やるならやらねばはなぜ伝説に?放送期間・名物コントと終了の真相を徹底解説
「やるならやらねば」は、ウッチャンナンチャンが出演したフジテレビ系の人気バラエティ番組です。正式名称は「ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!」。1990年10月13日に放送を開始し、1993年6月まで土曜20時台のお茶の間を盛り上げました。略称は「やるやら」です。
内村光良が演じたマモー、ちはるが演じたミモー、南原清隆を中心とする「ナン魔くん」、視聴者参加型の感覚を取り入れた「ナンチャンを探せ!」など、番組から生まれたキャラクターや企画は当時のテレビ文化に強い印象を残しました。一方、1993年には収録中に重大な転落事故が発生し、番組は突然の終了を迎えています。2026年現在、番組の歴史を振り返るうえでは、人気の理由だけでなく、終了に至った経緯も欠かせません。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 放送期間:1990年10月13日から1993年6月26日まで。フジテレビ系の土曜20時台を代表するバラエティ番組だった。
- 人気の理由:マモー・ミモー、ナン魔くん、ナンチャンを探せ!など、個性的なコントや大掛かりな企画が人気を集めた。
- 終了の経緯:1993年6月の収録中に香港のロックバンドBEYONDの黄家駒が転落事故に遭い、同月30日に亡くなったことを受け、番組は打ち切りとなった。
【基本情報】やるならやらねばはいつからいつまで放送された?
「ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!」は、1990年10月13日から1993年6月26日までフジテレビ系列で放送されたバラエティ番組です。
放送枠は毎週土曜日の20時から20時54分。週末のゴールデンタイムに、コント、ドラマのパロディー、ゲーム企画などを組み合わせた構成で展開されました。
番組の中心を担ったのは、お笑いコンビのウッチャンナンチャン。内村光良と南原清隆がそれぞれの個性を生かし、さまざまなキャラクターに扮して笑いを生み出しました。
番組の基本データ
主な番組情報は次のとおりです。
- 正式名称:ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!
- 略称:やるやら
- 放送局:フジテレビ系列
- 放送開始:1990年10月13日
- 放送終了:1993年6月26日
- 放送時間:毎週土曜日20時~20時54分
- メイン出演者:ウッチャンナンチャン(内村光良・南原清隆)
- 主な出演者:出川哲朗、勝俣州和、石原良純、ちはる、入江雅人など
小学館の「デジタル大辞泉プラス」でも、1990年10月から1993年6月まで土曜日20時台に放送されたフジテレビ制作のバラエティ番組として紹介されています。略称の「やるやら」も、この番組を指す一般的な呼び方として定着しました。
放送期間は約2年9か月。通常の番組改編によって予定どおり終了した作品ではなく、収録中に発生した重大事故が終了の直接的な背景となっています。

【前身番組】「誰かがやらねば」から「やるやら」への進化
「やるならやらねば」の歴史を理解するには、前身番組である「ウッチャンナンチャンの誰かがやらねば!」を押さえる必要があります。
「誰かがやらねば!」は1990年4月19日から同年9月20日まで、フジテレビ系の木曜日21時台に放送された生放送のバラエティ番組です。
放送ライブラリーに登録されている第1回の番組記録によると、番組の舞台は「メゾン・ド・キン」と呼ばれるアパート。内村光良は放送作家、南原清隆はテレビ局のアシスタントディレクターという設定で、菅井きんが演じる大家のもとに住人やゲストが集まる構成でした。
アパートの部屋を舞台に、オリジナルの映像作品を紹介しながらトークを展開するスタイルが特徴です。
前身番組から引き継がれたもの
「誰かがやらねば!」の好評を受け、1990年10月に放送枠を土曜20時台へ移動してリニューアルしたのが「やるならやらねば!」です。
単純に番組名を変更しただけではありません。コントやゲーム企画をさらに充実させ、キャラクターを前面に押し出すことで、より幅広い視聴者が楽しめる番組へと発展しました。
特に重要なのが、前身番組から引き継がれたキャラクターや企画です。「ナンチャンを探せ!」などは、番組をまたいで親しまれた代表例でした。
番組を取り巻く1990年代初頭のテレビ事情
当時のフジテレビでは、とんねるずやダウンタウン、山田邦子など、人気タレントによるバラエティ番組がしのぎを削っていました。
2023年の週刊女性PRIMEによるちはるへのインタビューでも、当時の番組制作現場では、隣のスタジオの笑い声にスタッフが反応するほど、番組同士の競争意識が強かったことが語られています。
画面に映る出演者の勢いだけでなく、スタッフや演者が一体となって面白さを追求する制作環境も、「やるやら」の個性を形づくった要素でした。
【名物コント】マモー・ミモーやナン魔くんはなぜ人気だった?
