上島竜兵と有吉弘行の絆とは?竜兵会から不遇時代、2026年最新動向まで徹底解説
上島竜兵と有吉弘行は、単なる芸能界の先輩と後輩ではありません。ダチョウ倶楽部の上島竜兵は、猿岩石として一世を風靡した後、仕事が激減して苦しんでいた有吉弘行を支えた恩人です。二人の関係を語るうえで欠かせないのが、上島を中心に結成された芸人仲間の集まり「竜兵会」。飲み会を通じて育まれた交流は、有吉の芸人人生にも大きな影響を与えました。
2022年5月11日に上島が61歳で亡くなった後、有吉はラジオ番組『有吉弘行のSUNDAY NIGHT DREAMER』で、亡くなった日の最後の対面や葬儀での出来事を涙声で語りました。2026年には上島の四回目の命日やダチョウ倶楽部の40周年感謝祭でも、その存在の大きさに触れています。二人の出会いから不遇時代のエピソード、追悼の言葉、2026年の最新動向まで整理します。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 二人の関係:上島竜兵は有吉弘行が仕事に恵まれなかった時代を支えた、芸人としても人生においても大切な恩人。
- 竜兵会の絆:土田晃之や劇団ひとりらが集まる交流の場で、飲み代や生活面の援助だけでなく、芸人同士のつながりを築いた。
- 最後の対面:2022年5月15日のラジオで、有吉は亡くなった日の夕方に二人きりで対面し、感謝の言葉しか出なかったと明かした。
- 2026年の最新情報:命日のX投稿や5月25日のダチョウ倶楽部40周年感謝祭でも、上島の存在が改めて語られた。
【関係性の真相】上島竜兵と有吉弘行は先輩後輩を超えた恩人と親友だった
上島竜兵と有吉弘行の関係は、同じ太田プロダクションに所属する先輩と後輩という立場から始まりました。しかし、二人の間には通常の上下関係だけでは説明できない親密さがありました。
上島は後輩芸人をかわいがる面倒見のよい人物として知られ、有吉もまた、上島を深く慕っていました。テレビやラジオでは上島を遠慮なくいじる有吉の姿が見られましたが、その裏側には強い信頼と感謝がありました。
猿岩石のブレーク後、有吉を支えた上島
有吉弘行は1996年、日本テレビ系の『進め!電波少年』でのヒッチハイク企画をきっかけに、猿岩石として爆発的な人気を獲得しました。帰国後には歌手活動などでも注目され、一躍人気芸人となります。
ところが、ブームが落ち着くと仕事は激減。かつての人気が嘘のように、芸能界で居場所を見つけられない時期を過ごしました。
その頃、有吉に居場所を提供したのが上島でした。仕事がない後輩を飲み会に誘い、ほかの芸人との交流をつくり、芸人として活動を続けられる環境を整えていったのです。
2022年5月12日付のスポニチアネックスは、上島が有吉に会うたび500円を渡していたことや、飲み代、帰りのタクシー代などを後輩たちのために負担していたことを報じています。
上島が与えたものは、お金だけではありません。仕事がない時期にも自分を必要としてくれる仲間がいるという安心感、そして芸人としてのつながりを保てる場所でした。
二人で酒を飲みながら涙した忘れられないエピソード
二人の関係を象徴するエピソードとして知られるのが、仕事に恵まれなかった時期に一緒に飲んでいた際の出来事です。
2014年にテレビ朝日系『マツコ&有吉の怒り新党』で有吉が語った思い出として、週刊女性PRIMEなどが紹介したのが、上島からかけられた言葉でした。
「俺はおまえのことが好きだ。それなのになんで仕事がないんだ?」
