を通じて洋楽に興味を持ち、ローリング・ストーンズやビートルズ、ピンク・フロイドなどを聴くようになる。
さらに中学生になると、音楽の趣味はハードロックへと傾いていった。
POPEYE Webの2023年のインタビューでは、同級生が当時の歌謡曲を聴くなか、自分はディープ・パープルやブラック・サバスを好んで聴いていたと振り返っている。周囲とは少し違う音楽趣味を持つ、筋金入りのロック好きだった。
ギタリストを目指してバンド活動
ロックに夢中になったDJ KOOは、音楽を聴くだけでは満足できず、自らギターを弾くようになる。
中学生の頃にはギターとアンプを購入し、友人とツインギターのユニットを組んで練習。高校時代もバンド活動を続け、文化祭ではほかのバンドとの共演も経験した。
当時の目標はDJではなく、プロのギタリストとして音楽で生活することだった。しかし、コンテストに出場しても思うような結果が出ず、卒業が近づくにつれてプロへの道の厳しさを感じるようになった。
この挫折が、後にDJ KOOという新しい表現者が生まれるきっかけになった。
「これじゃあギターで食べて行くのは無理だなって」
高校時代の音楽活動を振り返った本人の言葉からは、夢を簡単に手放したくない気持ちと、現実を見つめる若者らしい葛藤が伝わってくる。
興味深いのは、ギタリストになる夢を諦めた後も、音楽そのものから離れなかったことだ。演奏者からDJへと表現方法を変えたことが、その後の長いキャリアにつながっていく。

【高校時代】日体大柏高校のラグビー部で培った根性と上下関係
柏日体高校、現在の日体大柏高校に通っていた
DJ KOOの若い頃を語るうえで欠かせないのが、高校時代のラグビー経験である。
通っていたのは柏日体高校。現在の日本体育大学柏高等学校、通称・日体大柏高校だ。
Number Webの2022年のインタビューでは、中学時代にはサッカーをしており、本当はサッカーの強豪校として知られる習志野高校を志望していたことも明かしている。
しかし、希望はかなわず、入学後にラグビー部へ入ることになった。本人の回想によると、入学式の翌日に先輩から声をかけられ、ラグビー部の練習に参加したことが始まりだったという。
当初からラグビーを志していたわけではなかったが、練習を経験するうちに競技の魅力に引き込まれていった。
厳しい体育会系の経験がDJの下積みに生きた
高校時代のラグビー部は、先輩と後輩の上下関係が厳しい環境だった。
テレビ朝日POSTのインタビューでも、DJ KOOは当時の部活動について、先輩には絶対服従という縦社会のルールを身につけたと語っている。
この経験は、高校卒業後に飛び込んだディスコの世界で大きな意味を持つことになる。
当時のDJ業界も、先輩DJの下で雑用をこなしながら技術を覚える徒弟制度に近い仕組みだった。掃除や買い出し、ウェイターの仕事をしながら、先輩の選曲やフロアの盛り上げ方を学ぶ必要があったのである。
DJ KOOは後年、ラグビー部で身につけた根性や先輩への対応が、見習い時代に役立ったと何度も振り返っている。
つまり、高校時代のラグビーは単なる学生時代の思い出ではない。音楽の世界で生き残るための忍耐力や、周囲の状況を見て動く姿勢を育てた経験でもあった。
【19歳でDJデビュー】新宿のディスコで始まった厳しい下積み時代
DJになったきっかけはディスコで見た先輩の姿
高校卒業後、DJ KOOは神田外語学院へ進学した。
英語を本格的に学ぶことだけが目的だったわけではなく、東京で生活しながら自分の進路を探したいという気持ちもあったという。
学校に通う一方で、次第に足を運ぶようになったのが新宿のディスコだった。
当時のディスコは、単に音楽を流して踊る場所ではなかった。洋楽の最新ヒット曲や海外のダンスミュージックを体験できる、若者文化の発信地でもあった。
POPEYE WebのインタビューでDJ KOOは、満員のフロアを音楽で盛り上げるDJの姿に惹かれ、自分も同じような仕事をしたいと思ったと説明している。
