平野ノラのバレーボール歴を徹底解説!全国制覇からKANORA JAPANの現在まで
「しもしも~?」のバブリーキャラで知られるお笑いタレントの平野ノラさん。しかし、実は芸能界でも屈指の本格的なバレーボール経験者です。小学3年生から高校卒業まで競技を続け、小学生時代には全国制覇を経験。東金町ビーバーズで実力を磨き、葛飾区立金町中学校、修徳高校ではバレーボール部の主将を務めました。
2026年11月現在も、平野さんのバレーボールへの情熱は続いています。元日本代表の狩野舞子さんと結成した芸能界バレーボールチーム「KANORA JAPAN」には、女子レスリング金メダリストの吉田沙保里さんも参加。SVリーグの始球式やバレーボール普及活動にも取り組んでいます。一方、2022年に就任した日本バレーボール協会の評議員については、2026年6月に任期の節目を迎えています。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 競技歴:小学3年生から高校卒業まで約10年間バレーボールを続け、小学5年生で全国優勝を経験。
- 学生時代:東金町ビーバーズ、金町中学校、修徳高校でプレーし、中学・高校では主将を担当。主なポジションはライト。
- 2026年の活動:狩野舞子さんと結成したKANORA JAPANで活動し、吉田沙保里さんの加入やSVリーグ関連の出演も話題に。
【プロフィール】平野ノラのバレーボール歴は小学3年生から始まった
平野ノラさんは1978年10月20日生まれ、東京都出身。ワタナベエンターテインメントに所属するお笑いタレントです。バブリーな衣装と独特の昭和ネタでブレークしましたが、所属事務所の公式プロフィールにも、バレーボールは特技として掲載されています。
競技を始めたのは小学3年生。きっかけは、母親がママさんバレーをしていたことでした。
バレーボールを始めた理由は母親の影響
2025年7月に公開された女性誌『STORY』の本人インタビューで、平野さんは母親の影響から小学3年生でバレーボールを始めたと明かしています。
興味深いのは、バレーボールが競技能力だけでなく、本人の性格にも変化をもたらしたことです。
平野さんは、幼少期は声が小さく、非常に恥ずかしがり屋だったと振り返っています。しかし、バレーボールを始めてから人前で声を出すことに抵抗がなくなり、周囲を引っ張ることにも積極的になっていきました。
本人がインタビューで語ったのは、緊張する気持ちよりも、自分がチームを引っ張らなければならないという責任感のほうが強かったということです。
「自分がやらなきゃ」という責任感のほうが強かった。
この経験は、後年の芸能活動にも通じる部分があります。舞台やテレビで人前に立ち、場の空気をつくり、周囲を巻き込む力。その原点の一つが、学生時代のバレーボールにあったのかもしれません。
週6日の練習でバレー漬けだった青春時代
平野さんによると、学生時代は週6日練習する生活で、休みはほとんどありませんでした。
小学校では副キャプテン、中学・高校ではキャプテンとしてチームをまとめています。単に競技を続けていたのではなく、早い段階からチームの中心的な役割を担っていたことが分かります。
一方、本人は小学5年生のころ、全国レベルの選手たちと試合をするなかで、自分はプロ選手にはなれないと感じたことも語っています。高い競技レベルを知っていたからこそ、自分の可能性を冷静に見つめていたのでしょう。
出典:2025年7月22日公開『STORY』本人インタビュー、ワタナベエンターテインメント公式プロフィール。

【小学生時代】東金町ビーバーズで全国制覇!小学5年生で日本一に
平野ノラさんのバレーボール経歴を語るうえで欠かせないのが、東京都葛飾区の小学生バレーボールクラブ「東金町ビーバーズ」です。
小学3年生から所属したこのクラブは、全国レベルの実績を持つ強豪チーム。平野さんは小学5年生のときに全国優勝を経験しました。
1989年、東金町ビーバーズが男女同時に全国制覇
日刊スポーツが2019年に掲載した東金町ビーバーズの特集によると、同クラブは1981年に創設され、東京都葛飾区を拠点に活動してきました。
そして1989年、男子・女子のチームがそろって全国優勝を達成。全国大会における男女同時優勝という歴史的な実績を残しています。
当時、平野さんは小学5年生。女子チームのメンバーとして日本一に貢献しました。
同記事では、当時の浦野正総監督が平野さんについて「頑張り屋のレシーバーだった」と振り返っています。
ここで注目したいのは、平野さんが単に全国優勝チームに所属していただけではなく、実際に試合に出場して優勝に貢献した選手だったことです。
東金町ビーバーズはどんなチームだった?