上島は有吉のことを本気で心配し、涙を流したといいます。有吉もその場で涙を流したとされ、当時の心境について、長く抱えていた鬱屈が解放され、上島から唯一、愛情を感じたという趣旨の話をしています。
芸人として売れているかどうかではなく、一人の人間として有吉を認めていた上島。その気持ちが有吉の心に深く残ったのでしょう。
この出来事から見えてくるのは、上島が有吉を単なる後輩として扱っていたわけではないということです。仕事がなくても、人気がなくても、一緒にいたいと思える仲間として接していました。
【竜兵会の全貌】メンバーは誰?有吉・土田晃之・劇団ひとりとの交流
二人の関係を理解するうえで重要なのが「竜兵会」です。
竜兵会とは、ダチョウ倶楽部の上島竜兵を中心に、太田プロダクションの後輩芸人や親交のある芸人たちが集まっていた飲み会のことです。正式な芸能団体というよりも、上島を慕う仲間たちによる交流の場でした。
竜兵会が生まれたきっかけ
2021年9月のFRIDAYによる還暦インタビューで、上島は竜兵会をつくったきっかけについて語っています。
ダウンタウンが番組収録後に後輩芸人を食事に誘う姿を見て、うらやましいと感じたことが始まりでした。そこで、当時まだ売れていなかった後輩たちを誘い、飲み会を開くようになったのです。
スポニチアネックスの2022年5月12日付の記事では、1990年ごろに上島が後輩芸人を集めて草野球チームを結成し、2試合ほどで解散した後も飲み会が続いたという経緯が紹介されています。
上島本人のインタビューと報道を合わせると、後輩と食事をしたいという思いが、竜兵会という継続的な交流につながったことが分かります。
竜兵会の主なメンバー
竜兵会には、後にテレビで活躍する芸人が数多く参加していました。テレビ朝日の『アメトーーク!』でも2006年に「竜兵会」が特集され、メンバー同士の関係や上島の人柄が紹介されています。
| 人物 | 上島との関係 | 主なエピソード・特徴 |
|---|---|---|
| 有吉弘行 | 中心的な後輩メンバー | 不遇時代に上島から支援を受け、深い信頼関係を築いた。 |
| 土田晃之 | 竜兵会の主要メンバー | 上島を恩人、親友、兄貴、家族のような存在と語った。 |
| 劇団ひとり | 主要メンバー | 上島との交流が仕事関係者との会話や人脈づくりにもつながった。 |
| デンジャラス | 初期からの交流メンバー | 安田和博やノッチらが参加。安田は後年も有吉のラジオ番組で共演している。 |
| カンニング竹山 | 親交のある芸人 | 竜兵会の関連企画や芸人仲間の交流に参加。 |
| インスタントジョンソン | 交流メンバー | テレビ朝日の竜兵会特集にも名前が掲載された。 |
| 肥後克広 | ダチョウ倶楽部のリーダー | 上島と長年トリオを組み、竜兵会の集まりにも関わった。 |
なお、竜兵会は入会資格や固定された会員名簿を持つ組織ではありません。上記は報道やテレビ番組で確認できる主な参加者です。
有吉が上島の誘いを断らなかった理由
2022年2月、上島はTOKYO FMのラジオ番組『TOKYO SPEAKEASY』で、有吉との飲み会にまつわる思い出を語りました。
上島によると、深夜2時に連絡しても、ほかのメンバーは電話に出ないことがあった一方、有吉だけは応じてくれたそうです。「ダメだったらいいよ」と伝えても、結局は来てくれたと振り返っています。
10日連続で一緒に飲んだこともあり、さすがに10日目には話すことがなくなったという笑い話も残っています。
こうしたエピソードからは、上島が有吉をかわいがっていた一方で、有吉も上島との時間を大切にしていたことが伝わってきます。
【不遇時代の真実】上島竜兵が有吉弘行に与えたものとは?
