【パンダ好きの原点】黒柳徹子が7歳からパンダに夢中になった理由
黒柳徹子さんのパンダ愛を理解するうえで欠かせないのが、幼少期のぬいぐるみとの出会いだ。
2025年1月に出演した日本テレビ系『おしゃれクリップ』では、パンダを好きになったきっかけについて、7歳ごろに叔父がアメリカ土産として買ってきてくれたぬいぐるみだったと明かしている。
当時の黒柳さんは、その白黒の動物がパンダという名前であることも、実際に中国に生息している動物であることも知らなかったという。
それでも、見た目がかわいらしく、愛着を持って大切にしていた。戦時中も手放さず、リュックに入れて持ち歩いていたことを、後年のインタビューで振り返っている。
最初のぬいぐるみは今も手元にある
興味深いのは、最初に叔父からもらったぬいぐるみが、現在も黒柳さんの手元に残っていることだ。
2025年のテレビ出演では、長年使い続けているため、洗っても汚れが落ちず、かなり傷んでいると笑いながら紹介した。
新しいものを買い直すのではなく、幼少期からの思い出が詰まった一体を大切に持ち続けている。ここに、単なる収集趣味とは違う黒柳さんのパンダ愛が表れている。
かわいさだけではない、パンダの不思議さに魅了された
黒柳さんは『anan』のインタビューで、パンダの魅力について、見た目のかわいらしさだけでなく、知れば知るほど不思議なことが多い動物だと語っている。
特に印象的なのが、パンダの性質に対する興味だ。
本人はパンダを平和的な動物として捉えており、飼育員から聞いたエピソードとして、飼育員がいなくなった後にパンダが竹ぼうきを折ったという話も紹介している。
見た目はおっとりしているのに、実際には非常に力が強い。そのギャップが面白いというのだ。
つまり、黒柳さんがパンダを好きな理由は、大きく3つに整理できる。
- 愛らしい外見: 白と黒の独特な模様や、丸みのある姿に惹かれた。
- 知的好奇心: 生態や行動を調べるほど、新しい発見があった。
- 性格への関心: おとなしく見えて力強いという意外性に魅力を感じた。
幼少期のぬいぐるみが入り口となり、実際の動物への関心、さらには生態や保護への関心へと発展したのである。
【1967年の運命的な出会い】ロンドン動物園のアンアンと『anan』誕生秘話
黒柳さんのパンダ愛を語るうえで、もう一つ重要な出来事がある。
それが1967年のロンドン動物園訪問だ。
子どものころから本物のパンダを見たいと願っていた黒柳さんは、働き始めてから念願の対面を果たした。
メスのチチとオスのアンアン
当時のロンドン動物園には、メスのパンダ「チチ」がいた。
そこへ繁殖を目的として、当時のソ連からオスのパンダ「アンアン」が貸し出されてきていた。
黒柳さんは、このアンアンに強く惹かれた。
それまで写真や資料を通して想像していたパンダが、目の前で動いている。その感動は、帰国後も友人たちに話すほど印象深いものだったという。
この訪問が、後に日本の女性誌の歴史にも関わってくる。
『anan』という名前はパンダのアンアンから生まれた?
