【高校時代】狩野英孝は金髪のビジュアル系バンドマンだった!
狩野英孝の昔の姿で特に話題になるのが、高校時代の金髪ビジュアル系スタイルです。現在の短髪で柔らかな印象とは異なり、当時は金髪に細い眉、マイクを握るミュージシャンらしいファッションが特徴でした。
高校時代はビジュアル系バンドのボーカル
2026年7月10日放送のテレビ朝日系「徹子の部屋」で、狩野は高校時代のバンド活動について振り返りました。
当時所属していたバンドは、フランス語に由来する「ディスインフィクション」という名前。ビジュアル系バンドとして活動し、狩野自身がボーカルを担当していました。
本人によれば、当時は音楽そのものだけでなく、まず格好から入ることにもこだわっていたそうです。金髪に染め、ビジュアル系らしい外見を追求していた背景には、音楽への憧れと、実家の神社を継ぐことへの複雑な気持ちがありました。
狩野は同番組で、神社を継ぐよう求める親からのプレッシャーを避ける意味もあり、派手な髪型やバンド活動に熱中していたと回想しています。単なるファッションへの憧れだけではなく、自分の進路を模索する時期でもあったのです。
狩野英孝の昔の写真はどこで見られる?
高校時代の写真は、狩野本人のオフィシャルブログで公開されたものが、複数の芸能ニュースでも紹介されています。
2017年には、学生時代に過ごした新百合ヶ丘を訪れた際の思い出として、過去の写真を公開。2019年にも同じ写真に関連する話題がABEMA TIMESで取り上げられました。
写真から確認できるのは、主に次のような姿です。
- 16歳ごろ:金髪で細眉、マイクを持ったビジュアル系の姿
- 18歳ごろ:友人とギターを持ち、路上ライブをしていた姿
- 学生時代:ミュージシャンになることを夢見ていた頃の姿
本人は16歳当時の写真を振り返り、自分でも当時の格好を少し恥ずかしく感じていた様子でした。一方、18歳の写真については、ミュージシャンになれるかもしれないと夢を抱いていた頃として紹介しています。
ここで注目したいのは、狩野の音楽活動が一時的な芸人のネタ作りではなかったことです。高校時代から本気で音楽の道を考え、上京後もギターを手放さず、路上ライブを続けていました。
【18歳で上京】日本映画学校への進学と芸人になるまで
狩野英孝は宮城県栗原市で育ち、宮城県の築館高校を卒業後、18歳で上京しました。
ただし、上京当初からお笑い芸人を目指していたわけではありません。本人が2017年のオフィシャルブログで振り返った内容や、TOKYO FMのインタビュー記事によると、当初の目標は俳優になることでした。
2000年、日本映画学校の俳優科へ
狩野が進学したのは、神奈川県川崎市にあった日本映画学校(現在の日本映画大学につながる教育機関)です。
映画監督の今村昌平が関わっていた学校として興味を持ち、親に相談したうえで入学を決めました。2000年に上京し、俳優科で映画や演技について学ぶことになります。
日本映画学校は現在の大学とは異なる専門教育機関であり、狩野は大学ではなく、当時の日本映画学校に通っていました。TOKYO FMの2023年の紹介記事でも、2000年に俳優を志して上京した経緯が整理されています。
新百合ヶ丘で路上ライブを続けていた
日本映画学校時代の狩野は、音楽への夢も持ち続けていました。
日刊スポーツが2023年に報じたエピソードによると、学校帰りにギターを持って新百合ヶ丘で路上ライブをしていた時期があります。
当時は友人との2人組ユニット「セントラルステーション」として活動。週に2日ほどライブを行い、本人の説明では100人以上の観客が集まることもあり、警備員が出るほどの盛況だったそうです。
さらに、同じエリアで活動していた人気グループ・いきものがかりとの当時のエピソードも語っています。学生時代から人前で歌い、観客を集める経験を積んでいたことは、後の50TAとしての活動にもつながる興味深い経歴です。
芸人になるきっかけは学校の友人からの誘い
意外なのは、日本映画学校で学んでいた頃、狩野にはお笑い芸人になるという明確な目標がなかったことです。
2017年12月22日の本人ブログによると、転機になったのは3年生の卒業間際。友人に誘われ、マセキ芸能社のお笑いライブを見に行ったことでした。
そこで目にしたのが、ナイツ、いとうあさこ、パッション屋良らの芸人たちです。舞台で観客を笑わせる姿を見て、狩野は芸人という仕事に魅力を感じるようになりました。
つまり、俳優志望から芸人への転身は、最初から決めていた進路ではなく、学校の仲間との出会いが生んだ方向転換だったのです。
【経歴年表】2003年の芸人デビューまでを時系列で整理
狩野英孝の昔を理解するには、ビジュアル系バンド活動、俳優志望、路上ミュージシャン、芸人デビューという4つの段階を分けて見ると分かりやすくなります。
以下は、本人の発信、所属事務所のプロフィール、報道各社のインタビューをもとにした主な経歴です。
出典:マセキ芸能社公式プロフィール、TOKYO FM、狩野英孝オフィシャルブログ、日刊スポーツ、2026年の各種報道。
この年表から分かるのは、狩野の芸能活動が単純な一発芸から始まったわけではないということです。高校時代の音楽活動、専門学校での演技の勉強、路上ライブでの経験が、それぞれ現在の芸風や表現力につながっています。
【ナルシストキャラ誕生秘話】ラーメン、つけ麺、僕イケメンはどう生まれた?