最初から有名DJとして活躍したわけではない。まずは見習いとして現場に入り、先輩の仕事を間近で学ぶところから始めた。
掃除、買い出し、ウェイターからのスタート
DJ KOOの下積み時代を象徴するのが、先輩DJのためにラーメンを買いに走ったエピソードだ。
本人が2025年10月にTBSラジオ「こねくと」で語ったところによると、DJの世界は当時かなりの縦社会。見習いとして入った当初は、掃除や先輩の買い物など、DJ以外の仕事を担当していた。
テレビ朝日POSTのインタビューでは、最初は上野の店で無給の見習いDJとなり、その後、新宿・歌舞伎町へ活動の場を移した経緯も紹介されている。
新宿では東亜会館にあったディスコ「B&B」で経験を積んだ。POPEYE Webによると、見習い、セカンド、チーフという序列があり、DJブースに立つまでには先輩から仕事を教わる必要があった。
DJの練習も、お客さんがいない時間帯や営業終了後が中心。普段はフロアの様子を観察し、どんな曲が盛り上がるのか、どのタイミングで話しかければよいのかを覚えていった。
本人によると、見習い期間はおよそ半年から1年ほど。本人がインタビューで語る時期や見習い先によって説明に幅はあるものの、19歳頃にはDJとして報酬を得られるようになっていた。
新宿・歌舞伎町のB&Bでプロとして成長
DJ KOOのDJ活動の起点として重要なのが、1980年という年だ。エイベックスの公式45周年特設サイトでも、1980年をDJ活動開始の節目として位置づけている。
歌舞伎町のB&Bでは、夕方から翌朝までという長時間の勤務も経験した。
本人の45周年記念インタビューによれば、勤務時間は夕方6時から朝5時まで。フロアが盛り上がっていなければ店の責任者から注意されるほど、結果が求められる現場だった。
そこでDJ KOOは、洋楽を流すだけでなく、客層や時間帯に合わせた選曲を工夫するようになった。チークタイムにどんな曲をかけるか、最後にどの曲でフロアを盛り上げるかまで考えていたという。
こうした経験が、後のTRFで見せる観客を巻き込むパフォーマンスの原点になった。

【1986年】THE JG's結成でDJからリミックス制作の世界へ
ディスコの選曲からリミックス制作へ
DJとして実力をつけたDJ KOOは、次第に音楽を流すだけでなく、楽曲そのものを編集する仕事にも取り組むようになる。
きっかけは、新宿のディスコB&Bにレコード会社から楽曲のサンプル盤が届くようになったことだった。
DJ KOOは、曲をそのまま流すだけではなく、サビを長くしたり、イントロを印象的にしたり、曲同士のつなぎ方を工夫したりすることで、フロアをより盛り上げられると考えた。
そこでカセットテープを使って曲を編集し、DJ目線のリミックス作品を制作するようになる。
こうした編集音源が人気を集め、一人ではなくチームで制作する必要が生まれた。その結果、1986年に結成されたのがTHE JG's(The JGs)だった。
DJ hondaらと組んだリミックスユニット
エイベックスの45周年記念インタビューでは、THE JG'sのメンバーとしてDJ honda(本田勝裕)や鈴木しょう治の名前が挙げられている。また、制作面ではマニピュレーターの三好史も重要な役割を果たした。
DJ KOOは、THE JG'sについて日本初のリミックスユニットに当たるのではないかと振り返っている。
当時は、現在のように音楽配信サービスや動画サイトから簡単に世界中の音楽を聴ける時代ではなかった。ディスコは洋楽の最新曲を体験する貴重な場所であり、DJの選曲や編集技術が音楽の流行を左右する側面もあった。
THE JG'sの活動は、DJ KOOが単なるプレイヤーから、音楽の構成や制作にも関わるクリエイターへと成長した転換点だった。
後にTRFでサウンドクリエイターとしても存在感を示すことになる背景には、この時代に培った編集感覚と音楽制作の経験があった。