東金町ビーバーズは、地域に根差した小学生バレーボールクラブです。創設以来、数多くの卒団生を送り出しており、男女とも全国優勝を複数回達成してきました。
日刊スポーツの2019年の特集では、男女それぞれ全国優勝3回という実績も紹介されています。
同クラブからは、男子日本代表のセッターとして活躍した関田誠大選手も輩出されています。平野さんが所属していたクラブが、長年にわたって有力選手を育ててきたことがうかがえます。
また、平野さんが小学校時代に経験した全国大会優勝は、本人の競技人生における大きな成功体験でした。小学5年生で全国レベルの選手と競い合った経験は、その後の中学・高校での競技生活にもつながっていきます。
小学生時代のポジションはレシーバー?
ポジションについても注目されています。
日刊スポーツの2019年の記事では、当時の総監督が平野さんをレシーバーとして回想しています。一方、2021年の日刊スポーツの人物紹介では、平野さんの主なポジションはライトと紹介されています。
つまり、小学生時代のプレーを振り返る際にはレシーバーとしての役割が語られ、競技歴全体ではライトを主なポジションとしていたことが分かります。
こうした実績を踏まえると、平野さんのバレーボール歴は芸能人の趣味という範囲を大きく超えたものです。
【中学・高校時代】金町中学校から修徳高校へ!主将として活躍
小学生時代に全国優勝を経験した平野さんは、その後もバレーボールを続けます。
進学先は、東京都葛飾区立金町中学校、そしてバレーボールの強豪として知られる修徳高校です。
葛飾区立金町中学校ではキャプテンを担当
中学時代もバレーボール部に所属し、チームの主将を務めました。
小学校では副キャプテンだった平野さんが、中学校ではチーム全体をまとめる立場へと成長しています。
主将には、技術だけでなく、仲間とのコミュニケーションや試合中の判断、チームの雰囲気を維持する力も求められます。週6日の練習を続けながらチームを率いた経験は、相当な責任を伴うものだったはずです。
修徳高校はバレーボール推薦で進学
高校は東京都葛飾区の修徳高校です。
本人の『STORY』でのインタビューによると、高校進学時には、すでにバレーボールを辞めたい気持ちもあったそうです。しかし、それまで競技に打ち込んできたこともあり、進学先として選んだのはバレーボール推薦の高校でした。
修徳高校でも女子バレーボール部に所属し、キャプテンとしてチームを引っ張りました。
高校時代には関東大会2位の実績
平野さんの競技実績として知られているのが、高校時代の関東大会2位です。
2024年2月の『週プレNEWS』のインタビュー記事でも、小学生時代の全国制覇と高校時代の関東大会2位が紹介されています。
ここで整理しておきたいのが、全国優勝と関東大会2位の時期です。全国優勝については東金町ビーバーズ時代の小学生の実績が明確に確認でき、高校時代には関東大会2位という実績が紹介されています。両者を混同して「修徳高校で全国優勝」と断定する必要はありません。
実は高校時代、バレーから離れたいと思っていた
意外なのは、平野さん自身が高校時代にバレーボールから離れたいと考えていたことです。
本人は、おしゃれや友人との時間を楽しむ一般的な高校生活にも憧れていたと語っています。しかし実際は、短い髪型にジャージ姿で、毎日の練習に追われる日々でした。
部活動を引退したときには、ようやくバレーボールから離れられると解放感を覚えたそうです。
それでも、後年になって再び競技に関わり、芸能界でバレーボールチームを立ち上げるほど情熱を取り戻している点は興味深いところです。
【経歴・関係者一覧】平野ノラのバレー歴と主な転換点を年表で整理
平野さんの競技人生は、小学生時代の全国制覇から、学生時代の主将経験、そして芸能界でのバレーボール普及活動へとつながっています。
主な経歴と関係者を整理すると、次のとおりです。
| 時期 | 出来事・所属 | 実績・関係者 |
|---|---|---|
| 小学3年生 | バレーボールを開始 | 母親のママさんバレーがきっかけ |
| 小学時代 | 東金町ビーバーズ | 小学5年生で全国優勝を経験 |
| 中学時代 | 葛飾区立金町中学校 | バレーボール部の主将 |
| 高校時代 | 修徳高校 | 主将を務め、関東大会2位 |
| 2022年6月 | 日本バレーボール協会の評議員に就任 | 任期は2026年6月の定時評議員会終結まで |
| 2024年ごろ | KANORA JAPANを発足 | 狩野舞子さんと芸能界バレー部を結成 |
| 2025年5月6日 | 小学生向けバレーボール教室 | LaLa arena TOKYO-BAYで33人が参加 |
| 2026年4月4日 | SVリーグ女子の試合に出演 | 埼玉上尾メディックス戦で始球式 |
| 2026年5月 | KANORA JAPANの活動を紹介 | 吉田沙保里さんの加入が明らかに |
この年表から分かるのは、学生時代の競技実績と、現在の活動が別々のものではないということです。学生時代に培った技術やリーダーシップが、現在のチーム運営や普及活動にも生かされています。
なお、日本バレーボール協会の評議員については、2022年の就任時に公表された任期と、2026年6月12日現在の公式評議員名簿を照合しています。現在の肩書きと過去の役職は区別して見る必要があります。
【KANORA JAPAN】狩野舞子と結成した芸能界バレーボール部とは?
