【2026年最新】把瑠都は現在何してる?輸入会社・ホテル・相撲道場を経営
2026年5月16日放送のテレビ朝日系『鶴瓶孝太郎 スターの今を大調査!』にVTR出演した把瑠都は、現在の仕事について具体的に明かした。翌17日にはスポニチやORICON NEWSも、その近況を報じている。

番組で紹介された現在の活動は、大きく分けて3つある。輸入会社の経営、エストニアでのホテル運営、そして子どもたちへの相撲指導だ。
1. 2016年から輸入会社を経営
把瑠都は現役引退後、すぐに別の仕事へ飛び込んだわけではない。引退後の約2年間、輸入に関する知識を学び、2016年から輸入事業を始めた。
取り扱う商品は、欧州を中心とした世界各地の魚や菓子、酒など。海外の商品を日本へ届けるビジネスを展開している。
本人が掲げる事業の背景には、日本と母国エストニアを結びたいという思いがある。相撲によって日本で知名度を築いた経験を、今度は経済活動や文化交流に生かそうとしているのだ。
「相撲を引退してエストニアと日本の架け橋として、もっと何かできることはないかなと思ったんです」
出典:2026年5月16日放送のテレビ朝日系番組での発言として、スポニチが報道。
現役時代に築いた日本での人脈と、エストニア出身という背景。その両方を生かせる輸入業は、把瑠都にとって自然なセカンドキャリアだったと考えられる。
2. 母国エストニアでホテル経営
輸入事業と並行して取り組んでいるのが、エストニアでのホテル経営だ。
2026年5月の報道によると、把瑠都は母国で地元観光客向けのホテルも運営している。相撲の現役時代には日本を生活の拠点としていたが、引退後は母国とのつながりをビジネスという形で深めている。
エストニアはバルト海沿岸に位置する北ヨーロッパの国で、首都タリンには旧市街を中心とした観光資源がある。把瑠都の出身地ラクヴェレも同国に位置する。
ただし、ホテルの名称、所在地、客室数、宿泊料金、売上高などは、2026年5月の報道では具体的に公表されていない。ホテル経営を行っていることと、事業の詳細がすべて公開されていることは分けて理解したい。
3. 相撲道場を開き、約120人の子どもを指導
実業家としての活動と並んで興味深いのが、相撲の普及活動だ。
把瑠都はエストニアで自身の道場を運営し、子どもたちに相撲を教えている。2026年5月のテレビ出演では、生徒数について「120人くらい」と説明した。
相撲を教える理由は、単に自分が長年取り組んできた競技だからというだけではない。勝ち負けが明確で、ルールも比較的理解しやすい競技として、ヨーロッパでも人気があると紹介している。
日本の大相撲で培った経験を、母国の子どもたちへ伝える。これは現役時代に掲げた「日本とエストニアの架け橋」という考え方を、スポーツ教育の分野で実践している活動でもある。
なお、ここでいう約120人は道場で相撲を学ぶ生徒の人数であり、把瑠都自身の子どもの人数ではない。
【大相撲時代】把瑠都の成績と大関昇進、2012年初場所の初優勝
元大関・エストニア出身
- 本名:カイド・ホーヴェルソン
- 生年月日:1984年11月5日
- 出身地:エストニア・ラクヴェレ
- 身長:198cm
- 最高位:大関
- 得意技:右四つ・寄り・投げ
把瑠都の本名はカイド・ホーヴェルソン。日本相撲協会の公式プロフィールにも、出身地や生年月日、力士としての戦歴が記録されている。
198cmという恵まれた体格と、相手を圧倒するパワーを武器に出世。外国出身力士の中でも、とりわけ強烈な存在感を放った。
大相撲での主な記録
日本相撲協会の公式記録によると、把瑠都の主な戦績は次のとおりだ。
幕内最高優勝
十両優勝
幕下優勝
敢闘賞
殊勲賞・技能賞
把瑠都の経歴を時系列で整理
この経歴で注目したいのは、大関昇進から幕内初優勝までのスピード感だ。日本相撲協会の記録では、2010年5月場所に大関へ昇進。外国出身の力士として、エストニアから大関まで上り詰めた。
大関在位は15場所。大関戦歴は133勝69敗23休で、幕内でも330勝を記録している。単に体格に恵まれた力士というだけではなく、長期間にわたって上位で結果を残した実力者だった。
参考:日本相撲協会「歴代大関・把瑠都凱斗」「力士プロフィール」
2012年初場所で達成した歴史的な初優勝
把瑠都の現役時代を語るうえで外せないのが、2012年1月の初場所だ。
当時の把瑠都は大関として出場。初日から連勝を重ね、13日目に白鵬が敗れたことで、把瑠都の幕内初優勝が決定した。最終成績は14勝1敗。エストニア出身力士として初めての幕内最高優勝だった。
日本出身ではない力士が日本の国技で頂点に立つことは、当時の相撲界にとっても大きな出来事だった。把瑠都の優勝は、エストニアという国の名前を日本の相撲ファンに広く知らしめるきっかけにもなった。