【1992年】小室哲哉との出会いからTRF結成へ!人生最大の転機
小室哲哉との初対面は横浜のイベント
DJ KOOのキャリアを大きく変えた人物が、音楽プロデューサーの小室哲哉だ。
1992年頃、小室哲哉が横浜ベイサイドクラブで開催するイベントにDJとして関わったことが、二人の本格的な接点になった。
DJ KOOはエイベックスの公式45周年記念インタビューで、初めて小室と会ったときの衝撃を振り返っている。
「この人は未来を握ってるんじゃないかっていうぐらいの衝撃を受けましたね。」
小室がシンセサイザーを使って音をゼロから作り上げる姿を見て、DJ KOOは強く惹かれたという。
そこで翌日もスタジオを見学させてほしいと頼み、その後は約9か月にわたって毎日のようにスタジオへ通った。
最初はメモの保管や作業データの整理などを担当しながら、小室の制作現場を間近で学んでいった。単にDJとして出演する関係から、音楽制作を支える関係へと発展していったのである。
1992年のTRF結成と1993年のデビュー
小室哲哉との関係が深まるなかで誕生したのが、ダンス、ボーカル、DJを組み合わせたユニットtrfだった。
1992年に結成され、1993年2月25日にシングル「GOING 2 DANCE」でCDデビュー。続く同年6月の「EZ DO DANCE」がヒットし、グループの知名度は大きく上昇した。
ここで興味深いのが、DJ KOO自身がTRFへの参加経緯について語っている内容だ。2024年のラジオ出演時には、小室から正式に「TRFに入って」と誘われたことはなかったと明かしている。
小室のイベントにDJとして参加し、その後もスタジオに通い続けるうちに、自然とグループの一員として活動するようになったという。
このエピソードは、DJ KOOと小室哲哉の関係が単純なオーディションや正式なスカウトだけで成立したものではなく、現場での信頼と継続的な関わりによって形作られたことを示している。
DJ KOOの経歴年表と関係者のつながり
若い頃からTRF結成までの主な出来事を整理すると、次のようになる。
| 時期・年齢 | 出来事・関係者 | キャリア上の意味 |
|---|---|---|
| 1961年 | 東京都で誕生 | 沢田研二などの音楽に親しむ |
| 中学・高校時代 | ザ・タイガース、洋楽ロック、ギター | ギタリストを志し、バンド活動を経験 |
| 高校時代 | 柏日体高校・ラグビー部 | 体育会系の規律や忍耐力を身につける |
| 高校卒業後 | 神田外語学院、ディスコ通い | DJという職業に魅力を感じる |
| 1980年・19歳頃 | ディスコでDJ活動を開始 | DJ活動45周年の起点 |
| 1986年 | DJ honda、鈴木しょう治らとTHE JG's結成 | リミックス制作に進出 |
| 1992年 | 小室哲哉と出会い、trf結成 | DJからグループ活動へ |
| 1993年2月25日 | trfとしてCDデビュー | 「GOING 2 DANCE」でデビュー |
| 1993年6月 | 「EZ DO DANCE」リリース | TRFの知名度が拡大 |
| 2025年8月 | DJ活動45周年 | 45周年記念プロジェクトを展開 |
| 2026年 | DJ活動、イベント、コラボレーション | 65歳を迎えても現役で活動 |
この年表から見えてくるのは、DJ KOOのキャリアが一度の大きな成功で完成したものではないということだ。ロック、ラグビー、ディスコ、リミックス制作、小室哲哉との出会いという複数の経験が重なり、TRFのDJとしての個性が形成されていった。
【若い頃の写真・昔の画像】現在とは違うDJ KOOのファッションと素顔
20歳頃はサングラスなしの姿だった
DJ KOOの若い頃の写真を探すと、現在のトレードマークであるサングラス姿とは違う印象の画像が見つかる。