『anan』は1970年3月に創刊された女性ファッション誌だ。
誌名とパンダの関係については、黒柳さん本人が複数のインタビューでエピソードを語っている。
ロンドンで見たアンアンの話を帰国後に友人たちへ伝えたところ、その響きがかわいいと話題になった。そこに出版社の関係者もおり、雑誌名の候補として広がっていったという。
『anan』の創刊にあたっては、一般からの誌名公募も行われていた。そのため、黒柳さんが一人で誌名を決定したという説明は正確ではない。
より正確には、黒柳さんが語ったパンダのアンアンのエピソードが、誌名誕生のきっかけの一つになったということだ。
また、『anan』のパンダのマークにも、この動物との縁が表れている。
現在ではファッションや美容、ライフスタイルの情報を扱う雑誌として知られるが、その歴史の背景には、黒柳さんが1967年に出会った一頭のパンダがいたのである。
【1972年のパンダ初来日】カンカンとランランを迎えた黒柳徹子の証言
1967年にロンドンで本物のパンダを見た黒柳さんにとって、次の大きな出来事が1972年の日本初来日だった。
1972年10月28日、オスのカンカンとメスのランランが上野動物園に到着した。
この2頭は、同年の日中国交正常化を記念して中国から贈られたパンダだった。日本で初めて飼育されるジャイアントパンダとして、社会的な注目を集めた。
黒柳徹子が語った、カンカンとランランの到着当日
黒柳さんは2021年の『女性自身』のインタビューで、初来日の様子を具体的に振り返っている。
当時、黒柳さんはドラマの仕事をしていた。しかし、パンダの到着をどうしても見届けたくなり、リハーサル中に「ちょっと用事がある」と伝えて、上野動物園の裏手へ向かったという。
パンダを運ぶトレーラーは、羽田空港から時速約40キロで移動すると報道されていた。
黒柳さんはその情報をもとに到着時間を計算し、待機していた。
夜8時ごろ、目の前に現れたのは、ねずみ色の大きなコンテナだった。
まだパンダの姿は見えなかった。それでも、長年憧れてきた動物がついに日本へやってきたという喜びから、思わず歓声を上げたという。
その6日後の11月3日には、パンダの贈呈式にも出席。最初にカンカン、続いてランランの姿を見た。
この証言から伝わるのは、黒柳さんが単にパンダブームに乗って好きになったのではないということだ。
日本にパンダが来る前から関心を持ち、実際に到着する日を待ちわびていたのである。
黒柳徹子とパンダをめぐる重要な年表
| 時期 | 出来事・関係する人物 | 意味・背景 |
|---|---|---|
| 7歳ごろ | 叔父からパンダのぬいぐるみを贈られる | パンダ好きの原点 |
| 1967年 | ロンドン動物園でアンアンと対面 | 初めて本物のパンダを見る |
| 1970年 | 女性誌『anan』創刊 | アンアンのエピソードが誌名誕生の一因に |
| 1972年10月28日 | カンカン・ランラン来日 | 日本のパンダブームの始まり |
| 2002年 | 日本パンダ保護協会設立 | 保護活動を支える民間団体が発足 |
| 2017年 | シャンシャン誕生・命名 | 黒柳さんが名前の選考委員を務める |
| 2023年 | シャンシャン中国返還 | 黒柳さんが上野で別れを告げる |
| 2025年1月 | ぬいぐるみ316個が話題に | 『おしゃれクリップ』で自宅を紹介 |
| 2026年1月27日 | シャオシャオ・レイレイ中国返還 | 日本国内のパンダ飼育数がゼロに |
この年表からも分かるように、黒柳さんのパンダ愛は、個人的な趣味から日本のパンダ文化、そして保護活動へと長い時間をかけて広がっている。
【316個のパンダコレクション】自宅のぬいぐるみ専用スペースが話題に
黒柳徹子さんのパンダ好きが改めて注目されたのが、2025年1月5日放送の日本テレビ系『おしゃれクリップ』だった。
番組では、黒柳さんの自宅の一部が写真とともに紹介され、数多くのパンダのぬいぐるみが登場した。
事務所のスタッフが実際に数えたところ、その数は316個に達していた。
316個それぞれに番号が付いている
さらに驚かされたのが、コレクションの管理方法だ。
ぬいぐるみには一つひとつタグと番号が付けられている。事務所のスタッフが、それぞれのパンダを識別できるように管理しているという。
番組では、MCの山崎育三郎さんが番号について質問し、黒柳さんがスタッフ独自の識別方法だと説明する場面もあった。
316個という数だけでも十分に驚きだが、個体ごとに管理されていることからも、コレクションへのこだわりが伝わる。
どんなパンダのぬいぐるみを持っている?