ただし、優勝したからといって自動的に横綱になれるわけではない。横綱昇進には審議と推薦が必要であり、初優勝後の春場所では綱取りに挑んだものの、横綱昇進には届かなかった。
2012年初場所の優勝は、把瑠都にとって最高の栄光であると同時に、横綱という次の目標を強く意識させた節目でもあった。
【引退理由】2013年の左膝負傷と大関陥落の経緯
把瑠都が引退した最大の理由は、左膝の深刻な故障だった。2013年9月11日、日本相撲協会に引退届を提出。28歳という若さで土俵を去った。
左膝の前十字靱帯と半月板を損傷
決定的な負傷が起きたのは、2013年5月の夏場所7日目、稀勢の里との一番だった。
取組で寄り倒された際に、以前から問題を抱えていた左膝を悪化させた。報道によると、診断は前十字靱帯および半月板の損傷。相撲の基本動作である踏ん張りや、相手の体重を受け止める動きに大きな影響を与える負傷だった。
名古屋場所前には、すり足やてっぽうができる程度まで回復したものの、実戦に必要な強度の稽古には戻れなかった。
2013年9月の引退会見では、土俵に立てない状態について説明し、故障からの回復が難しいことを明かした。
「悲しいけれど、ケガが治らないので土俵には立てませんでした」
出典:2013年9月11日、引退会見に関するデイリースポーツの報道。
左膝だけではなかった大関陥落までの故障
把瑠都は2013年に突然故障したわけではない。2012年秋場所では右足親指の剥離骨折、続く九州場所では左太もも裏の肉離れなど、複数の負傷に苦しんでいた。
2場所連続で負け越したため、2012年11月場所を最後に大関から陥落。2013年夏場所では関脇として再起を目指したが、左膝の損傷によって再び休場を余儀なくされた。
その後、名古屋場所を全休し、秋場所では十両まで番付を下げた。大関経験者としての実績があっても、相撲は身体の状態が整わなければ続けられない。最終的に、回復の見通しが立たず引退を決断した。
引退の背景を理解するうえで大切なのは、単純に成績が落ちたからではないという点だ。持ち味だった圧倒的なパワーを土俵上で発揮するためには、膝に大きな負荷がかかる。その競技特性と故障が重なったことが、現役続行を難しくした。
【引退後の転身】RIZIN挑戦からエストニア国会議員まで
把瑠都は大相撲を引退した後も、日本との関係を断ち切ったわけではない。タレント活動や格闘技への挑戦、政治活動など、複数の分野に進出している。
RIZINでピーター・アーツや藤田和之と対戦
大相撲引退後の大きな挑戦が、総合格闘技イベントRIZINへの参戦だった。
2015年大晦日の大会では、キックボクシング界のレジェンドとして知られるピーター・アーツと対戦して勝利。2016年には無差別級トーナメントに参加し、藤田和之、高阪剛を相手に勝利を収めた。
しかし、2016年12月31日の準決勝では、ミルコ・クロコップに敗れている。元大関の体格とパワーは格闘技でも大きな武器になったが、相撲とは異なる競技であるMMAでは、打撃や寝技への対応も求められた。
RIZINでの挑戦は、相撲だけにとどまらない身体能力と、新しい競技に挑む姿勢を示したものだった。
2019年から2023年までエストニア国会議員
もう一つの大きな転身が政治の世界だ。
把瑠都は母国エストニアへ戻り、政治活動にも取り組んだ。エストニア国会の公式議員プロフィールには、カイド・ホーヴェルソンの名前が掲載され、第14期国会の議員として活動した記録が残っている。
同プロフィールによると、国会議員としての在任は2023年4月1日まで。したがって、2026年現在も現職の国会議員であるという理解は正しくない。
また、議員プロフィールには、相撲経験を母国で生かす活動として、エストニア相撲協会の副会長やスポーツクラブのコーチとしての経歴も記載されている。
スポーツ選手から政治家へ、そして実業家へ。把瑠都の歩みは、現役時代に築いた知名度を、母国での社会活動に結びつけてきた経歴でもある。
出典:エストニア国会公式サイト「Members of the Riigikogu – Kaido Höövelson」。
2025年にはBreakingDownにも出場
格闘技への挑戦はRIZINだけでは終わらなかった。2025年7月13日のBreakingDown16では、赤沢幸典とキックルールで対戦。判定0対5で敗れている。
この試合は、元大関が再び格闘技イベントのリングに上がったという点で話題になった。2026年の事業活動と並べて考えると、把瑠都は相撲指導や経営だけに活動を限定してきたわけではないことが分かる。
ただし、2025年の試合出場を、そのまま2026年も継続的にプロ格闘家として活動している証拠とすることはできない。2026年に具体的に紹介された中心的な仕事は、輸入事業、ホテル経営、相撲指導である。
