【2026年現在】島田一の介は何をしている?76歳でも吉本新喜劇で活躍
島田一の介さんの現在を知るうえで注目したいのは、芸歴の長さだけではありません。舞台で培った間の取り方や、共演者のアドリブを受け止めて笑いに変える技術は、ベテラン座員としての大きな持ち味です。
吉本新喜劇の公式公演スケジュールでは、2026年11月5日のなんばグランド花月公演「ヤヌシの鑑」に出演者として名前が掲載されています。また、11月14日・15日の「BSよしもとpresents『吉本新喜劇』」にも出演予定です。
テレビ出演についても、2026年4月27日放送のABCテレビ「なるみ・岡村の過ぎるTV」にVTR出演したことが番組公式サイトで確認できます。舞台だけでなく、テレビでも活動が続いていることが分かります。
現在の活動を整理すると、島田さんは過去の人気ギャグだけで知られる芸人ではなく、吉本新喜劇の舞台を支える現役の喜劇俳優です。
【プロフィール】島田一の介の本名・年齢・出身地を詳しく紹介
島田一の介さんは、1950年5月8日生まれ。吉本興業の公式プロフィールでは、出身地を愛媛県宇和島市としています。
2026年11月5日時点では76歳です。身長174cm、体重68kg、血液型AB型というプロフィールも掲載されています。
本名は楠正泰(くすのき・まさやす)
島田一の介さんの本名は、楠正泰(くすのき・まさやす)と紹介されています。
芸名の「島田一の介」は、吉本新喜劇の出演者として長年親しまれてきた名前です。一般のプロフィール情報では本名と芸名が併記されていますが、吉本興業の公式プロフィールでは本名ではなく芸名が使用されています。
出身地は愛媛県宇和島市
島田さんの出身地は愛媛県宇和島市です。
幼少期から吉本新喜劇に憧れ、テレビで舞台を見ながら芸能界への思いを強めていきました。中学卒業後すぐに芸人になることも考えたものの、母親から高校を卒業するよう勧められ、地元で高校生活を送りました。
その後、兵庫県尼崎市で働き始めますが、新喜劇に入りたいという夢は消えませんでした。この時期の経験が、後の弟子入りにつながっていきます。
年齢に関するプロフィールの確認ポイント
生年月日については、吉本興業の現行プロフィールに1950年5月8日と記載されています。一方、MBSの2014年掲載インタビュー末尾のプロフィール欄には1951年5月8日という記載もあります。
資料によって1年の違いがありますが、2026年の年齢を算出する際には、所属事務所の現行公式プロフィールに掲載された1950年5月8日を基準にするのが適切です。
【若い頃の経歴】1971年の入門から吉本新喜劇に入るまで
島田一の介さんの芸人人生は、最初から順風満帆だったわけではありません。
本人がMBSの座員インタビューで振り返った内容によると、子どもの頃から新喜劇への憧れがあり、どうすれば舞台に立てるのかを考えていたそうです。
高校卒業後は尼崎の会社に就職
高校を卒業した島田さんは、兵庫県尼崎市の会社に就職しました。本人の説明では、勤務期間は約1年10か月。当時は新喜劇に入る方法を模索していました。
漫才師として活動すること自体が目的ではありませんでしたが、漫才師の弟子になれば新喜劇に近づけるのではないかと考えます。
そこで目を向けたのが、島田洋之介・今喜多代という漫才コンビでした。
島田洋之介・今喜多代に弟子入り
1971年、島田さんは京都花月に出演していた島田洋之介・今喜多代のもとへ通い、弟子入りを志願します。
MBSのインタビューでは、師匠たちが当初は弟子を取っていなかったことや、京都花月に1週間通い続けてようやく入門を認めてもらった経緯を明かしています。
弟子入り後は島田洋七さんと漫才の練習をした時期もありました。しかし、コンビ活動は長続きせず、最終的には師匠の口利きによって吉本新喜劇へ進むことになります。
初舞台は梅田コマ劇場
島田さんの初舞台は、現在よく知られるなんばグランド花月ではありません。
本人の回想によると、師匠のもとで修業していた時期に、梅田コマ劇場の年末企画で初舞台を経験しています。通行人など複数の役を演じたそうです。
その後、うめだ花月などの舞台で経験を積み、当時の座長だった花紀京さんのもとで新喜劇の出演者として活動するようになりました。
初舞台で覚えているセリフとして本人が挙げたのは、「サインして!サインして!」という言葉でした。現在の独特なギャグからは想像しにくい、舞台俳優としての出発点です。