狩野英孝の知名度を一気に高めたのが、長髪に白いスーツ、胸元の赤いバラというホスト風のスタイルです。
自分をイケメンだと信じて疑わないナルシストキャラクターで、自動車学校の教官やラーメン店員など、さまざまな職業の人物を演じました。
所属事務所のマセキ芸能社も、公式プロフィールで2003年のデビューと、この白スーツ・赤いバラのスタイルを代表的な芸風として紹介しています。
ナルシストは芸人になってから作っただけのキャラではない
2023年のTOKYO FMのインタビューで、狩野は自分のナルシスト気質について、中学生の頃からあったと振り返っています。
本人によると、中学生の頃からサングラスをかけて学校に行くほど、自分の見せ方やファッションにこだわっていました。L'Arc-en-CielやGLAYといったロックバンドの音楽やファッションにも影響を受けていたそうです。
この点は、高校時代のビジュアル系バンド活動とも自然につながります。白スーツのナルシストキャラは、まったく別の人物を演じるというより、昔から好きだったスタイルを芸に取り込んだものだったのです。
意外なヒントは『ちびまる子ちゃん』の花輪くん
2015年にマイナビニュースが報じた本人のエピソードでは、キャラクター作りのヒントとして、漫画『ちびまる子ちゃん』の花輪和彦が挙げられています。
狩野は小学生の頃、ピアノ教室に通っていました。待合室で読んだ漫画をきっかけに『ちびまる子ちゃん』が好きになり、芸人になってネタ作りに悩んだ際、作中の個性的な登場人物に注目したといいます。
特に花輪くんのキザでナルシストな振る舞いに着目し、そこからナルシストがさまざまな職業に就いたらどうなるかというコントを考案しました。
つまり、現在まで知られるキャラクターには、ビジュアル系ロックへの憧れだけでなく、漫画から着想を得てコントに落とし込む発想も関係していたのです。
「ラーメン、つけ麺、僕イケメン!」の本当の誕生経緯
実は、このフレーズは最初から自己紹介用に作られたものではありません。
TOKYO FMのインタビューで狩野が説明したところによると、もともとは「もしもナルシストがラーメン屋の店員だったら」というコントの中に登場する一つのボケでした。
当初はNHKの「爆笑オンエアバトル」でも披露した約4分のネタでしたが、フジテレビ系「爆笑レッドカーペット」では短い時間にまとめる必要がありました。
そこで、ラーメンの種類を説明する長い部分を整理し、印象に残る「ラーメン・つけ麺・僕、イケメン!」という三段構成にしたのです。
放送翌日、街で名前ではなく「僕イケメンの人」と認識されるようになったことから、自己紹介の決めゼリフとして使うようになりました。
2025年10月のTOKYO FM「TOKYO SPEAKEASY」でも、19歳の頃、上京後にラーメン店でアルバイトをしていた際、心の中で自分をイケメンと表現していたというエピソードを明かしています。実生活での感覚とコントの発想が結び付いた、狩野らしい誕生秘話です。
【50TAと現在】2026年の狩野英孝は昔とどう変わった?
