【放送期間を検証】2006年開始から2020年6月27日の最終回まで
「久米宏 ラジオなんですけど」は、2006年10月7日、TBSラジオで放送を開始しました。
放送時間は毎週土曜日の午後1時から午後2時55分まで。約2時間の生放送で、久米さんが21年ぶりにラジオのレギュラー番組へ復帰したことでも話題になりました。
番組終了までの期間は約13年9か月。単なる長寿番組というだけでなく、テレビからラジオへと活動の軸を移した久米さんの後半生を象徴する仕事でもありました。
放送開始から終了までの主な出来事
- 2006年10月7日: TBSラジオで放送開始。小島慶子さんが初代アシスタントを担当。
- 2007年: 久米さんが第44回ギャラクシー賞DJパーソナリティー賞を受賞。
- 2009年4月: 堀井美香さんがアシスタントを担当。
- 2020年1月上旬: TBSラジオと所属事務所との協議で番組終了が決定。
- 2020年6月6日: 久米さん本人が生放送で終了を発表。
- 2020年6月27日: 約13年9か月の放送に幕。
- 2026年1月1日: 久米宏さんが肺がんのため81歳で逝去。
- 2026年1月13日: 所属事務所が訃報を公表。
放送開始日や最終日、終了決定の時期については、当時のTBSラジオの番組情報と報道各社の記事で確認できます。
【終了理由を徹底検証】久米宏が語った集中力と根気の衰え
番組終了の理由を理解するうえで欠かせないのが、2020年6月6日の生放送です。
この日、久米さんは番組冒頭で突然、6月いっぱいで終了することを発表しました。
リスナーにとっては突然の知らせでしたが、実際には終了が決まったのは2020年1月上旬。TBSラジオと所属事務所との打ち合わせで決定しており、久米さん自身の意思も反映されていました。
1. 本人が認めた集中力・根気の衰え
久米さんは終了理由について、単純に一つでは説明できないとしたうえで、自身の変化を率直に語っています。
特に気になっていたのが、言い間違いの増加でした。
本人は、言ったつもりの言葉と実際に口から出た言葉が違っていることがあり、番組を聴き直して初めて気づくケースもあったと説明しています。
そのうえで、年齢的な変化として次のように話しました。
「集中力とか根気とか、そういうものが明らかに衰えてきてるなと」
【検証資料 1】久米宏ラジオなんですけどの当時の様子・関連報道写真(出典:Yahoo!ニュース)
これは単に年齢を理由に仕事を辞めるという話ではありません。
長時間の生放送で、時事問題を理解し、自分の言葉で整理し、ゲストと対話し、リスナーの反応にも向き合う。こうした仕事を続けるうえで、自身が求める水準を維持できるかどうかを考えた結果だったと受け取れます。
