【若い頃の代表作】『外郎売』『勧進帳』で見せた実力
市川團十郎さんの若い頃を語るうえで欠かせないのが、歌舞伎の代表的な演目における活躍です。
見た目の華やかさだけでなく、若い時期から難しい役柄に挑戦してきたことが、現在の評価につながっています。
『外郎売』の貴甘坊:歌舞伎人生の原点
1985年の初舞台で演じたのが、『外郎売』の貴甘坊です。
『外郎売』は、早口言葉としても知られる長いせりふが特徴的な演目です。言葉のリズムや明瞭な発声、舞台上での存在感が求められます。
團十郎さんにとって、この作品は七代目市川新之助としての出発点でした。
『勧進帳』の弁慶:1999年の大きな転機
1999年1月、浅草公会堂で『勧進帳』の弁慶を初役で勤めました。
弁慶は、歌舞伎の中でも特に存在感と演技力が求められる役です。大きな声量、身体表現、せりふ回しなど、総合的な力量が問われます。
この舞台は高い評価を受け、2000年には第7回読売演劇大賞の杉村春子賞を受賞しました。同年度には芸術選奨文部科学大臣新人賞も受賞しています。
若手俳優として注目される段階から、歌舞伎界を代表する役者へと成長する重要な時期でした。
『源氏物語』の光源氏:父や祖父から受け継ぐ役
2000年5月には、歌舞伎座で『源氏物語』の光源氏を初役で演じています。
光源氏は、容姿の美しさだけでなく、人物の内面や繊細な感情表現も必要とされる役です。
父や祖父も演じてきた役を受け継いだことは、成田屋の芸の継承という観点でも意味があります。
『助六由縁江戸桜』の助六:若き海老蔵の代表的な役
歌舞伎十八番の一つである『助六由縁江戸桜』も、團十郎さんの芸歴を語るうえで重要です。
2000年には新橋演舞場で戦後最年少の助六を勤めたと、歌舞伎俳優名鑑に記録されています。
助六は、江戸の粋や華やかさ、堂々とした立ち居振る舞いが求められる役柄です。
この経験は、2004年の海老蔵襲名、さらに後年の團十郎襲名へと続く芸歴の中でも大きな意味を持っています。
【父は十二代目市川團十郎】成田屋の名跡を受け継いだ背景
市川團十郎さんの若い頃を理解するには、父である十二代目市川團十郎さんの存在も欠かせません。
父・十二代目市川團十郎とは?
父は、1946年8月6日生まれの十二代目市川團十郎さんです。
本名は堀越夏雄。若い頃には十代目市川海老蔵を名乗り、1985年に十二代目市川團十郎を襲名しました。
2013年2月3日に亡くなっています。
父もまた、歌舞伎の名門・成田屋を背負い、伝統的な演目を数多く演じた俳優でした。
父から受け継いだものは芸名だけではない
市川團十郎という名前は、単なる芸名ではありません。
歌舞伎十八番をはじめとする市川團十郎家の芸、荒事の様式、舞台に立つ役者としての責任など、長い歴史を背負う名跡です。
特に荒事は、力強い動きや誇張された表現によって人物の強さを表す歌舞伎の様式です。
『暫』や『助六由縁江戸桜』などは、市川團十郎家との関係が深い演目です。
2019年の襲名発表時、海老蔵さんは團十郎という名跡の重さについても語っていました。父や祖父が築いてきた芸を継承しながら、自分の時代にふさわしい團十郎像を築くことが大きな課題となっていました。
「白猿」という名前に込められた意味
十三代目の正式な名乗りは、十三代目市川團十郎白猿です。
この「白猿」は、代々の團十郎家に関係する俳名に由来します。
歌舞伎美人の襲名発表記事では、先代や祖先の名人にまだ及ばないという謙虚な気持ちも込められていると紹介されています。
つまり、團十郎という大名跡を受け継いだからといって、完成した役者になったという意味ではありません。
むしろ、先人の芸に近づくために精進を続けるという姿勢を示す名前でもあります。
【2026年現在48歳】十三代目市川團十郎の現在と活動
市川團十郎さんは、2026年11月6日現在48歳です。
1977年12月6日生まれのため、2026年12月6日に49歳を迎えます。
2022年の襲名から4年が経過し、現在は十三代目市川團十郎白猿として成田屋の芸を担っています。
2026年の舞台活動
成田屋の公式公演スケジュールでは、2026年の活動として次の公演が掲載されています。
| 時期 | 公演 | 内容 |
|---|---|---|
| 2026年10月3日~25日 | 市川團十郎特別公演・南座 | 『勧進帳』など |
| 2026年11月6日~7日 | 壇ノ浦歌舞伎 | 『延年の舞』『連獅子』 |
| 2026年12月2日~25日 | 十二月大歌舞伎・歌舞伎座 | 『身替座禅』『与話情浮名横櫛』 |
2026年11月6日時点の公式公演情報に基づく内容です。
特に注目したいのは、『勧進帳』や『連獅子』といった古典演目を現在も舞台活動の中心に据えていることです。
若い頃に取り組んだ演目を、現在の経験と芸の成熟を重ねながら演じることには、襲名後ならではの意味があります。
2022年の襲名で変わったこと
海老蔵時代と團十郎時代の大きな違いは、背負う名跡の役割です。
海老蔵時代には、自身の個性や表現力を前面に出した舞台活動も目立ちました。
一方、團十郎襲名後は、成田屋の伝統と市川團十郎家の歴史を次世代につなぐ役割が、より明確になっています。
長男の市川新之助さんも2022年に初舞台を踏んでおり、親子二代で名跡を受け継ぐ姿も注目されています。
【市川團十郎の若い頃】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:市川團十郎は若い頃、何という名前で活動していましたか?