黒柳さんのコレクションには、購入したものだけでなく、知人や仕事関係者から贈られたものも含まれている。
番組では、お笑いタレントの綾小路きみまろさんから贈られたパンダも紹介された。
そのぬいぐるみは、ドイツの老舗ぬいぐるみメーカーとして知られるシュタイフの製品だった。
高級なブランド品もあれば、幼少期から大切にしてきた古いぬいぐるみもある。種類や価格だけではなく、それぞれのパンダに思い出が結び付いているところが特徴的だ。
316個という数字は現在も変わらない?
ここは誤解しやすいポイントだ。
316個という数字は、2025年1月のテレビ出演時に事務所スタッフが数えたもの。2026年11月現在の最新の総数として公表された数字ではない。
そのため、現在も必ず316個であるとは断定できない。
また、316個すべてが黒柳さん自身の購入品というわけでもない。本人が番組で贈り物も多いと説明している。
316個という数字の本当の面白さは、数の多さだけではなく、長年にわたって一体ずつ大切にしてきたことにある。
【日本パンダ保護協会の名誉会長】黒柳徹子が取り組んできた保護活動
黒柳徹子さんのパンダ愛を語るとき、忘れてはならないのが日本パンダ保護協会での役割だ。
黒柳さんは、同協会の名誉会長を務めている。
この肩書は単なる名誉職というだけでなく、長年パンダについて情報を発信してきた黒柳さんの活動を象徴するものでもある。
日本パンダ保護協会とはどんな団体?
日本パンダ保護協会は、2002年に設立された非政府・非営利の民間ボランティア団体だ。
日中国交正常化30周年にあたる年に設立され、人とパンダの共存や自然環境の保全を理念として掲げている。
主な活動の方向性は次のとおり。
- 中国のパンダ保護研究施設との連携
- パンダの生息環境を守るための支援
- 里親制度などを通じた保護活動への参加
- 写真展や講演会などを通じた啓発
- パンダの生態や保護問題に関する情報発信
特に、中国の臥龍中国パンダ保護研究センターとの関係は深い。同協会は、同センターから日本国内におけるパンダ保護関連の手続きの窓口を委託されている。
黒柳徹子の活動はどのようなもの?
黒柳さん自身も、テレビでパンダについて紹介するなど、一般の人々にその魅力を伝えてきた。
日本パンダ保護協会の公式サイトに掲載されている名誉会長メッセージでは、子どものころからパンダを研究していたことや、テレビの仕事を通して日本ではまだ知られていなかったパンダを紹介していたことを振り返っている。
また、パンダが今もさまざまな問題を抱えており、生息環境の保全が必要であることを訴えている。
2011年の協会の活動報告には、黒柳さんが名誉会長として親睦会に出席した記録もある。
同年にはパンダの繁殖プロジェクトを支援する「ジャイアントパンダ保護サポート基金」に、協会会員から預かった寄付金を届けたことも報告されている。黒柳さんは同基金の運営委員会顧問も務めていた。
パンダを守ることは自然環境を守ること
黒柳さんの活動で注目したいのは、パンダをかわいい動物として紹介するだけで終わっていない点だ。
野生動物の保護には、動物そのものを守る取り組みだけでなく、餌となる植物や森林、生息地の環境を維持することも欠かせない。
パンダの生存を支える環境を守ることは、ほかの動植物や自然環境を守ることにもつながる。
日本パンダ保護協会が掲げる理念も、パンダと人間の共存、自然環境の保護に重点を置いている。
黒柳さんの活動は、長年の個人的な関心を、社会全体で取り組むべき自然保護の問題へとつなげてきたものだ。
【シャンシャンとの思い出から2026年の現在へ】日本からパンダがいなくなった理由
黒柳さんのパンダ愛を象徴する存在として、上野動物園で生まれたシャンシャンも外せない。
シャンシャンは2017年6月12日に誕生したメスのジャイアントパンダ。日本で生まれたパンダとして、多くの人に親しまれた。
黒柳さんは命名にも関わっており、選考委員の一人として名前の決定に参加している。
シャンシャンの名前を決めた選考委員だった
2017年、シャンシャンの名前を決める際には、全国から32万件を超える応募が集まった。
黒柳さんは名前候補選考委員会に参加。最終候補の中から「シャンシャン(香香)」が選ばれた。
黒柳さんは、これまでのパンダの赤ちゃんにはない新鮮な響きで、子どもでも覚えやすいところが気に入ったと語っている。
シャンシャンが黒柳徹子に顔をすり寄せたエピソード
シャンシャンに関するエピソードで特に印象的なのが、ガラス越しに顔をすり寄せてきたという話だ。