【経歴年表】島田一の介の芸人人生と主な転換点
島田一の介さんのキャリアを理解するには、入門から現在までを時系列で見ると分かりやすくなります。
| 時期 | 出来事・活動 | 経歴上のポイント |
|---|---|---|
| 1950年5月8日 | 愛媛県宇和島市で誕生 | 吉本興業の公式プロフィールに掲載された生年月日 |
| 高校卒業後 | 兵庫県尼崎市で就職 | 新喜劇への憧れを持ち続ける |
| 1971年 | 島田洋之介・今喜多代に入門 | 吉本興業公式プロフィールに記載された入門年 |
| 1970年代前半 | 漫才の修業を経て新喜劇へ | 師匠の紹介で新喜劇の舞台に進む |
| 1975年~1983年 | 「あっちこっち丁稚」などで活動 | 若手時代のテレビ・舞台経験 |
| 新喜劇の再編期 | 漫才や地方巡業などを経験 | 浅香あき恵との漫才活動や約5年間の新喜劇のブランク |
| 新喜劇復帰後 | 父親役やアドリブを生かした役柄で活躍 | 内場勝則らとの掛け合いから新たな笑いが生まれる |
| 2014年 | 「ダメよ~ダメダメ」が流行語大賞を受賞した時期 | 自身の長年のギャグとの類似が話題になる |
| 2026年 | 吉本新喜劇の舞台、テレビ番組に出演 | 76歳で現役活動を継続 |
この年表で注目したいのは、一度新喜劇から離れた時期があることです。
新喜劇を離れた時期と復帰
MBSのインタビューによると、吉本新喜劇の再編期に島田さんは今後の身の振り方を考えることになりました。
その後、浅香あき恵さんからの誘いで「あき恵・一の介」として約1年半漫才を経験。さらに地方巡業で漫才や芝居を続けました。
新喜劇に戻るまでには約5年間のブランクがあったと本人は語っています。
復帰のきっかけは、会社の新喜劇担当者からの電話でした。さらに、内場勝則さん、辻本茂雄さん、石田靖さんら当時のニューリーダーが、島田さんの復帰を会社に働きかけていたことも後から知ったそうです。
このエピソードからは、島田さんが単に長く所属しているだけでなく、共演者からも舞台に必要とされてきた存在だったことがうかがえます。
【代表ギャグ】「ダメよダメよ、ダメなのよ~」の誕生秘話
島田一の介さんを語るうえで欠かせないのが、独特のおかま口調で披露する「ダメよ、ダメよ、ダメなのよ~」というギャグです。
このフレーズは、単なる言葉遊びではありません。誕生の背景には、歌謡曲と本人の舞台経験がありました。
森進一の「年上の女」がヒント
2019年3月24日付のデイリースポーツのインタビューで、島田さんはギャグの誕生について説明しています。
ヒントになったのは、歌手の森進一さんが歌った「年上の女(ひと)」です。同曲は1968年にリリースされた楽曲で、島田さんはその歌詞から着想を得たと語っています。
本人によると、このギャグは30年以上続けてきた持ちネタです。
最初に披露した場所は、新喜劇の舞台ではなく、ポケットミュージカルスでした。少しおかまっぽい口調で始めたものの、最初から観客に受けたわけではありません。
「ギャグってもんは、やり続けないとアカンねん」
MBSの座員インタビューで語ったこの言葉には、島田さんの芸に対する考え方が表れています。
何度も繰り返すうちに共演者や観客が反応するようになり、舞台の流れに組み込まれたことで、長く愛されるギャグへと成長しました。
日本エレキテル連合とのギャグの違い
2014年には、日本エレキテル連合の「ダメよ~ダメダメ」が新語・流行語大賞の年間大賞に選ばれました。
この出来事をきっかけに、島田さんのギャグを知る人の間でも話題が広がりました。似た言葉を使っているため、どちらが先なのかという疑問が生まれたのです。
2019年のデイリースポーツの取材で、島田さんは自身のギャグを30年以上続けていたと説明しています。また、日本エレキテル連合のフレーズは「ダメよ~ダメダメ」、自身のものは「ダメよダメよ、ダメなのよ~」と、言い回しの違いも説明しました。
つまり、両者は似た言葉を使っていても、同じギャグではありません。島田さんの持ちネタには、新喜劇の舞台で長年積み重ねてきた独自の歴史があります。
ほかにもある島田一の介の持ち味
代表ギャグ以外にも、島田さんにはアドリブから生まれた笑いがあります。
- ハゲネタ:内場勝則さんが考えた掛け合いをきっかけに広がったもの。
- 田中眞紀子さんのものまね:共演者のアドバイスを受けて、田中角栄さんのものまねから発展したもの。