2. 「下り坂になる前に辞める」という仕事の美学
もう一つの大きな理由が、久米さんが以前から持っていた番組終了に対する考え方です。
久米さんは、番組は人気や勢いが落ちてから終わるより、良い状態のうちに終える方がよいという持論を持っていました。
「下り坂になってから辞めるのが一番よくない」
この考えには、二つの意味があります。
一つは、リスナーに良い印象を残すこと。
もう一つは、番組を制作してきたスタッフや、後を引き継ぐ番組への配慮です。
人気番組が終了するとき、視聴率や聴取率の低下、出演者の交代、局側の編成事情などが理由として語られることは珍しくありません。
しかし、この番組については、久米さん本人が自身の意思を含む決定だったと説明しています。
3. TBSラジオによる打ち切りだったのか?
ここは誤解されやすい部分です。
番組終了はTBSラジオと所属事務所との協議で決まったものですが、久米さん自身も決定に参加していました。
したがって、局側が一方的に打ち切ったと説明するのは正確ではありません。
また、久米さんは終了理由について「複数ある」と説明しており、集中力や根気の問題だけですべてを説明したわけではありません。
聴取率の低迷や局との対立が直接の原因だったと裏付ける公表資料も確認できません。
番組終了の本質は、本人の仕事に対する基準と、長年続けてきた番組をどのような形で終えるかという判断にあったと整理できます。
【番組内容と魅力】久米宏ならではの「空白の12分」と生放送
「久米宏 ラジオなんですけど」の魅力は、ニュースを伝えるだけの番組ではなかったことです。
政治、経済、社会問題、芸能、映画、音楽、日常生活の話題まで、幅広いテーマを取り上げていました。
TBSラジオが公開している2007年の番組審議会議事録にも、当時の番組構成が記録されています。
番組の中心にあった三つの特徴
① 赤坂周辺からの生中継
放送開始当初、久米さんは毎週オープニングで赤坂周辺から生レポートを行っていました。
スタジオの中だけで話を完結させず、実際に街を歩きながら、その場で目にしたものや感じたことを言葉にしていくスタイルです。
ラジオは映像がないからこそ、話し手の描写力が重要になります。
久米さんは、街の様子を声だけで伝えることで、リスナーに情景を想像させていました。
② 「空白の12分」と呼ばれるオープニングトーク
番組では、午後1時の放送開始から番組タイトルが流れるまで、久米さんとアシスタントが自由に話す時間が設けられていました。
このオープニングトークは「空白の12分」と呼ばれ、番組を象徴する名物コーナーになっていました。
政治的な話題から芸能ニュース、身近な疑問まで、話題は多岐にわたります。
決められた台本を読み上げるのではなく、その場の会話から話題が展開していくことが大きな魅力でした。
③ 有名人から専門家まで幅広いゲスト
「今週のスポットライト」などのゲスト企画では、著名人だけでなく、特定の分野で専門的な経験を持つ人物も取り上げていました。
2007年のTBSラジオ番組審議会の記録には、田中眞紀子さんや南極の極地研究所に関係する人物など、知名度にとらわれないゲスト選びについて記載されています。
政治や社会のテーマを一方的に解説するのではなく、実際に現場を知る人の話を聞く構成が特徴でした。
久米宏の話術が番組に生み出したもの
久米さんの特徴は、情報を整理する能力と、相手の話を受けて瞬時に言葉を返す反応の速さでした。
テレビの「ニュースステーション」では、ニュースキャスターとして情報を伝える役割が中心でした。
一方、ラジオでは久米さん自身の考えや感情がより直接的に表現されます。
時には世間の一般的な見方とは異なる意見を提示し、リスナーに別の角度から物事を考えさせる。
その姿勢が、番組を単なる情報番組ではなく、個性の強いトーク番組にしていました。
【共演者・関係者一覧】小島慶子と堀井美香の役割を比較
番組を支えた人物として欠かせないのが、小島慶子さんと堀井美香さんです。
二人は同じ番組のアシスタントを務めましたが、担当した時期が異なります。
小島慶子:番組開始時の初代アシスタント
2006年10月の番組開始時から2009年3月までアシスタントを担当。元TBSアナウンサーとしての経験を生かし、久米さんとの会話を支えました。
小島さんの持ち味は、久米さんの個性的な発言に対しても自分の意見を交えながら会話を展開できることでした。
2007年の番組審議会でも、ゲストとのトークにおける小島さんの適切な参加が評価されています。
堀井美香:2009年4月から番組終了まで
2009年4月から2020年6月27日の最終回までアシスタントを担当。TBSアナウンサーとして長年番組を支えました。
堀井さんが担当した期間は約11年3か月です。
