【原点】小芝風花がフィギュアスケートを始めた理由は荒川静香だった
小芝風花がフィギュアスケートを始めたのは、小学3年生のころ。その背景には、2006年のトリノオリンピックで日本中を沸かせた荒川静香の存在があった。
荒川静香の金メダルが競技との出会いに
小芝は幼少期、器械体操を習っていた。転機となったのが、荒川静香がトリノオリンピックの女子シングルで金メダルを獲得したことだった。
当時、体操の練習を見学していた母親たちの間で、小芝はフィギュアスケートに向いているのではないかという話が出たという。
家族でリンクに遊びに行ったところ、本人がスケートを気に入り、母親に習いたいとお願いした。
2021年の集英社「web Sportiva」のインタビューでは、当時を振り返り、最初に習った先生と滑ること自体が楽しかったとも話している。
「体操よりもスケートを習いたい!」
この言葉に表れているように、最初からオリンピックを目指していたわけではない。まずは氷の上を滑る楽しさが、競技生活の出発点だった。
母親のサポートで本格的な競技生活へ
小芝の母親は、子どもに勉強でもスポーツでも、何か一つ夢中になれるものを見つけてほしいと考えていたという。
それまで空手やバレエ、器械体操などにも取り組んでいたが、長く続いたのはフィギュアスケートだった。
競技に打ち込むようになると、母親は送り迎えを担当し、試合用の衣装まで手作りするようになった。
2025年2月28日放送のNHK「あさイチ」でも、小芝は母親の熱心な応援を振り返っている。
競技を続けるうえで、本人の努力だけでなく、家族の協力も大きな支えになっていた。
【競技生活】週6日の練習と膝の手術を乗り越えた5年間
小芝の競技生活を語るうえで欠かせないのが、週6日の練習だ。
単にスケート教室に通う程度ではなく、学校生活と競技練習を両立させながら、毎日目標を設定して技術を磨いていた。
早朝からリンクへ向かう生活
2021年2月の「婦人公論.jp」のインタビューで、小芝は当時の生活を具体的に明かしている。
- 週6日、早朝からスケートリンクへ向かう。
- 朝の練習を終えて、そのまま学校へ通う。
- 放課後には再び練習する。
- 次の試合に向けてジャンプや順位の目標を設定する。
この生活が約5年間続いた。
小芝自身も、友達と遊びたい、練習をやめたいと思うことがあったと振り返っている。
それでも、シングルアクセルを習得すると次はダブルアクセルに挑戦したくなる。目標を達成するたびに、さらに上を目指す気持ちが生まれていたという。
両膝の手術を経験しても競技に復帰
小芝は競技生活の途中で、成長期に発症しやすいオスグッド・シュラッター病を経験した。
これは膝に痛みや腫れが出るスポーツ障害で、小芝は左右の膝について合計2回の手術を受けている。
2023年7月の「CHANTO WEB」のインタビューでは、手術を決めた際の気持ちを次のように語っている。
「今、練習したいんです。今、練習できないと意味がないから、手術してください」
最初の手術では3週間入院し、ギプスによる固定も経験した。退院後は脚の筋肉が大きく落ち、以前のような滑りを取り戻すまでには時間がかかった。
しかし、競技への意欲は失わなかった。
小芝によれば、復帰後はスケーティングから徐々に練習を再開し、ジャンプも取り戻していった。最終的には3回転ジャンプが安定して跳べるようになったという。
シングルだけでなくアイスダンスにも挑戦
小芝の競技歴で見逃せないのが、アイスダンスへの挑戦だ。
シングル競技だけでなく、渡邊純也とペアを組み、アイスダンスにも取り組んでいた。
アイスダンスは、男女がペアとなり、音楽に合わせたステップやリフトなどで表現力を競う種目である。
小芝は集英社のインタビューで、二人で動きを合わせる難しさや、同じ目標に向かう相手がいる楽しさを語っている。
個人競技のシングルとは異なる経験が、彼女の表現力を育てたこともうかがえる。
【実績検証】西日本ジュニア選手権8位は本当?公式記録から実力を分析
小芝風花のスケート経験について、特に検索されているのが「西日本ジュニア選手権8位」という実績だ。
この順位は実際の競技記録に裏付けられている。
日本スケート連盟の公式競技結果には、2010年に開催された第37回西日本中小学生フィギュアスケート競技会の記録が残っている。
2010年の西日本大会で8位入賞
2010年8月13日から15日にかけて滋賀県立アイスアリーナで開催された同大会。