有吉が再ブレークを果たすまでの時期は、芸人人生における大きな試練でした。猿岩石としての人気を失い、テレビ出演の機会が減少していた有吉にとって、竜兵会は単なる飲み会ではありませんでした。
お金の援助だけではなかった上島の支え
スポニチアネックスの報道によれば、上島は竜兵会の若手メンバーに飲み代やタクシー代を負担し、ときには小遣いも渡していました。
有吉に対しても、会うたびに500円を渡していたと伝えられています。現在の有吉の活躍からは想像しにくいものの、当時は生活面でも厳しい状況に置かれていたのです。
さらに重要なのは、上島が有吉をほかの芸人とつないだことです。竜兵会には仕事が少ない芸人が集まり、互いの近況を話し、笑い合う環境がありました。
有吉にとっては、芸人としての感覚を保ち、人間関係を広げられる貴重な場所だったと考えられます。
上島の愛情を示す有吉の過去の投稿
二人の関係を象徴するものとして、2013年4月に有吉が自身のX(当時のTwitter)に投稿した言葉があります。
「涙をこぼすのは上島さんの葬式だけ。と決めているのだが、年齢のせいか危うい時がある。」
この投稿は、2022年の訃報を受けて改めて注目を集めました。
さらに2014年7月には、上島から「俺の葬式の時には、俺の顔に熱湯をブッかけてくれよ!」と言われたという内容も投稿しています。
有吉は、世間体を考えるとなかなか難しい注文だが、世話になったのでやってみるという趣旨の冗談を返していました。
もちろん、これらは二人の間で交わされた芸人らしい冗談です。しかし、葬式という話題を笑いに変えられるほどの距離感と、長年積み重ねた信頼がうかがえます。
実際に上島が亡くなった後、有吉が涙をこらえながら感謝を語ったことを考えると、2013年の投稿は二人の関係を象徴する記録の一つとなっています。
【2022年5月の出来事】最後の対面・葬儀・サンドリで語った追悼の言葉
2022年5月11日、上島竜兵の訃報が発表されました。所属事務所の太田プロダクションは同日、公式サイトで上島の死去を報告。葬儀については、当時の社会情勢を踏まえて密葬とする予定であると発表しました。
長年交流してきた有吉が上島について初めて本格的に語ったのは、5月15日放送のJFN系ラジオ番組『有吉弘行のSUNDAY NIGHT DREAMER』でした。
亡くなった日の夕方、二人きりで対面していた
有吉はラジオで、上島が亡くなった日の夕方、特別に顔を見せてもらう時間を設けてもらったと明かしました。
周囲の配慮によって二人きりで対面できたといいます。
有吉は、いつものように突っ込んだり、冗談を言ったりしようと思っていたものの、実際には感謝の言葉しか出てこなかったと振り返りました。
「お礼の言葉しか言えなかったね。」「本当にありがとうございますっていうことしかなかった」
この発言はスポニチアネックス、日刊スポーツ、ORICON NEWSなど複数の報道機関が伝えています。
ここで注意したいのは、「最後の対面」という言葉の意味です。報道で確認できるのは、上島が亡くなった後、同日の夕方に有吉が二人きりで顔を合わせたという出来事です。生前の最後の会話や、最後に一緒に過ごした日時について同じ意味で語られているわけではありません。
葬儀では火葬場まで参列し、家族同然の扱いを受けた
有吉は、5月14日に都内で営まれた上島の密葬に参列しました。
葬儀には、妻の広川ひかる、ダチョウ倶楽部の肥後克広と寺門ジモン、そして竜兵会の有吉、土田晃之、劇団ひとりらが参列したと報じられています。
有吉はラジオで、通夜から葬儀、最後の火葬場まで参加させてもらい、家族扱いしてもらったと話しました。
また、葬儀では肥後や寺門、妻のひかるが参列者に声をかけ、悲しみの中でも上島らしい笑いが生まれる場面があったと振り返っています。
特に印象的なのが、出川哲朗が上島の顔を見て泣いていた際、肥後が冗談を交えながら場を和ませようとしていたというエピソードです。
有吉は、最もつらい立場にいる家族やダチョウ倶楽部のメンバーが周囲を気遣っていたことに感謝を示しました。
サンドリで流した中島みゆきの「ホームにて」
5月15日の『有吉弘行のSUNDAY NIGHT DREAMER』では、上島が好きだった中島みゆきの楽曲「ホームにて」が最初の曲として流されました。
番組冒頭では、有吉らしい冗談を交えた会話もありましたが、上島の話題になると声を詰まらせる場面が続きました。
この放送が印象的だったのは、普段は毒舌や軽妙なトークで知られる有吉が、上島への感謝を率直に語ったことです。
長年、上島をいじってきた有吉が、最後の対面では冗談ではなく感謝しか伝えられなかった。その言葉に、二人の関係の深さが表れていました。
【四十九日から2026年最新情報】有吉は今も上島竜兵を忘れていない