黒柳さんは『女性自身』のインタビューで、シャンシャンを見ていた際、近づいてきたシャンシャンが自分の顔に顔をすり合わせてくれたことがあったと振り返っている。
そのあどけない様子に、たまらなくかわいらしさを感じたという。
2023年2月にシャンシャンが中国へ返還される際にも、黒柳さんは別れを告げるため上野動物園を訪れた。
その際には、シャンシャンの愛嬌に夢中になり、写真を撮ることも忘れてしまったと報じられている。
名前を決めたときから成長を見守ってきたパンダとの別れは、黒柳さんにとっても特別な出来事だった。
シャオシャオとレイレイの中国返還
シャンシャンの後も、上野動物園ではパンダの家族が人気を集めていた。
リーリーとシンシンの間には、2021年6月23日に双子のシャオシャオとレイレイが誕生した。
しかし、2頭にも中国への返還時期が定められていた。
東京都の2025年12月15日の発表によると、2頭は2026年1月下旬に中国へ返還されることになった。
その後、東京都から具体的な出発日が発表され、2026年1月27日、シャオシャオとレイレイは日本を出国した。
これにより、1972年にカンカンとランランが来日して以来、初めて日本国内のジャイアントパンダ飼育数がゼロになった。
2026年11月現在、日本にパンダはいる?
2026年11月6日現在、日本国内で飼育されているジャイアントパンダはいない。
シャオシャオとレイレイが中国へ返還されたことで、上野動物園だけでなく、日本全体でパンダが不在となった。
さらに2026年9月29日には、中国・四川省のパンダ基地でシャオシャオとレイレイの一般公開が始まった。
テレビ朝日の報道では、2頭が中国の施設で元気に過ごす様子が伝えられている。日本から返還されたパンダが中国で新しい生活を始めたことは、ファンにとって寂しさと安心が入り交じるニュースとなった。
新たなパンダの貸与については、2026年9月の報道時点で具体的な見通しは立っていなかった。
ただし、日本でパンダが見られなくなったからといって、パンダの保護活動が終わったわけではない。
むしろ、動物園で直接会える機会がなくなった今こそ、生息地の保全や繁殖研究、国際的な協力について考える必要がある。
【黒柳徹子のパンダ愛の真相】単なるコレクターではない理由
ここまでの経緯を整理すると、黒柳さんのパンダ好きには、ほかの動物コレクターとは異なる特徴がある。
それは、一頭の動物との出会いをきっかけに、長年にわたって知識を深め、社会的な活動へ発展させてきたことだ。
ネット上では、316個のぬいぐるみや『anan』の命名秘話が注目されがちだが、それらは黒柳さんのパンダ愛の一部分にすぎない。
よくある誤解と実際の事実
| よくある誤解 | 実際の内容 |
|---|---|
| 黒柳徹子が『anan』を一人で命名した | アンアンの話が誌名誕生のきっかけの一つ。一般公募も関係している |
| パンダのぬいぐるみは316個で確定している | 2025年1月の番組出演時に確認された数 |
| パンダ好きになったのは1972年の来日後 | 7歳ごろのぬいぐるみが原点で、1967年には本物と対面 |
| 黒柳徹子はパンダを集めているだけ | 日本パンダ保護協会の名誉会長として保護活動にも関わる |
| シャンシャンは黒柳徹子が単独で命名した | 選考委員の一人として命名に参加した |
| 2026年も日本でパンダが見られる | 2026年1月27日以降、国内飼育数はゼロ |
【プロの結論】黒柳徹子のパンダ愛は「かわいい」から「守りたい」への歩み
黒柳さんのパンダ愛を時系列で追うと、3つの段階が見えてくる。
第一段階は、幼少期の純粋な愛着。
叔父からもらったぬいぐるみを大切にし、戦時中も手放さなかった。まだ本物のパンダを知らない時代から、その存在に心を寄せていた。
第二段階は、本物との出会いと知識の蓄積。
1967年のロンドン動物園訪問を経て、パンダの生態や行動への関心が深まった。『anan』の誌名にまつわるエピソードも、この時期の経験から生まれている。
第三段階は、保護活動への発展。
日本パンダ保護協会の名誉会長として、パンダの生息環境や保護の必要性を伝えてきた。シャンシャンをはじめとする上野のパンダたちへの思いも、単なる人気動物への愛情にとどまらない。
2026年、日本からパンダがいなくなったという事実は大きな転換点だ。
しかし、黒柳さんが長年伝えてきたのは、動物園でパンダを見る楽しさだけではない。パンダが生き続けられる環境を守ることの大切さでもある。
【黒柳徹子のパンダ】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:黒柳徹子はなぜパンダが好きになったの?