小芝は「6級ジュニア選手権女子」に臨み、61.67点で8位に入った。
公式記録には、当時の所属クラブとして「臨海フィギュアSC」と記載されている。
ここで押さえておきたいのは、大会の正式名称と競技部門だ。一般に「西日本ジュニア選手権8位」と紹介されることがあるが、公式記録上の大会名は「西日本中小学生フィギュアスケート競技会」であり、8位だったのは6級ジュニア選手権女子の部である。
小芝風花のフィギュアスケート経歴・実績年表
| 時期 | 出来事・実績 | 内容 |
|---|---|---|
| 2006年ごろ | スケート開始 | 小学3年生。荒川静香の金メダルがきっかけ |
| 小学3年~中学2年 | 競技生活 | 約5年間、週6日の練習を継続 |
| 2010年8月 | 西日本中小学生大会 | 6級ジュニア選手権女子8位、61.67点 |
| 2011年 | 全日本ノービス選手権 | 渡邊純也とのアイスダンスで1位 |
| 2011年 | 芸能界入り | ガールズオーディション2011でグランプリ |
| 2013年12月 | ドラマ出演 | 「スケート靴の約束」でフィギュア選手役 |
出典:日本スケート連盟の競技結果、集英社の本人インタビュー、日刊スポーツなど。2011年の全日本ノービス選手権については公式結果を参照。
全日本ノービス選手権ではアイスダンス1位
さらに注目したいのが、2011年10月28日から30日に開催された第15回全日本フィギュアスケートノービス選手権大会だ。
日本スケート連盟の公式記録によると、小芝は渡邊純也と組んでノービスダンスに出場し、29.35点で1位となった。
2位の組は26.25点だった。
ただし、当該部門の出場は2組。女子シングルの全国優勝ではなく、アイスダンスのノービス部門での優勝である。この違いを理解しておくことが大切だ。
バッジテスト7級と3回転ジャンプ
小芝の技術面については、2023年のCHANTO WEBのインタビューでも触れられている。
同記事では、フィギュアスケートのバッジテスト7級を取得していたことが紹介された。
また、本人はジャンプが好きだったと語り、3回転ジャンプを跳べるようになった経験も振り返っている。
これらの実績から、単なる趣味や習い事の範囲を超え、競技選手として技術を磨いていたことが分かる。
ただし、これらの実績だけをもってオリンピック代表に相当する実力だったと評価することはできない。実際の競技成績と本人の技術経験を分けて捉える必要がある。
【転機】浅田真央のCMが芸能界入りのきっかけ!陸上フィギュアの裏話
フィギュアスケートに夢中だった小芝が、なぜ芸能界を目指すことになったのか。
そのきっかけは、意外にも浅田真央のテレビCMだった。
浅田真央のCMを見て女優への興味が芽生える
小芝は、浅田真央がスケートを滑りながら出演していたCMを見て、自分も同じようなCMに出てみたいと思ったという。
その何気ない発言を聞いていたのが姉だった。
姉はオーディション雑誌を購入し、小芝に応募を勧めた。
当初、小芝は芸能界に強い憧れを抱いていたわけではなく、軽い気持ちで応募したと複数のインタビューで振り返っている。
しかし、審査が進むにつれて女優という仕事への興味が強くなっていった。
3万5,000人以上からグランプリに選ばれた
2011年、小芝はオスカープロモーションが開催した「ガールズオーディション2011」に応募。
応募者は3万5,000人以上にのぼり、その中からグランプリを獲得した。
14歳での大きな転機だった。
当時の小芝には、スケート以外に披露できる特技がほとんどなかったという。
そこでオーディションの特技披露では、フィギュアスケートの試合用衣装を着用し、運動靴で音楽に合わせて演技を披露した。
陸上フィギュアとは?本人も赤面したオーディションの思い出
このエピソードは、2025年2月28日のNHK「あさイチ」で改めて話題になった。
氷上ではなくステージ上で、スケートの動きを再現するように手足を動かしたという。
いわば陸上フィギュアともいえるパフォーマンスだった。
小芝は当時の映像を振り返り、スピンの動きを運動靴で再現するのが特に大変だったと苦笑いしていた。
「黒歴史というか、恥ずかしいんですけど、ようやったな」
本人が照れながら振り返ったこのエピソードは、芸能界入りの出発点が、華やかな芸能活動への計画的な挑戦ではなく、スケートへの憧れから生まれた偶然の一歩だったことを物語っている。
小芝風花がスケートを引退した理由は?