上島の死後も、有吉はラジオやSNSを通じて、折に触れて思い出を語ってきました。特に四十九日法要や命日の投稿、2026年のダチョウ倶楽部40周年感謝祭は、二人の関係を振り返るうえで重要な出来事です。
2022年7月2日に四十九日法要が行われた
2022年7月3日放送の『有吉弘行のSUNDAY NIGHT DREAMER』で、有吉は前日の7月2日に上島の四十九日法要に参列したことを報告しました。
日刊スポーツの2022年7月4日付の記事によれば、有吉は法要を終えた心境について、時間が経つのは早いと感じる一方で、まだまだという思いもあると語っています。
法要では、参列した松村邦洋の焼香にまつわるエピソードも話題になりました。葬儀の際に焼香の作法が分からなかった松村について、お坊さんが法要でも気遣う場面があったと有吉は笑いを交えて紹介しています。
この話からも、上島を送る場に集まった芸人たちが、悲しみの中にも笑いを大切にしていた様子が伝わります。
2023年の一周忌以降も続く竜兵会の交流
2023年5月には、有吉が自身のXで肥後克広の還暦祝いと、上島の一周忌延長戦を行ったことを報告しました。
投稿では、肥後、土田晃之、デンジャラスの安田和博、マシンガンズらとの写真も公開されています。
上島が亡くなった後も、竜兵会の仲間たちが集まり、上島との思い出を共有する時間を持っていたことが分かります。
2025年5月11日、三回目の命日に有吉が語ったこと
2025年5月11日、上島の命日には、有吉がXで「もう三年まだ三年」と投稿しました。
同日のラジオでも上島について触れ、ファンに対して、たまに名前を出して手を合わせてあげてほしいという趣旨の言葉を伝えています。
この発言は、故人を思い出すことそのものを大切にしている有吉の姿勢を示すものとして報じられました。
2026年5月11日、四回目の命日に「母と竜に献杯」
2026年5月11日、上島の四回目の命日に、有吉は自身のXを更新しました。
「母と竜に献杯。という理由でしっかり飲んでます。感謝」
ORICON NEWSが2026年5月12日に報じた内容によると、有吉はこの投稿で、上島への思いを改めて表現しました。
短い言葉ではありますが、命日に献杯し、感謝を伝えるという行動には、上島との関係が今も有吉の中に残っていることが表れています。
2026年5月25日、ダチョウ倶楽部40周年感謝祭で改めて語られた存在の大きさ
2026年の大きな出来事として、5月25日に東京国際フォーラムで開催された「ダチョウ倶楽部40周年感謝祭 みんな仲良く くるりんパーティー!」があります。
このイベントでは、有吉弘行、劇団ひとり、野呂佳代がMCを担当。肥後克広と寺門ジモンを中心に、出川哲朗、爆笑問題、江頭2:50、霜降り明星の粗品ら、多くの関係者が出演しました。
2026年6月1日付の日刊スポーツの報道によれば、5月31日放送の『有吉弘行のSUNDAY NIGHT DREAMER』で、有吉はイベントを振り返り、ダチョウ倶楽部は3人で一つであり、上島がフロントマンだったと説明しました。
さらに、上島をいじることがトリオの笑いの基本構造だったという趣旨の話をしています。
この発言は、上島が単に3人組の一員だっただけでなく、ダチョウ倶楽部の笑いを成立させる中心的な存在だったことを示しています。
2026年6月6日付のTOKYO FM+でも、同イベントを振り返る有吉のラジオでの発言が紹介されました。上島が不在となった後も、かつてのトリオの芸や関係性が、周囲の芸人たちによって受け継がれていることが分かります。
2026年11月現在、二人の関係を考えるうえで注目すべきなのは、過去の思い出だけではありません。ダチョウ倶楽部の節目の舞台でも、有吉が上島の存在を中心に語っていることです。

【誤解を検証】上島竜兵と有吉弘行の関係で知っておきたい事実
二人の関係は、感動的なエピソードが多い一方、ネット上では話が簡略化されたり、事実と異なる解釈が広がったりすることもあります。特に最後の対面や竜兵会の実態については、報道された内容を整理することが大切です。
最後の対面は生前の最後の会話だったのか?
広く報じられている最後の対面は、2022年5月11日の夕方、上島が亡くなった後に設けられた時間です。
有吉が二人きりで顔を見せてもらい、感謝の言葉しか出なかったとラジオで説明しています。生前の最後の会話については、同じ出来事として扱うことはできません。
竜兵会は有吉のためだけに作られたのか?
竜兵会は、有吉だけを支援するための集まりではありません。上島がまだ売れていなかった後輩芸人たちを誘い、交流を深めるために始めた会です。
土田晃之や劇団ひとり、デンジャラスなど、さまざまな芸人が参加していました。有吉はその中でも上島との結びつきが特に強かったメンバーの一人です。
上島は有吉に金銭的な援助だけをしていたのか?