A1:7歳ごろ、叔父からアメリカ土産としてもらったパンダのぬいぐるみがきっかけです。その後、1967年にロンドン動物園で本物のパンダを見て、生態への興味も深まりました。
Q2:黒柳徹子のパンダのぬいぐるみは何個ある?
A2:2025年1月5日放送の『おしゃれクリップ』で、事務所スタッフが数えた316個という数字が紹介されました。ぬいぐるみには個別の番号やタグも付いています。
Q3:黒柳徹子と『anan』の名前にはどんな関係がある?
A3:1967年にロンドン動物園で見たオスのパンダ「アンアン」の話を帰国後に友人や出版社関係者に伝えたことが、誌名誕生のきっかけの一つになりました。1970年に『anan』が創刊されています。
Q4:黒柳徹子は日本パンダ保護協会で何をしている?
A4:名誉会長を務めています。パンダの保護や生息環境の保全に関する情報発信、活動への理解を広げる役割を担っています。
Q5:黒柳徹子はシャンシャンの命名に関わった?
A5:はい。2017年に上野動物園で生まれたシャンシャンの名前を決める選考委員会に参加しました。シャンシャンの愛らしさについてもインタビューで語っています。
Q6:2026年現在、日本でパンダは見られる?
A6:2026年1月27日に上野動物園のシャオシャオとレイレイが中国へ返還されたため、11月現在、日本国内で飼育されているジャイアントパンダはいません。
Q7:シャオシャオとレイレイは現在どこにいる?
A7:中国・四川省のパンダ基地です。2026年9月29日から一般公開されています。
まとめ:黒柳徹子のパンダ愛は2026年以降も続いていく
黒柳徹子さんのパンダ好きは、幼少期に叔父からもらった一つのぬいぐるみから始まった。
1967年のロンドン動物園でのアンアンとの出会い、1972年のカンカンとランランの初来日、そして『anan』の誌名誕生。さらに、316個に及ぶぬいぐるみのコレクションや、日本パンダ保護協会の名誉会長としての活動へと、その関わりは広がってきた。
シャンシャンとの思い出や、シャオシャオとレイレイの中国返還も、黒柳さんにとって長年見守ってきたパンダたちとの大切な歴史の一部だ。
2026年11月現在、日本国内でパンダを見ることはできない。しかし、パンダの未来を守るための活動は続いている。
一つのぬいぐるみから始まった愛情が、半世紀以上を経て自然保護への関心につながった。
316個という数字の裏側にあるのは、単なる収集癖ではない。パンダという動物を知り、愛し、その命と環境を守りたいという黒柳徹子さんの一貫した思いなのである。
主な参考資料:日本パンダ保護協会公式サイト、東京都報道発表資料、東京ズーネット、女性自身、anan、日刊スポーツ、RBB TODAY、テレビ朝日ニュース。 (出典: 黒柳 徹子 パンダ(Yahoo!ニュース))