最も気になるのが、これだけの実績を残した小芝が、なぜフィギュアスケートをやめたのかという点だ。
実は、オーディションに応募した段階では、スケートを辞めるつもりはなかった。
2023年のCHANTO WEBのインタビューによれば、当初はシングルの継続が難しくても、アイスダンスなら東京で続けられるのではないかと考えていたという。
ところが、芸能活動を始めるために上京すると、生活は一変した。
お芝居やダンス、方言指導、ウォーキングなどのレッスンが週6日ほど入り、学校が終わるとすぐに仕事のためのレッスンに向かう日々になった。
一方、フィギュアスケートも毎日の練習が欠かせない競技である。
小芝はインタビューで、自分は器用なタイプではなく、どちらも片手間にはできないと感じたことを明かしている。
つまり、引退の背景にあったのは、単純な実力不足やケガではない。
競技を続けるために必要な練習時間を確保できなくなり、女優としての仕事に集中する決断をしたことが大きかった。
【女優業との接点】ドラマ「スケート靴の約束」で再びリンクへ
小芝風花のフィギュアスケート経験は、芸能界入りによって完全に無関係になったわけではない。
その経験が生かされた作品の一つが、2013年12月25日にテレビ東京系で放送されたスペシャルドラマ「スケート靴の約束~名古屋女子フィギュア物語~」だ。
小芝風花と本田望結が姉妹役で共演
作品では小芝が水元葉子役、本田望結が妹の紗綾役を演じた。
物語は、フィギュアスケートに取り組む姉妹と家族の絆を描くもの。
母親役を安田成美、父親役を別所哲也が務め、フィギュアスケート関係者として伊藤みどり、浅田舞も出演。荒川静香も特別協力として参加した。
小芝自身が元競技選手だったこともあり、スケートを題材とした作品での共演は、彼女の経歴と深く結びついている。
ブランクを抱えながら氷上の演技に挑戦
一方、元選手だからといって、以前と同じように滑れるわけではなかった。
2023年のCHANTO WEBのインタビューで小芝は、この作品の撮影にあたり、再びリンクに通って練習したことを振り返っている。
競技を離れてから時間が経過しており、成長期を経て身体の感覚も変化していた。
以前のようなスピードや身軽さを取り戻すことは難しく、現役時代の滑りを見せられない悔しさもあったという。
それでも、共演した本田望結に憧れられる役柄だったこともあり、できる限りの練習を重ねた。
このエピソードからは、スケート経験が単に役作りの知識として残っていたのではなく、実際の演技に向き合うための土台になっていたことが分かる。
【2026年最新】小芝風花の現在は?俳優としての活動とスケート経験
2026年11月現在、小芝風花はフィギュアスケート選手としてではなく、俳優として活動を続けている。
所属事務所トップコートの公式プロフィールと出演情報には、2026年のドラマや映画、今後の放送予定が掲載されている。
2026年の主な出演作品
| 時期 | 作品 | 活動内容 |
|---|---|---|
| 2026年3月9日~12日 | 事件は、その周りで起きている3 | NHK総合の夜ドラで主演 |
| 2026年3月27日 | えんとつ町のプペル ~約束の時計台~ | ナギ役で声の出演 |
| 2026年4月5日~5月24日 | あきない世傳 金と銀3 | 主演・幸役 |
| 2026年12月26日予定 | あきない世傳 金と銀 完結編 | BSP4Kで放送予定 |
| 2027年1月1日予定 | あきない世傳 金と銀 完結編 | BSで放送予定 |
「あきない世傳 金と銀」シリーズで主演を継続
2026年の活動で特に注目されるのが、NHK BS時代劇「あきない世傳 金と銀」シリーズだ。
小芝は主人公・幸を演じ、2026年4月から5月にかけてシーズン3が放送された。
さらに、所属事務所の公式スケジュールでは、完結編の放送も発表されている。
- BSP4K:2026年12月26日(土)19時30分~20時59分
- BS:2027年1月1日(金)19時30分~20時59分
11月6日時点では、年末年始の完結編が今後の大きな出演予定となっている。
スケート経験は現在の演技にも生きている?