【プロの結論】把瑠都の現在から見える元大関のセカンドキャリア
把瑠都の引退後の人生を振り返ると、単なる元スポーツ選手の転職とは異なる特徴がある。それは、相撲で得た経験、海外出身という背景、日本で築いた人脈を、それぞれ別の仕事につなげていることだ。
競技経験をビジネスへ転換したこと
現役時代は、相撲という一つの競技に自分の身体能力を集中させていた。しかし、引退後は輸入事業というまったく異なる分野に挑戦した。
約2年間の学習期間を経て2016年に事業を開始したという経緯は、競技引退後に新しい専門知識を身につけることの重要性を示している。知名度だけに頼らず、事業に必要な知識を学んでから経営に取り組んだ点は注目に値する。
日本とエストニアの両方に価値を生み出す活動
輸入会社は海外の商品を日本へ届ける仕事であり、ホテル経営は母国の観光需要に関わる仕事だ。相撲道場では日本の伝統競技をエストニアの子どもたちに伝えている。
この3つの活動には共通点がある。いずれも日本とエストニアという2つの国を結びつける役割を持っていることだ。
把瑠都にとって日本は、単に大相撲で成功した国ではない。長く生活し、仕事をし、人間関係を築いてきた場所でもある。その経験を母国に持ち帰り、ビジネスや教育に活用している点に、引退後のキャリアの特徴がある。
把瑠都の現在を調べる際に知っておきたい3つの誤解
誤解1:現在もエストニアの国会議員なのか?
国会公式プロフィールでは2023年4月1日までの在任記録。2026年は議員としての現職ではない。
誤解2:引退理由は単なる大関陥落なのか?
主な理由は左膝の前十字靱帯・半月板損傷。大関陥落は故障が続いた結果の一つ。
誤解3:現在は格闘技だけをしているのか?
2026年5月に紹介された主な活動は、輸入会社の経営、ホテル経営、子どもへの相撲指導。
人物の現在を調べる際は、過去の肩書と現在の職業を混同しないことが大切だ。把瑠都の場合、国会議員やRIZIN出場は過去のキャリアであり、2026年の近況として紹介されたのは実業家と相撲指導者としての活動である。
【把瑠都凱斗の現在】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:把瑠都は2026年現在、何をしていますか?
A1:輸入会社の経営、母国エストニアでのホテル経営、相撲道場での子どもたちへの指導に取り組んでいると、2026年5月のテレビ出演で紹介されました。
Q2:把瑠都の本名は何ですか?
A2:カイド・ホーヴェルソンです。エストニア出身で、1984年11月5日生まれです。
Q3:把瑠都の大相撲での最高成績は?
A3:最高位は大関で、幕内最高優勝は1回です。2012年初場所では14勝1敗で初優勝を達成しました。
Q4:把瑠都の引退理由は何ですか?
A4:2013年夏場所の稀勢の里戦で悪化した左膝の故障です。前十字靱帯と半月板を損傷し、十分な稽古や実戦復帰が難しくなったため、同年9月11日に引退しました。
Q5:把瑠都は現在もエストニアの国会議員ですか?
A5:いいえ。エストニア国会の公式プロフィールによると、議員としての在任は2023年4月1日までです。
Q6:把瑠都はRIZINに出場したことがありますか?
A6:あります。2015年大晦日にピーター・アーツと対戦し、2016年には藤田和之、高阪剛、ミルコ・クロコップらと対戦しました。2025年にはBreakingDown16にも出場しています。
Q7:把瑠都はエストニアで何人の子どもに相撲を教えていますか?
A7:2026年5月のテレビ出演では、道場の生徒数について約120人と説明しています。
まとめ:把瑠都は元大関から実業家・相撲指導者へ
把瑠都凱斗は、2010年の大関昇進、2012年初場所の幕内初優勝という輝かしい実績を残した元力士だ。2013年には左膝の深刻な故障によって28歳で引退したが、その後も新しい分野に挑戦し続けてきた。
RIZINでの格闘技挑戦、エストニア国会議員としての政治活動を経て、現在は輸入会社の経営、母国でのホテル運営、子どもたちへの相撲指導に力を注いでいる。
2026年5月に明らかになった近況で印象的なのは、約120人の子どもたちに相撲を教えていることだ。かつて日本の土俵で培った技術や経験が、今度はエストニアの次世代へ受け継がれようとしている。
大関として横綱には届かなかったものの、把瑠都の人生は2013年の引退で終わらなかった。日本とエストニアをつなぐ実業家、そして相撲の魅力を伝える指導者として、第二のキャリアを築いている。
力士としての成績だけでなく、引退後にどのような価値を社会へ提供しているのか。その視点で見ると、把瑠都の現在は、スポーツ選手のセカンドキャリアを考えるうえでも興味深い事例である。 (出典: 把 瑠都 凱 斗(Yahoo!ニュース))