- 言葉の繰り返し:相手の言葉を受けて、同じフレーズを別の人物のものまねとして返す掛け合い。
こうした芸の特徴は、決まったセリフだけで笑わせるのではなく、相手の反応によって展開を変えられることです。台本にないアドリブを笑いに変える柔軟さが、島田さんの持ち味になっています。
【出演番組・代表作品】テレビ・映画・舞台での実績
島田一の介さんの活動は、吉本新喜劇だけにとどまりません。テレビ番組、映画、DVD、舞台など、さまざまな分野に出演しています。
テレビ出演番組
島田さんの出演番組として知られているのが、次の作品です。
- よしもと新喜劇:長年にわたる中心的な活動の場。
- あっちこっち丁稚:1975年4月から1983年9月までABCテレビで放送された番組。本人も若手時代の思い出として語っています。
- ほっとけ!3人組:2011年から2012年に放送された番組。ORICON NEWSにも出演記録が掲載されています。
- なるみ・岡村の過ぎるTV:2026年4月27日放送回にVTR出演。
特に「あっちこっち丁稚」は、若い頃の島田さんを知るうえで興味深い番組です。
MBSのインタビューでは、舞台中継の最中にセリフを忘れ、頭が真っ白になった経験も振り返っています。まだ若手だった時代の緊張感が伝わるエピソードです。
吉本興業公式プロフィールに掲載された代表作品
吉本興業の公式プロフィールには、映画、DVD、舞台の代表作が掲載されています。
映画では「どケチ・ピーやん物語」「大阪好日」「マネージャーの掟」などが紹介されています。
DVDには「池乃めだかの『起笑転結』」「吉本新喜劇・ギャグ復活宣言」「難波金融伝ミナミの帝王」などがあります。
舞台作品では、五木ひろしさんや吉幾三さんの新歌舞伎座公演、西川きよし劇団旗揚げ公演などが掲載されています。
これらの実績を見ると、島田さんは新喜劇のコメディー俳優としてだけでなく、舞台や映像作品でも経験を重ねてきたことが分かります。
2026年の出演状況
2026年の活動で注目したいのは、吉本新喜劇の公式スケジュールに継続して名前が掲載されている点です。
11月5日のなんばグランド花月公演「ヤヌシの鑑」では、池乃めだかさん、内場勝則さん、未知やすえさん、山田花子さん、西川忠志さんらとともに出演者として紹介されています。
また、11月14日・15日のYES THEATERでのBSよしもと公演にも出演予定です。
このように、2026年は76歳を迎えた年でありながら、劇場での活動が確認できます。過去の出演歴だけで現在を判断するのではなく、最新の公演情報を見ることが、島田さんの活動を知るうえで大切です。
【師匠との関係】島田洋之介・今喜多代から受け継いだ芸
島田一の介さんの芸人人生を語るうえで、師匠である島田洋之介さんと今喜多代さんの存在は欠かせません。
2人は1957年に「洋介・喜多代」として夫婦漫才コンビを結成しました。大阪府立上方演芸資料館「ワッハ上方」の紹介によると、小柄な今喜多代さんの勢いあるツッコミと、大柄な島田洋之介さんのおっとりした受け答えの対比が人気を集めました。
島田洋之介さんは1974年に洋之介(洋之助とも)へ改名しています。2人は島田一の介さんのほか、今いくよ・くるよさん、B&B、島田紳助さんら多くの弟子を育てました。
師匠から教わった「辛抱」の精神
MBSのインタビューで、島田さんは師匠から繰り返し言われていた言葉として「辛抱」を挙げています。
新喜劇を離れた時期にも、その教えを忘れず、地方巡業で芝居や漫才を続けていました。
新喜劇への復帰後も、舞台のテンポや役柄の変化に対応。若い頃の悪役や二枚目役から、年齢を重ねてからの父親役、アドリブを生かした役柄へと活躍の幅を広げていきました。
ここに島田さんのキャリアの特徴があります。長く同じ芸を続けるだけではなく、年齢や舞台の変化に応じて役割を変えながら、笑いを作り続けてきたのです。
若手座員との掛け合いにも注目
島田さんはMBSのインタビューで、若手座員が自分たちでネタを考え、笑いを生み出そうとする姿勢についても評価しています。
若い頃は台本どおりに演じることが多かった一方、現在の若手は自分たちでネタを作る機会が増えていると語っています。
こうした発言からは、ベテランとして舞台に立つだけでなく、吉本新喜劇という集団芸の変化を見守る立場にあることもうかがえます。
【プロの結論】島田一の介が長く愛される理由とは?