小芝のスケート経験について考えるとき、注目したいのは競技生活で培った習慣だ。
本人は過去のインタビューで、目標を細かく設定し、一つずつ達成していく練習の面白さを語っている。
ジャンプが成功したかどうか、試合でどこを改善すべきか。採点表を確認して次の目標を立てるという積み重ねは、競技に真剣に向き合っていたからこその経験だ。
俳優の仕事も、役柄ごとに求められる表現や技術が異なる。
フィギュアスケートと演技は別の分野だが、目標に向かって準備し、課題を見つけ、改善していく姿勢には共通点がある。
小芝の競技経験は、現在の仕事にもつながる人生の土台になっていると考えられる。
【プロの結論】小芝風花のスケート経歴を正しく評価する3つのポイント
小芝風花のフィギュアスケート歴を評価するとき、押さえておきたいポイントは次の3つだ。
1.趣味ではなく、実績を伴う競技生活だった
小学3年生から中学2年生まで約5年間、週6日の練習を続けた。西日本大会の8位入賞に加え、アイスダンスでは全日本ノービス選手権の1位を記録している。
2.競技を離れた理由は芸能活動への集中だった
両膝の手術を経験しても復帰した小芝にとって、競技への意欲は強かった。最終的にスケートを離れたのは、上京後の芸能レッスンと競技練習の両立が難しかったためだ。
3.スケート経験を女優業に生かしてきた
2013年の「スケート靴の約束」では、元選手としての経験を生かしながら再び氷上の演技に挑んだ。過去の経験を仕事につなげている点も、小芝のキャリアの特徴だ。
重要なのは、彼女をオリンピック級の選手だったと過度に評価することでも、単なる元スケート少女として扱うことでもない。
公式競技記録に残る実績と本人の証言を組み合わせることで、競技に真剣に取り組んだ一人の選手が、女優という別の道を選んだ過程が見えてくる。
【FAQ】小芝風花のスケートに関するよくある質問
Q1:小芝風花は何歳から何歳までフィギュアスケートをしていた?
A1:小学3年生から中学2年生までの約5年間です。週6日の練習を続け、早朝と放課後にリンクへ通っていました。
Q2:小芝風花のスケートの大会成績は?
A2:2010年の第37回西日本中小学生フィギュアスケート競技会では、6級ジュニア選手権女子で8位、61.67点を記録しました。また、2011年の全日本フィギュアスケートノービス選手権大会では、渡邊純也とのアイスダンスで1位になっています。
Q3:小芝風花がスケートを始めた理由は?
A3:2006年のトリノオリンピックで荒川静香が金メダルを獲得したことがきっかけです。周囲の勧めで家族とリンクに行き、本人が楽しいと感じて習い始めました。
Q4:小芝風花がスケートを辞めた理由は?
A4:2011年のオーディションでグランプリを獲得し、芸能活動を始めたためです。上京後は週6日ほど演技やダンスなどのレッスンがあり、毎日の練習が必要なフィギュアスケートとの両立が難しくなりました。
Q5:小芝風花はオリンピックを目指していた?
A5:はい。本人は2025年のNHK「あさイチ」で、当時オリンピック出場が夢だったと振り返っています。ただし、実際にオリンピックへ出場した経歴はありません。
Q6:小芝風花は現在もスケートをしている?
A6:現在の競技選手としての活動は確認されていません。過去にはドラマ「スケート靴の約束」の撮影に向けてリンクで練習した経験がありますが、2026年現在は俳優として活動しています。
まとめ:小芝風花のスケート経験は女優人生の原点だった
小芝風花のフィギュアスケート経歴を振り返ると、そこには小学3年生から中学2年生までの約5年間、競技に打ち込んだ確かな実績がある。

荒川静香の金メダルに憧れて競技を始め、週6日の練習を続け、西日本大会8位、全日本ノービス選手権のアイスダンス1位という成績を残した。両膝の手術を乗り越えて練習に復帰した経験も、彼女の競技人生を象徴している。
そして浅田真央のCMへの憧れが、姉の後押しによるオーディション応募につながり、3万5,000人以上の中からグランプリを獲得。芸能活動との両立が難しくなったことで、女優への道を選んだ。
2026年現在も「あきない世傳 金と銀3」などの作品で主演を務め、年末には完結編の放送も控えている。
スケート選手として歩んだ5年間は、決して遠い過去の思い出だけではない。努力を積み重ねる姿勢や表現への向き合い方など、現在の小芝風花を形作った大切な原点として、これからも注目していきたい。
主な参考資料・情報源
- 日本スケート連盟:第37回西日本中小学生フィギュアスケート競技会公式結果
- 日本スケート連盟:第15回全日本フィギュアスケートノービス選手権大会公式結果
- 集英社「web Sportiva」2021年3月19日、小芝風花フィギュアスケートインタビュー
- 中央公論新社「婦人公論.jp」2021年2月6日、小芝風花インタビュー
- CHANTO WEB 2023年7月30日、小芝風花の競技生活と女優転身に関するインタビュー
- 日刊スポーツ 2025年2月28日、NHK「あさイチ」出演内容の報道
- テレビ東京「スケート靴の約束」番組公式情報
- トップコート公式プロフィール・2026年出演情報 (出典: 小 芝 風花 スケート(Yahoo!ニュース))