2023年には、本人がファッション・カルチャー誌POPEYEのインタビュー掲載をきっかけに、20歳当時の写真を公式Xで公開したことが報じられた。
当時は新宿・歌舞伎町の東亜会館6階にあったディスコB&BでDJをしていた頃。現在の派手なステージ衣装やサングラスのイメージとは異なり、若々しい素顔が印象的な写真だった。
30代にはドレッドヘアなど個性的なスタイルも
若い頃のDJ KOOは、髪型も現在とは大きく異なる。
30代頃の写真として紹介された画像には、ドレッドヘアで活動していた時期の姿もある。2026年にも過去の写真がSNSや芸能ニュースで取り上げられ、現在の姿との違いが話題になった。
また、小室哲哉との若い頃のツーショットでは、二人ともロングヘアだった時代の姿が確認できる。
つまり、現在のDJ KOOを象徴する金髪やサングラスは、若い頃から固定されていたものではない。音楽活動や時代の流行に合わせて、さまざまなスタイルを経験してきたのである。
高校時代のラグビー部の写真もNumber Webの記事で本人提供の画像として紹介されている。ディスコ時代の写真と並べて見ると、スポーツに打ち込んでいた学生が、どのように音楽の世界へ進んでいったのかがよく分かる。
【2026年最新】DJ KOOの現在は?DJ活動45周年を経ても第一線で活躍
2025年8月にDJ活動45周年を達成
DJ KOOは2025年8月にDJ活動45周年を迎えた。
エイベックスが公開した45周年記念特設サイトでは、10代でDJの見習いに入り、ダンスミュージックとともに歩んできた45年間を本人の言葉で振り返っている。
記念プロジェクトでは、2025年10月1日にBEYOOOOONDSとのコラボレーション楽曲「最KOO DE DANCE」をリリース。DJ KOOの音楽活動を新しい世代にも届ける企画となった。
45周年は単なる過去の実績を振り返る節目ではない。若い世代のアーティストとのコラボレーションを通じて、DJという仕事の可能性を広げる機会にもなっている。
2026年は65歳、活動の幅はさらに広がる
DJ KOOは2026年8月8日に65歳を迎えた。
2026年もDJとしての活動は続いており、公式45周年記念サイトでは、4月11日に公開された「なの花 健 KOO!DANCE!」などの企画が紹介されている。
さらに、和歌山のSKY ART FESTIVAL 2026や中野駅前大盆踊り大会など、音楽イベントや地域文化とのコラボレーションも展開している。
TRFのDJ・リーダーとしての活動に加え、盆踊り、J-POP、アニメソング、ゲーム音楽などを取り入れたソロDJ活動も継続。音楽のジャンルや世代を限定しないスタイルが、現在のDJ KOOの強みになっている。
若い頃のロック経験が現在の活動にもつながっている
DJ KOOのキャリアで見逃せないのは、ロック少年だった経験が、その後の音楽活動にも生きていることだ。
エイベックスの45周年インタビューでは、小室哲哉からロックの知識を評価され、TRFの楽曲「SEE THE SKY ~月が地球にKISSをする」でもDJとしての役割を期待されたエピソードが紹介されている。
本人は、ギタリストを目指していた頃に身につけたロックへの理解が、TRFでのパフォーマンスにも役立ったと振り返っている。
また、TRFの活動が大きくなった後も、DJとしての現場を離れっぱなしにはしなかった。1990年代後半には現場のDJ活動を学び直し、後輩DJから選曲やプレイスタイルを教わったことも明かしている。
若い頃の成功に頼るのではなく、時代の変化に合わせて自分の技術を更新してきたことが、65歳になった現在も現役で活動できる理由の一つだ。
【DJ KOOの若い頃】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:DJ KOOは若い頃、どんな人だった?