2026年の平野ノラさんのバレーボール活動で、特に注目されているのが「KANORA JAPAN(カノラジャパン)」です。
これは平野さんが発足させた芸能界のバレーボールチーム。元バレーボール女子日本代表の狩野舞子さんを誘い、仲間を集めて結成しました。
チーム名は狩野舞子と平野ノラの名前を組み合わせたもの
「KANORA」という名前は、狩野舞子さんの「KANO」と平野ノラさんの「NORA」を組み合わせたものです。
平野さんは自身の公式ブログで、チームを発足させたことを報告。狩野さんを誘って少しずつメンバーを集めてきた経緯も紹介しています。
基本的には月1回開催する芸能界のバレーボール部という位置付けです。
発足時の活動には13人が集まり、元日本代表経験者から約30年ぶりにボールに触れる人まで、幅広い競技経験のメンバーが参加しました。
芸能人だけでなく、芸能関係の仕事に携わる人も参加している点が特徴です。マネジャー、ヘアメーク、ディレクターなど、仕事上のつながりを通じて仲間が集まっています。
狩野舞子はどんな存在?
狩野舞子さんは、元バレーボール女子日本代表の選手です。
現役時代には国内外で活躍し、2012年ロンドン五輪の女子日本代表メンバーとして銅メダル獲得に貢献しました。
その競技経験は、KANORA JAPANにとって大きな存在です。学生時代から本格的に競技を続けてきた平野さんと、国際大会を経験した狩野さんが一緒に活動することで、単なる交流会にとどまらないバレーボールの楽しさが生まれています。
2026年には吉田沙保里もメンバーに加入
2026年5月5日、日刊スポーツやスポニチが報じたのが、女子レスリング金メダリストの吉田沙保里さんの加入です。
平野さんはTOKYO FMの番組『TOKYO SPEAKEASY』で、狩野さんと結成したバレーボールチームについて紹介し、最近になって吉田さんも参加するようになったと明かしました。
吉田さんはレスリングのオリンピック金メダリストですが、バレーボール自体は未経験。それでも、レスリングで培った身体能力や素早い動きが、ボールの下に入る動作などに生きていると平野さんは評価しています。
このエピソードは、異なる競技で培った身体能力が別のスポーツにも応用できることを示す興味深い例です。
KANORA JAPANの主な関係者
| 人物 | 競技・経歴 | チームとの関係 |
|---|---|---|
| 平野ノラ | 小学生時代全国優勝、中高バレー部主将 | 発起人・中心メンバー |
| 狩野舞子 | 元女子バレーボール日本代表、ロンドン五輪銅メダリスト | 平野さんとともにチームを立ち上げたメンバー |
| 吉田沙保里 | 女子レスリング五輪金メダリスト | 2026年に加入が報じられたメンバー |
このほかにも、さまざまなアスリートや芸能関係者が参加しています。公表された情報では、発足時の参加人数や主要メンバーは確認できますが、全員の固定メンバー名簿が公開されているわけではありません。
平野さんによると、チームには対戦のオファーも届いている一方、参加者のスケジュール調整や仕事とプライベートの線引きが課題になっています。将来的にはイベント開催も検討しているとのことです。
出典:平野ノラ公式ブログ「平野ノラのバレーボールチーム『KANORA JAPAN』発足!!」、2026年5月5日付の日刊スポーツ・スポニチ報道。
【2026年最新】平野ノラのバレーボール活動と日本バレーボール協会の現在
2026年の平野さんは、KANORA JAPANだけでなく、プロバレーボールの試合会場や競技普及の現場でも活動しています。
2026年4月4日、埼玉上尾メディックスの試合で始球式
2026年3月26日、SVリーグ女子の埼玉上尾メディックスは、4月4日に所沢市民体育館で開催する岡山シーガルズ戦に平野さんが出演すると発表しました。
当日は始球式を担当。バレーボール経験者として、試合会場を盛り上げる役割を務めました。
出演に際して平野さんは、母親のママさんバレーが競技を始めるきっかけだったことや、小中高の10年間をバレーボールに捧げたことを紹介しています。
また、バレーボールを通して心技体を鍛え、フェアプレーの精神や諦めずにやり抜く力を学んだという趣旨のコメントも発表しました。
単なるゲスト出演ではなく、自分の競技人生を振り返りながら、バレーボールの魅力を観客に伝える機会になっています。
2025年には小学生33人を対象にバレーボール教室
平野さんの普及活動は、2025年にも行われています。
2025年5月6日には、千葉県船橋市のLaLa arena TOKYO-BAYで「平野ノラといっしょ 初めてでもOKバブリー!バレーボール教室」が開催されました。
SVリーグ・Vリーグの普及活動である明日夢プロジェクトの特別企画で、対象は小学生33人。元選手による指導とともに、平野さんもスペシャルゲストとして参加しました。