久米さんの自由な語りを受け止めながら、番組の進行を支える存在として長く共演しました。
番組の人物関係・年代別一覧
| 人物・組織 | 時期・関係 | 主な役割 |
|---|---|---|
| 久米宏 | 2006~2020年 | メインパーソナリティー |
| 小島慶子 | 2006年10月~2009年3月 | 初代アシスタント |
| 堀井美香 | 2009年4月~2020年6月 | 二代目アシスタント |
| 伊集院光 | 2020年6月27日 | 最終回のゲスト |
| TBSラジオ | 2006~2020年 | 制作・放送局 |
| 放送批評懇談会 | 2007年 | ギャラクシー賞の授賞団体 |
この一覧から分かるのは、番組の中心人物は久米さんでありながら、アシスタントやゲストとの関係によって長期間にわたり番組の表情が変化していたことです。
【最終回の全貌】2020年6月27日、久米宏が最後に語ったこと
2020年6月27日、番組はついに最終回を迎えました。
最後の放送で印象的だったのは、久米さんが番組終了を単なる引退や別れとして扱わなかったことです。
最終回では、久米さんが東京・赤坂の街頭から中継を行いました。
かつてTBSのGスタジオがあった場所を訪れ、「ザ・ベストテン」時代の思い出にも触れています。
街を歩きながら、昔の仕事や自身の変化を振り返る構成は、番組の歴史を締めくくるにふさわしいものでした。
最後のゲストは伊集院光
最終回のゲストとして登場したのは、タレントの伊集院光さんです。
二人の会話では、久米さんの今後についても話題になりました。
久米さんは自身の役回りを、映画や時代劇に登場する端役の「ちんぴら」に例えています。
本人にとっては、中心に立って大きな存在になるよりも、自由な立場から世の中を見て発言することが性に合っていたという意味合いです。
特に印象的なのが、次の発言です。
「自分はちんぴらでいたいというのがずっとある。メインストリームに行きたくない」
「ニュースステーション」のメインキャスターを務めた久米さんが、自分自身の本来の姿について語った言葉でもあります。
さらに、伊集院さんから今後について尋ねられると、PASMOが使える範囲で都内を歩き回りたいという趣旨の冗談で応じました。
番組終了を悲壮な雰囲気だけで包まず、最後まで久米さんらしいユーモアを残したのです。
「半世紀やった」という言葉に込められた意味
最終回の終盤、久米さんは1970年から仕事を始めてちょうど50年になると振り返りました。
ラジオやテレビに親しみながら育ち、自分自身も放送の世界で長く仕事を続けてきたことを語っています。
そして、番組を支えたスタッフやリスナーへの感謝も口にしました。
「でもこれでお別れってわけではないので、またチャンスがあったらいつか、そのうち、ぜひ」
この言葉は、2026年に訃報が伝えられた今、当時とは違った重みを持って受け止められます。
当時の久米さんは、番組終了後も何らかの形で仕事や表現活動を続ける可能性を残していました。
【2026年最新】久米宏の訃報とポッドキャスト、番組が残した功績
久米宏は2026年1月1日に81歳で逝去
2026年1月13日、久米宏さんの所属事務所であるオフィス・トゥー・ワンが訃報を発表しました。
発表によると、久米さんは2026年1月1日、肺がんのため満81歳で逝去しました。
通夜と葬儀は遺族の意向により、近親者のみで執り行われたとされています。
訃報が公表されたのは亡くなった日から12日後でした。
そのため、2026年現在の久米さんについて「現在も活動しているのか」「新しい番組に出演しているのか」と検索する人は、2026年1月13日の公式発表を基準に情報を整理する必要があります。
久米さんは、1967年にTBSへ入社。1979年に退社してフリーとなり、1985年から2004年までテレビ朝日系「ニュースステーション」のメインキャスターを務めました。
その後、2006年からラジオを主な活動の舞台としていました。
テレビとラジオの双方で日本の放送文化に大きな足跡を残した人物です。
妻・久米麗子さんが公表した追悼の言葉
訃報とともに注目されたのが、妻の久米麗子さんによる追悼のメッセージです。
その中では、久米さんの仕事に対する姿勢や人柄が伝えられました。
特に印象的なのは、次の表現です。
「常に新しいことに挑み、純粋な心で世の中の疑問を見つめる人でした」
また、自分の思いを偽らずに発信できることが、本人にとって大きな原動力だったという趣旨も記されています。
これは「ラジオなんですけど」で見せていた久米さんの姿勢とも重なります。
社会の常識や世間の評価をそのまま受け入れるのではなく、自分自身で考え、疑問を言葉にする。
その姿勢こそ、番組を長く支えた原動力だったのではないでしょうか。
ポッドキャストで過去の放送は聴ける?