金銭的な支援は報道されていますが、それが二人の関係のすべてではありません。上島は有吉を飲み会に誘い続け、仕事がない時期にも芸人仲間との交流を保てるようにしていました。
有吉自身も上島の誘いを断らず、深夜でも会いに行く関係でした。金銭的な援助だけでは説明できない、長年の付き合いと相互の信頼があったのです。
【よくある質問】上島竜兵と有吉弘行の関係に関するFAQ
Q1:上島竜兵と有吉弘行はどのような関係でしたか?
A1:同じ太田プロダクションに所属する先輩と後輩であり、竜兵会を通じて親交を深めた関係です。上島は有吉の不遇時代を支えた恩人で、有吉は上島を深く慕っていました。
Q2:有吉弘行が売れない時代に上島竜兵から受けた支援は?
A2:飲み会への誘いや芸人仲間との交流の機会に加え、飲み代、タクシー代、小遣いなどの支援が報じられています。会うたびに500円を渡していたというエピソードも知られています。
Q3:竜兵会の主なメンバーは誰ですか?
A3:有吉弘行、土田晃之、劇団ひとり、デンジャラス、カンニング竹山、インスタントジョンソンなどです。上島竜兵を中心に、親交のある芸人たちが集まっていました。
Q4:有吉弘行は上島竜兵の最後の対面について何と語りましたか?
A4:2022年5月15日のラジオで、上島が亡くなった日の夕方に二人きりで対面したことを明かしました。冗談を言うつもりだったものの、実際には「お礼の言葉しか出なかった」と語っています。
Q5:有吉弘行は上島竜兵の葬儀に参列しましたか?
A5:参列しています。2022年5月14日に都内で営まれた密葬に出席し、通夜、葬儀、火葬場まで参加したと翌15日のラジオで明かしました。
Q6:上島竜兵の四十九日法要に有吉弘行も参加しましたか?
A6:参加しています。2022年7月2日に行われた四十九日法要について、翌3日の『有吉弘行のSUNDAY NIGHT DREAMER』で有吉本人が報告しました。
Q7:2026年現在、有吉弘行は上島竜兵について何か発信していますか?
A7:2026年5月11日の四回目の命日にXで献杯について投稿しました。また、同年5月25日のダチョウ倶楽部40周年感謝祭を振り返ったラジオでも、上島がトリオの中心だったことを語っています。
【プロの結論】上島竜兵と有吉弘行の絆が今も語り継がれる理由
上島竜兵と有吉弘行の関係を振り返ると、二人の絆を支えていたものは、単なる先輩後輩という立場でも、金銭的な援助でもなかったことが分かります。
上島は、猿岩石のブームが去り、芸人として苦しんでいた有吉を飲み会に誘い続けました。仕事がない時期にも居場所をつくり、一人の芸人として認め、愛情を注いでいました。
一方の有吉も、上島との交流を大切にし、深夜の誘いにも応じ、長年にわたって関係を続けてきました。上島の冗談を受け止め、ときには厳しくいじりながら、芸人同士の笑いを共有していたのです。
そして2022年5月15日、有吉がラジオで語った「お礼の言葉しか出なかった」という言葉が、二人の関係を象徴するものになりました。
2026年のダチョウ倶楽部40周年感謝祭でも、有吉は上島がトリオのフロントマンであり、笑いの中心だったと振り返っています。上島がいなくなった後も、その役割や芸風が仲間たちの中に残っていることを示す出来事でした。
芸能界では、人気が出た後に人脈が広がることは珍しくありません。しかし、上島と有吉の関係が特別なのは、有吉がまだ何者でもなかった時期に、上島が変わらず付き合い続けたことです。
人が本当に苦しいときにそばにいてくれる仲間の存在。そして、相手が成功した後も変わらず笑い合える関係。その積み重ねこそが、二人の絆の本質だったのではないでしょうか。
上島竜兵の存在は、2026年になっても有吉弘行の言葉や行動、そしてダチョウ倶楽部の活動を通じて受け継がれています。二人の関係は、芸人同士の友情がどれほど長く、深く人生に残るものなのかを伝えるエピソードとして、これからも語り継がれていくはずです。
(出典: 上島 竜 兵 有吉(Yahoo!ニュース))