A1:1985年に七代目市川新之助を襲名し、2004年5月に十一代目市川海老蔵、2022年11月に十三代目市川團十郎白猿を襲名しました。
Q2:市川團十郎の初舞台は何年ですか?
A2:1985年5月です。歌舞伎座の『外郎売』で貴甘坊を演じ、七代目市川新之助として初舞台を踏みました。1983年5月の『源氏物語』での初お目見得とは別の出来事です。
Q3:市川團十郎が若い頃に演じた有名な役は何ですか?
A3:『勧進帳』の弁慶、『源氏物語』の光源氏、『助六由縁江戸桜』の助六などです。特に1999年の弁慶初役は、その後の評価につながる重要な舞台でした。
Q4:市川團十郎の父親は誰ですか?
A4:父親は十二代目市川團十郎さんです。父も十代目市川海老蔵を名乗っており、1985年に十二代目市川團十郎を襲名しました。
Q5:市川團十郎は2026年現在何歳ですか?
A5:1977年12月6日生まれで、2026年11月6日現在48歳です。2026年12月6日に49歳になります。
Q6:市川團十郎の若い頃の写真や画像はどこで見られますか?
A6:成田屋の公式サイトにあるフォトギャラリーや、歌舞伎俳優名鑑の舞台写真が参考になります。また、2003年の写真集『SHINNOSUKE』や2004年の十一代目襲名記念写真集も、当時の姿を知る資料です。
Q7:市川團十郎が十三代目を襲名したのはいつですか?
A7:2022年11月です。当初は2020年に予定されていましたが、新型コロナウイルスの影響で延期され、11月7日に歌舞伎座で襲名披露公演が開幕しました。
まとめ:市川團十郎の若い頃から現在までを振り返る
市川團十郎さんの若い頃は、七代目市川新之助として初舞台を踏んだ1985年から、十一代目市川海老蔵として活躍した2004年以降まで、歌舞伎俳優として大きく成長した時代でした。
今回の歩みを整理すると、重要な節目は次のとおりです。
- 1983年: 『源氏物語』の春宮で初お目見得。
- 1985年: 『外郎売』の貴甘坊で七代目市川新之助を襲名。
- 1999年: 『勧進帳』で弁慶を初役。
- 2004年: 十一代目市川海老蔵を襲名。
- 2013年: 自主公演ABKAIを開始。
- 2022年: 十三代目市川團十郎白猿を襲名。
- 2026年: 48歳。團十郎として舞台活動を継続。
【プロの結論】若い頃の写真は芸名と演目をセットで見ると面白い
市川團十郎さんの若い頃を調べる際、単純に顔立ちや髪型の変化だけを見るのはもったいないことです。
おすすめの見方は、1985年の新之助時代、2004年の海老蔵襲名時代、2022年以降の團十郎時代という3段階で写真と舞台を比較することです。
その際、次の3点を意識すると、より深く楽しめます。
1. 顔や表情の変化: 子役時代から青年期、現在までの写真を比較する。
2. 役柄の変化: 貴甘坊から弁慶、助六へと大役を担う過程を追う。
3. 芸名の意味: 新之助、海老蔵、團十郎という名跡の違いを理解する。
市川團十郎さんの魅力は、若い頃の華やかな容姿だけではありません。幼少期から積み重ねてきた舞台経験と、父から受け継いだ伝統を自分の芸として磨き続けていることにあります。
1983年の初お目見得から2022年の襲名、そして2026年の現在へ。 若い頃の写真を振り返ることは、十三代目市川團十郎白猿という歌舞伎俳優の成長と、成田屋の歴史を知ることにもつながります。
主な資料:成田屋公式Webサイト「市川團十郎プロフィール」「公演スケジュール」、松竹「歌舞伎美人」、歌舞伎俳優名鑑「現在の俳優篇」、日本俳優協会。 (出典: 市川 團 十郎 若い 頃(Yahoo!ニュース))