番組終了後も、過去の音声を聴きたいという人にとって気になるのがポッドキャストです。
TBSラジオの公式番組アーカイブには、ポッドキャスティングのページが残されています。
そこには過去の放送音源の試聴案内があり、例えば次のような音声が掲載されています。
- 2016年3月5日:「久米宏の公開スパーリングインタビュー」
- 2016年2月27日:「アメリカ大統領選を予想してみる」
- 2016年2月20日:「漫才総浚い」
いずれも番組の特徴だったオープニングトーク「空白の12分」に関連する音源です。
ただし、公式ページで確認できるのは掲載された過去音声であり、約14年間の全放送が現在もすべて聴けるという意味ではありません。
過去の久米さんの話し方や番組の雰囲気を知りたい人にとって、貴重な資料になっています。
ギャラクシー賞DJパーソナリティー賞を受賞した実力
「ラジオなんですけど」の評価を語る際に外せないのが、ギャラクシー賞です。
久米さんは、2006年度の第44回ギャラクシー賞で、DJパーソナリティー賞を受賞しました。
授賞理由では、久米さんの軽妙で的確な言葉選びや、言葉と音による中継放送の優れた技術が評価されています。
特に、ラジオの魅力を熟知した話し方が、聴取者の支持を得た点が評価の中心でした。
この賞は単に知名度の高い人物に贈られたものではありません。
音声だけで情報や情景を伝え、聴く人の想像力を引き出すという、ラジオパーソナリティーとしての力量が認められた結果です。
久米宏の放送人生を振り返る
| 年代 | 主な活動 | 放送文化への貢献 |
|---|---|---|
| 1967年 | TBS入社 | アナウンサーとして活動開始 |
| 1979年 | TBS退社・フリー転身 | 活動の幅を広げる |
| 1985~2004年 | ニュースステーション | 新しいニュース番組のスタイルを確立 |
| 2006年 | ラジオなんですけど開始 | ラジオの魅力を再発信 |
| 2007年 | ギャラクシー賞受賞 | DJとしての実力が評価される |
| 2020年 | ラジオ番組終了 | 約14年間のレギュラー放送に幕 |
| 2026年 | 1月1日逝去 | 81年の生涯を閉じる |
久米さんのキャリアを振り返ると、テレビとラジオで異なる表現方法を追求し続けたことが分かります。
テレビでは映像とニュースを組み合わせた新しい報道スタイルを築き、ラジオでは声と言葉だけで聴く人を引き込む表現を磨きました。
その両方を経験したことが、唯一無二のパーソナリティーとしての評価につながっています。
【よくある質問】久米宏のラジオなんですけどに関するFAQ
Q1:久米宏の「ラジオなんですけど」はいつ終了しましたか?
A1:2020年6月27日です。2006年10月7日に始まり、約13年9か月にわたって放送されました。
Q2:久米宏が番組を終了した理由は何ですか?
A2:本人は、年齢による集中力や根気の衰え、言い間違いの増加などを理由の一つとして挙げました。また、番組が下り坂になる前に終えるという自身の持論も説明しています。
Q3:アシスタントは誰が担当していましたか?
A3:開始当初は小島慶子さんが担当し、2009年4月からは堀井美香さんが引き継ぎました。
Q4:久米宏は2026年現在も存命ですか?
A4:いいえ。2026年1月1日に肺がんのため81歳で亡くなりました。所属事務所が同月13日に正式発表しています。
Q5:「ラジオなんですけど」の最終回のゲストは誰ですか?
A5:伊集院光さんです。2020年6月27日の最終回で久米さんと共演し、今後の活動についても話をしました。
Q6:番組のポッドキャストは現在も聴けますか?
A6:TBSラジオの公式サイトには過去の音声を試聴できるアーカイブページが残っています。ただし、全放送回が公開されているわけではありません。
Q7:久米宏はギャラクシー賞を受賞していますか?
A7:はい。2006年度の第44回ギャラクシー賞でDJパーソナリティー賞を受賞しています。「久米宏 ラジオなんですけど」のパーソナリティーとしての功績が評価されました。
まとめ:久米宏「ラジオなんですけど」が残したもの
「久米宏 ラジオなんですけど」は、2006年10月7日から2020年6月27日まで、約13年9か月にわたって放送されたTBSラジオの人気番組です。
終了の背景には、久米宏さん自身が感じていた集中力や根気の衰え、そして番組が勢いを失う前に終わらせたいという仕事への美学がありました。局側から一方的に打ち切られたという説明とは異なり、本人の意思を含む決断だったことが重要です。
小島慶子さん、堀井美香さんとの掛け合い、名物の「空白の12分」、多彩なゲストとの対話。そして2006年度のギャラクシー賞DJパーソナリティー賞。これらは番組が残した確かな実績です。
2026年1月1日に久米さんが81歳で亡くなったことで、番組の最終回は一つの時代を締めくくった放送として、改めて振り返られるようになりました。
久米さんが最後まで大切にしていたのは、自分の言葉で考え、自分の言葉で伝えることでした。「ラジオなんですけど」は、その姿勢を約14年間にわたってリスナーに届けた番組だったのです。 (出典: 久米 宏 ラジオ なん です けど(Yahoo!ニュース))