昔の狩野英孝を知る人にとって、現在の活動で意外なのが、音楽、ゲーム、神職という複数の顔を持っていることです。
2026年11月現在、狩野は44歳。2003年の芸人デビューから20年以上が経過し、テレビだけにとどまらない活動スタイルを確立しています。
50TAとして2026年に8000人規模のライブを開催
狩野の音楽活動を代表する存在が、テレビ朝日系「ロンドンハーツ」のドッキリ企画から誕生した50TA(フィフティーエー)です。
50TAは、狩野本人がアーティストとして活動する際のキャラクター。独特な歌詞やメロディー、予想外のパフォーマンスで人気を獲得してきました。
2026年5月6日には、東京のTOYOTA ARENA TOKYOで「50TA たぶん2026年 最初で最後のアリーナライブ」を開催。WEBザテレビジョンの報道によると、会場には約8000人が集まりました。
2025年の横浜アリーナ公演に続く大規模ライブであり、高校時代に金髪でマイクを握っていた少年が、芸人としての知名度を生かしながら音楽活動でも大きなステージに立っていることが分かります。
50TAの活動は、単なる昔のギャグの再利用ではありません。テレビ番組発の企画がライブコンテンツとして成長し、ファンを集める独立したエンターテインメントになっています。
YouTube「EIKO!GO!!」でゲーム実況でも活躍
狩野は2020年1月にYouTubeチャンネル「EIKO!GO!!」をスタートしました。
ゲーム実況では、プレイ中に起こる予想外の展開や、本人のリアクションが人気を集めています。テレビで見せるお笑いとは異なり、ゲームを楽しむ自然体の姿が視聴者に親しまれています。
所属事務所の公式プロフィールでも、EIKO!GO!!をはじめ、ゲーム関連の配信や番組出演が現在の活動として掲載されています。カプコンTVやスクウェア・エニックス関連の配信など、ゲーム業界との接点も広がっています。
櫻田山神社の39代目宮司というもう一つの顔
狩野英孝の現在を語るうえで欠かせないのが、宮城県栗原市にある実家の櫻田山神社です。
同神社は約1500年の歴史を持つとされ、狩野は家を継ぐ立場として、神職の資格を取得しています。
2026年10月の「A-Studio+」出演に関連した日刊スポーツの報道では、34歳ごろから資格取得の勉強を始め、現在は39代目の神主として活動していることが紹介されました。
神社での仕事は芸人活動と並行して行われており、毎年の年末年始にも神社業務に携わっています。2026年1月には、本人のXで実家の神社を訪れたサンドウィッチマンの伊達みきおとの写真が紹介されました。
また、神職として初めて祝詞を唱えた際の失敗談も話題になりました。緊張が解けた直後、祝詞を終えたことを伝えようとして、誤って「以上呪いでした」と言い間違えてしまったというエピソードです。
芸人としてのユーモアが思わぬところで出てしまった話ですが、本人が神職の仕事を真剣に学び、準備して臨んでいたことも同時に伝わってきます。
2026年11月現在の主な活動
2026年11月時点のマセキ芸能社公式プロフィールでは、テレビや配信など複数のレギュラー活動が掲載されています。
- フジテレビ系「かのサンド」
- 仙台放送「仙台市青葉区 かのおが便利軒」
- テレビ朝日系「ロンドンハーツ」
- 毎日放送「岩井 狩野 えびちゅうの推しかるちゃー」(不定期)
- YouTube「EIKO!GO!!」
- YouTube「カプコンTV」
- ABEMA「CHANCE & CHANGE」
- ABEMA「脳汁じゅ〜す」
このほか、映画「マインクラフト/ザ・ムービー」の吹き替えや、舞台出演などにも取り組んでいます。
【プロの結論】狩野英孝の昔と現在を比較すると見える本当の魅力
狩野英孝の昔と現在を比較すると、最も大きな変化は外見よりも、表現の場が広がったことにあります。
若い頃は金髪やビジュアル系ファッションに憧れ、音楽活動を通じて自分を表現していました。その後、俳優を目指して上京し、学校での出会いをきっかけに芸人へ転身。白スーツのナルシストキャラで知名度を獲得しました。
現在は、テレビのお笑いだけでなく、音楽ライブ、ゲーム実況、神社での神職という活動を並行しています。
昔と現在の比較
| 比較項目 | 若い頃 | 2026年現在 |
|---|---|---|
| 髪型 | 金髪・長髪 | 短髪を中心としたスタイル |
| ファッション | ビジュアル系・ホスト風 | 番組や活動に合わせた衣装 |
| 音楽 | バンド・路上ライブ | 50TAとしてライブ活動 |