A1:若い頃は洋楽ロックに夢中な少年で、沢田研二やザ・タイガースをきっかけに音楽に興味を持ち、ディープ・パープルやブラック・サバスなどを聴いていた。高校時代はラグビー部とバンド活動を両立し、当初はギタリストを目指していた。
Q2:DJ KOOは何歳でDJデビューした?
A2:DJを志したのは18歳頃で、高校卒業後に見習いとして活動を開始した。本人は19歳頃にDJの仕事で報酬を得るようになったと振り返っており、1980年をDJ活動開始の節目としている。
Q3:DJ KOOの出身高校はどこ?
A3:柏日体高校で、現在の日体大柏高校に当たる。高校時代はラグビー部に所属し、3年間にわたって競技に取り組んだ。
Q4:DJ KOOは昔、新宿のどこのディスコで働いていた?
A4:新宿・歌舞伎町の東亜会館にあったディスコB&BでDJとして活動していた。見習い時代には掃除や買い出し、ウェイターなども担当し、先輩DJの下で技術を身につけた。
Q5:THE JG'sとはどんなグループ?
A5:1986年にDJ KOOらが結成したリミックスユニット。DJ hondaや鈴木しょう治らとともに、DJの視点を生かした楽曲編集やノンストップミックス制作に取り組んだ。
Q6:DJ KOOと小室哲哉はどのように出会った?
A6:1992年頃、小室哲哉が開催した横浜ベイサイドクラブのイベントにDJとして関わったことがきっかけ。初対面で小室の音楽制作に衝撃を受け、その後約9か月にわたってスタジオに通い、TRFの活動につながった。
Q7:DJ KOOは2026年現在、何歳?
A7:1961年8月8日生まれのため、2026年11月現在は65歳。2025年8月にDJ活動45周年を迎え、2026年もDJ、イベント、音楽コラボレーションなど幅広く活動している。
まとめ:DJ KOOの若い頃を知ると45年間のキャリアがもっと面白くなる
DJ KOOの若い頃は、現在の明るく華やかなイメージからは想像しにくい、ロックとラグビーに打ち込む青春時代だった。
沢田研二に憧れ、ローリング・ストーンズやブラック・サバスを聴き、ギタリストを目指していた少年は、高校卒業後にディスコと出会う。19歳頃にはDJとして報酬を得るようになり、新宿のB&Bで経験を積み、1986年にはTHE JG'sを結成した。
そして1992年、小室哲哉との出会いが人生を大きく変える。TRFのDJとして1993年にデビューし、日本のダンスミュージックを代表する存在へと成長していった。
特に注目したいのは、ラグビー部で身につけた忍耐力、ロックで培った音楽的感性、ディスコで磨いた観客を盛り上げる技術が、すべて現在の活動につながっている点だ。
2025年にDJ活動45周年を迎え、2026年には65歳となったDJ KOO。若い頃の夢を形を変えながら追い続け、今も新しい音楽や文化に挑戦している。その歩みを知れば、ステージ上の「DO DANCE!」という掛け声にも、45年間積み重ねてきた経験と情熱が感じられるはずだ。
主な取材・確認資料
- エイベックス「DJ KOO 45TH ANNIVERSARY SITE」
- DJ KOO公式プロフィール・TRF公式プロフィール
- POPEYE Web「二十歳のとき、何をしていたか?」
- テレビ朝日POST「DJ KOO、どん底時代に小室哲哉と運命の出会い」
- Number Web「DJ KOOが語る昭和のラグビー部秘話」
- スポニチアネックス「DJデビュー45周年と下積み時代」
- エイベックス公式・DJ KOOとSAMの対談資料
(出典: dj koo 若い 頃(Yahoo!ニュース))