島田一の介さんの芸歴を振り返ると、長く舞台に立ち続ける芸人に必要な要素が見えてきます。
第一に、決まったギャグを繰り返しながら、観客との呼吸を育てる力です。「ダメよダメよ、ダメなのよ~」は、最初から大きな反応を得たわけではありません。何度も舞台で披露し、共演者との掛け合いを積み重ねたことで、代表的な持ちネタになりました。
第二に、周囲の演者の力を笑いに変える柔軟性です。ハゲネタやものまねのエピソードからも分かるように、島田さんの芸には他の座員との共同作業が生きています。
第三に、役柄を変化させる適応力です。若い頃には悪役や二枚目、お巡りさんなどを演じ、復帰後は父親役やアドリブを生かした役柄にも取り組みました。
新喜劇は一人の芸人だけで成立する舞台ではありません。座員同士の関係性、テンポ、観客の反応が重なって初めて笑いが生まれます。島田さんのように長い経験を持つ座員は、舞台全体の流れを支える存在でもあります。
島田さんの出演歴を知りたい人は公式プロフィールの代表作品を、現在の活動を知りたい人は吉本新喜劇の公演スケジュールを確認すると、情報を混同せずに把握できます。
島田一の介に関するよくある質問(FAQ)
Q1:島田一の介は2026年現在何歳ですか?
A1:1950年5月8日生まれのため、2026年11月5日時点で76歳です。吉本興業の公式プロフィールに掲載された生年月日を基準にしています。
Q2:島田一の介の本名は何ですか?
A2:楠正泰(くすのき・まさやす)と紹介されています。芸名は島田一の介です。
Q3:島田一の介の師匠は誰ですか?
A3:島田洋之介さんと今喜多代さんです。1971年に入門し、その後、師匠の紹介で吉本新喜劇へ進みました。
Q4:島田一の介の代表ギャグは何ですか?
A4:「ダメよダメよ、ダメなのよ~」です。森進一さんの「年上の女」の歌詞から着想を得たもので、本人は30年以上続けてきたと2019年の取材で説明しています。
Q5:島田一の介は現在も吉本新喜劇に出演していますか?
A5:はい。2026年11月5日のなんばグランド花月公演や、11月14日・15日のBSよしもと公演に出演者として掲載されています。
Q6:島田一の介の出身地はどこですか?
A6:愛媛県宇和島市です。吉本興業の公式プロフィールにも記載されています。
まとめ:島田一の介は76歳の現在も舞台で活躍する吉本新喜劇のベテラン
島田一の介さんは、1950年5月8日生まれ、愛媛県宇和島市出身の喜劇俳優です。2026年11月5日時点で76歳。本名は楠正泰と紹介され、1971年に島田洋之介・今喜多代へ入門しました。
若い頃は新喜劇への憧れを胸に会社勤めを経験し、漫才師の弟子入りを経て舞台の世界へ進みました。その後は新喜劇を離れた時期もありましたが、地方巡業などを経て復帰。長い芸歴の中で、悪役や父親役、アドリブを生かした役柄などを演じてきました。
代表ギャグの「ダメよダメよ、ダメなのよ~」は、森進一さんの楽曲から着想を得たものです。長年続けてきたギャグが観客や共演者との掛け合いによって育ち、現在も島田さんを象徴する芸として知られています。
2026年も吉本新喜劇の公演やテレビ出演が確認でき、現役で活動を続けています。76歳という年齢だけでなく、1971年から積み重ねてきた舞台経験や、周囲の演者と笑いを作る技術こそ、島田一の介さんの大きな魅力です。
今後の出演情報を確認する際は、吉本興業の公式プロフィール、吉本新喜劇の公演スケジュール、出演番組の公式情報を基準にすると、最新の活動を正確に把握できます。
主な参照資料・確認先
- 吉本興業「島田一の介 公式プロフィール」:生年月日、出身地、入門年、代表作品。
- MBS「よしもと新喜劇 座員紹介・島田一の介」:若い頃、師匠、初舞台、ギャグ、芸歴の転換点。
- デイリースポーツ(2019年3月24日):代表ギャグの由来と日本エレキテル連合との比較。
- 吉本新喜劇公式公演スケジュール:2026年11月の出演情報。
- ABCテレビ「なるみ・岡村の過ぎるTV」2026年4月27日放送記録。
- 大阪府立上方演芸資料館「島田洋之介・今喜多代」:師匠の経歴と弟子の関係。