| 芸能活動 | 俳優志望から芸人へ | テレビ・配信・舞台 |
| 個性 | 自分の見せ方へのこだわり | 自然体のリアクションとナルシスト芸 |
| 神社との関係 | 跡継ぎへの反発もあった | 39代目神主として神職に従事 |
興味深いのは、昔の狩野にあった音楽への情熱や独特の自己表現が、現在も形を変えて残っていることです。
狩野英孝の経歴で誤解されやすい3つのポイント
1. 最初からお笑い芸人を目指していたわけではない
狩野は当初、俳優を志して日本映画学校に入学しました。芸人を目指すきっかけは、卒業間際に友人と訪れたマセキ芸能社のお笑いライブです。
2. ナルシストキャラは完全な作り物ではない
本人は中学生の頃からサングラスをかけるなど、ファッションや自分の見せ方にこだわっていたと話しています。芸人としてのキャラクターは、もともとの性格や好みを誇張したものでもありました。
3. 50TAは昔のバンド名ではない
高校時代のビジュアル系バンドと50TAは別の活動です。50TAは「ロンドンハーツ」の企画から誕生したアーティストキャラクターで、現在も大規模なライブを開催しています。
狩野英孝のキャリアから読み取れること
狩野の経歴には、音楽活動から俳優志望、お笑い、ゲーム実況へと、異なるジャンルを横断してきた特徴があります。
一般的に芸人の代表的なキャラクターは、長く続けるほど本人のイメージを固定することがあります。しかし狩野の場合、ナルシストキャラを残しながら、50TAやゲーム実況など別の表現方法を増やしてきました。
昔の経験を捨てるのではなく、別のジャンルに応用している点が、長く活動を続けられる理由の一つです。
【狩野英孝の昔】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:狩野英孝は高校時代、どんな髪型をしていましたか?
A1:金髪に細眉というビジュアル系のスタイルでした。高校時代は「ディスインフィクション」というバンドでボーカルを担当していました。
Q2:狩野英孝は何歳で上京しましたか?
A2:18歳です。2000年に俳優を目指して上京し、日本映画学校の俳優科に入学しました。
Q3:狩野英孝の出身高校はどこですか?
A3:宮城県の築館高校です。高校時代はビジュアル系バンドの活動に熱中していました。
Q4:狩野英孝が芸人デビューしたのは何年ですか?
A4:2003年です。マセキ芸能社からデビューしました。
Q5:「ラーメン、つけ麺、僕イケメン!」はいつ生まれましたか?
A5:もともとはナルシストがラーメン店員を演じるコントの一部でした。短いネタに編集する過程で現在のフレーズが生まれ、自己紹介ギャグとして定着しました。
Q6:狩野英孝は2026年現在も神主をしていますか?
A6:はい。宮城県栗原市の櫻田山神社で39代目の神主として活動しています。芸人の仕事と並行して神社の仕事にも携わっています。
Q7:狩野英孝の50TAは現在も活動していますか?
A7:活動しています。2026年5月6日にはTOYOTA ARENA TOKYOで約8000人を動員するアリーナライブを開催しました。
まとめ:狩野英孝の昔を知ると現在の活躍がもっと面白くなる
狩野英孝の昔を振り返ると、高校時代の金髪ビジュアル系バンド活動から、18歳での上京、日本映画学校への進学、2003年の芸人デビューまで、さまざまな経験が現在につながっていることが分かります。
特に印象的なのは、最初からお笑い一本に進んだわけではなく、音楽や演技への憧れを持ちながら、自分に合った表現方法を探していたことです。
「ラーメン、つけ麺、僕イケメン!」で知られるナルシストキャラも、学生時代からのファッションや音楽の趣味、漫画から得た発想が組み合わさって誕生しました。
そして2026年現在は、芸人、50TA、ゲーム実況者、櫻田山神社の39代目神主という複数の顔を持っています。
昔の金髪写真は単なる懐かしい記録ではありません。ミュージシャンを夢見ていた青年が、さまざまな経験を経て現在の狩野英孝になった、その出発点を伝える貴重な記録です。高校時代から続く表現への情熱こそ、昔と現在をつなぐ最大の共通点なのかもしれません。
主な参考資料:マセキ芸能社公式プロフィール、狩野英孝オフィシャルブログ、TOKYO FM、テレビ朝日「徹子の部屋」「ロンドンハーツ」、TBS「A-Studio+」、日刊スポーツ、スポニチアネックス、ABEMA TIMES、マイナビニュース、WEBザテレビジョン。 (出典: 狩野 英孝 昔(Yahoo!ニュース))