この取り組みには、平野さん自身が子どもたちと一緒にバレーボールを楽しみたいという思いが反映されています。
自分が小学生時代に経験した競技の楽しさを、次の世代に伝える活動としても意味があります。
バレーボールキングの「がんばれ!がんばる!応援団」にも参加
所属事務所の公式プロフィールには、バレーボールキングのYouTube企画「バレーボール『がんばれ!がんばる!応援団』presented by リクルートスタッフィング」への不定期出演も掲載されています。
試合会場への出演や選手へのインタビューなどを通じ、競技を見る楽しさを広げる活動です。
競技者としての経験を持つ平野さんだからこそ、選手のプレーや競技の魅力を、一般の視聴者にも伝わる言葉で紹介できる強みがあります。
日本バレーボール協会の評議員は現在も務めている?
もう一つ、平野さんのバレーボール歴で検索されることが多いのが、日本バレーボール協会(JVA)の評議員という肩書きです。
平野さんは2022年5月、日本バレーボール協会が発表した新評議員の一人に選任されました。任期は2026年6月開催の定時評議員会終結までと報じられています。
この役職は、バレーボール界の運営に関わる立場です。競技経験者としての知見や、芸能活動を通じた発信力などが注目された背景の一つと考えられます。
ただし、2026年11月現在の肩書きについては注意が必要です。
日本バレーボール協会の公式サイトに掲載された2026年6月12日現在の評議員一覧は25人で、平野さんの名前は掲載されていません。したがって、2026年11月時点で現職の評議員として紹介するのは正確ではありません。
整理すると、平野さんは2022年から2026年6月までの任期で評議員を務めた人物です。任期終了後も、KANORA JAPANや試合出演、普及活動などを通じてバレーボールとの関わりを続けています。
【プロの結論】平野ノラのバレーボール経験が現在の活動に生きる理由
平野ノラさんのバレーボール歴を詳しく見ると、注目すべきなのは全国優勝という実績だけではありません。
競技者としての経験を、現在の芸能活動やスポーツ普及につなげている点に大きな特徴があります。
① 全国優勝だけではない、10年間の継続経験
小学3年生から高校卒業まで競技を続けた平野さん。小学生時代の全国制覇は確かに大きな実績ですが、週6日の練習を続け、中学・高校で主将を務めた経験も重要です。
競技を続けるには、日々の練習、チームメートとの協力、試合での責任など、さまざまな要素が必要になります。平野さんの経歴には、そうした競技生活の積み重ねが表れています。
② バレーボールを離れた時期があったからこその再発見
高校卒業時には競技から離れたいと思っていた平野さんですが、後年、芸能界で再び仲間とコートに立つようになりました。
ここには、学生時代の競技経験をそのまま再現するのではなく、大人になってから別の楽しみ方を見つけたという変化があります。
勝利や順位だけを目指すのではなく、仲間とボールをつなぐ時間を楽しむ。KANORA JAPANの活動は、競技スポーツと生涯スポーツの両方の魅力を示しています。
③ 芸能人の知名度を競技普及に生かしている
平野さんは、バレーボール教室やSVリーグの始球式、YouTubeでの情報発信など、複数の方法で競技に関わっています。
競技団体が普及活動を行う際には、競技経験者の専門知識だけでなく、スポーツに馴染みのない人にも興味を持ってもらうための発信力が重要です。
平野さんの場合、全国大会優勝や主将経験という本格的な競技歴に、芸能人としての知名度や親しみやすさが加わっています。
特に小学生向けの教室は、競技を始めるきっかけをつくる活動として価値があります。自分と同じように小学生からバレーボールを始めた子どもたちに、競技の楽しさを伝えられる立場だからです。
④ 情報を見るときに押さえたい3つのポイント
平野さんのバレーボール関連情報を調べる際には、次の3点を区別すると経歴を正しく理解できます。
- 全国優勝の時期:小学5年生の東金町ビーバーズ時代の実績として確認できる。
- ポジション:主なポジションはライト。小学生時代はレシーバーとしても評価されていた。
- 協会での役職:日本バレーボール協会の評議員は2022年に就任した過去の役職で、2026年6月12日現在の名簿には掲載されていない。
こうした区別ができれば、競技実績と芸能活動、協会での役割を混同せずに理解できます。
平野さんの魅力は、単に「バレーが上手な芸能人」ということではありません。長年の競技経験を持ち、その経験を仲間づくりや次世代への普及に生かしていることです。
【平野ノラのバレーボール】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:平野ノラは何歳からバレーボールを始めた?
A1:小学3年生からです。母親がママさんバレーをしていたことがきっかけで、東金町ビーバーズに所属しました。高校卒業まで約10年間競技を続けています。
Q2:平野ノラは小学生時代に全国優勝した?
A2:はい。小学5年生のとき、所属していた東金町ビーバーズのメンバーとして全国優勝を経験しています。1989年の男女同時全国制覇に貢献した選手の一人です。
Q3:平野ノラの出身中学・高校はどこ?
A3:中学校は東京都葛飾区立金町中学校、高校は修徳高校です。両校でバレーボール部の主将を務め、高校時代には関東大会2位の実績があります。
Q4:平野ノラのバレーボールのポジションは?
A4:主なポジションはライトです。小学生時代については、東金町ビーバーズの総監督がレシーバーとしての活躍を振り返っています。
Q5:KANORA JAPANには誰が所属している?
A5:平野ノラさんと元日本代表の狩野舞子さんが中心となって結成した芸能界バレーボールチームです。2026年5月には吉田沙保里さんの加入も報じられました。ほかにも芸能関係者やアスリートが参加しています。
Q6:平野ノラは2026年現在も日本バレーボール協会の評議員?
A6:2022年に就任しましたが、任期は2026年6月開催の定時評議員会終結までです。2026年6月12日現在の日本バレーボール協会公式名簿には名前が掲載されていません。
Q7:平野ノラは2026年現在もバレーボールを続けている?
A7:はい。KANORA JAPANでの活動のほか、2026年4月には埼玉上尾メディックスのSVリーグ女子の試合で始球式を担当。バレーボールの普及や情報発信にも取り組んでいます。
まとめ:平野ノラのバレーボール歴は全国制覇から普及活動へ
平野ノラさんのバレーボール歴は、小学3年生から高校卒業まで続いた約10年間にわたる本格的な競技生活です。
母親のママさんバレーをきっかけに競技を始め、東金町ビーバーズでは小学5年生で全国優勝。葛飾区立金町中学校と修徳高校では主将を務め、主なポジションはライトでした。
その後、芸人としてブレークしてからもバレーボールとの縁は途切れていません。狩野舞子さんと結成したKANORA JAPANには吉田沙保里さんも参加し、2026年にはSVリーグの始球式にも登場しました。
日本バレーボール協会の評議員という役職は2026年6月に任期の節目を迎えましたが、競技への関わりは現在も続いています。
平野ノラさんの歩みを振り返ると、全国優勝や主将経験だけでなく、バレーボールを通じて得た仲間とのつながりを大切にしている姿が見えてきます。
かつて全国の舞台でプレーした少女は、今では芸能界の仲間や子どもたちと一緒にコートに立つ存在になりました。競技者としての過去を、スポーツを楽しむ未来へつないでいることこそ、平野ノラさんのバレーボール活動の大きな魅力です。
主な参照資料
- ワタナベエンターテインメント公式プロフィール
- 日刊スポーツ(2021年・2026年の取材記事)
- 『STORY』2025年7月22日掲載の本人インタビュー
- 平野ノラ公式ブログ「KANORA JAPAN発足」
- 日本バレーボール協会・評議員一覧(2026年6月12日現在)
- SVリーグ公式サイト、バレーボールキングの2026年出演情報
- スポニチ(2026年5月5日、吉田沙保里さんの加入報道) (出典: 平野 ノラ バレーボール(Yahoo!ニュース))