「やるならやらねば」を語るとき、欠かせないのが個性的なキャラクターたちです。
なかでも代表的なのが、内村光良とちはるによるマモー・ミモー。独特のビジュアルと掛け合いで視聴者の記憶に残る存在となりました。
マモー・ミモー
マモーは内村光良、ミモーはちはるが演じたコントキャラクターです。マモーは悪役としての強烈な個性を持ち、ミモーはその愛人という設定。オレンジ色を基調とした印象的な扮装も、キャラクターの認知度を高めました。
2人の組み合わせは、単に見た目が奇抜なだけではありません。キャラクター同士の関係性や独特のテンポを持つ掛け合いが、番組の笑いを支えていました。
ちはるは2023年の週刊女性PRIMEのインタビューで、ミモーの扮装や登場シーンについて、スタッフと真剣に話し合っていた当時の制作風景を振り返っています。画面上のコミカルな姿の裏側には、細部まで作り込む姿勢がありました。
ナン魔くん
ナン魔くんは、南原清隆が演じる小学生のキャラクターです。使い魔のメフィストとともに、悪役マモー・ミモーが送り込む妖怪たちと戦うという設定で展開されました。
この企画は、当時の子どもにも親しみやすい冒険要素を取り入れたコントシリーズでした。単発のギャグだけでなく、キャラクターの関係や物語を楽しめる点が特徴です。
また、テレビ番組のキャラクターを漫画として展開するなど、テレビの枠を越えたメディアミックスも行われました。
ナンチャンを探せ!
「ナンチャンを探せ!」は、前身の「誰かがやらねば!」から引き継がれた人気企画です。
街中の映像に変装した南原清隆が紛れ込み、視聴者や出演者がどこに隠れているのかを探すクイズ形式で進行しました。絵本「ウォーリーをさがせ!」を連想させる、映像を注意深く見る楽しさがありました。
その後は「ウッチャンを探せ!」や「テッチャンを探せ!」といった派生企画も登場。変装や特殊メイク、大掛かりなロケを取り入れた企画へと発展していきました。
やるやらクエスト
ゲーム企画として知られるのが「やるやらクエスト」です。人気ゲーム「ドラゴンクエスト」をモチーフにしたパロディーで、大掛かりなセットを使い、出演者やゲストが体を張ったアクションに挑戦しました。
後期には「やるやらクエストII」も展開されましたが、この企画の収録中に、番組の歴史を大きく変える重大事故が発生します。
【出演者・関係性一覧】ウッチャンナンチャンと番組を支えた人物たち
「やるならやらねば」の魅力は、内村光良と南原清隆の2人だけで完成したものではありません。個性的なレギュラー出演者やゲストが加わることで、番組独自の世界観が生まれました。
主な人物と番組内での関係を整理すると、次のようになります。
| 人物・作品 | 番組内の役割・関係 | 主な特徴 |
|---|---|---|
| ウッチャンナンチャン | メイン出演者 | 番組の中心を担ったお笑いコンビ |
| 内村光良 | メイン出演者・コント担当 | マモーなどの個性的なキャラクターを演じた |
| 南原清隆 | メイン出演者・コント担当 | ナン魔くんやナンチャンを探せ!で活躍 |
| ちはる | レギュラー出演者 | ミモー役として強い印象を残した |
| 出川哲朗 | レギュラー出演者 | 体を張った企画やコントで番組を盛り上げた |
| 勝俣州和 | 出演者 | 番組を支えたバラエティメンバーの一人 |
| 石原良純 | 出演者 | 個性的な出演者として参加 |
| ウッチャンナンチャンの誰かがやらねば! | 前身番組 | キャラクターや企画の基盤を築いた |
この関係性から分かるのは、番組の中心にあるのがウッチャンナンチャンの2人でありながら、脇を固める出演者にもそれぞれ見せ場が用意されていたことです。
とりわけ出川哲朗は、身体を張る企画やコントで存在感を発揮しました。後年まで続くバラエティタレントとしての個性を知るうえでも、当時の出演歴は興味深いものがあります。
ちはるの証言から見える制作現場
マモー・ミモーを語るうえで見逃せないのが、ちはる本人による当時の回想です。
2023年12月の週刊女性PRIMEのインタビューでは、コントのオチが決まるまで撮影が続くことや、出演者とスタッフが衣装、表情、登場シーンなどを細かく議論していたことが紹介されました。
さらに、前身番組から続く生放送の時期には、内村と南原が本番直前に強い緊張を見せていたというエピソードも語られています。
視聴者にとっては笑いに満ちた時間でも、出演者にとっては毎回が真剣勝負だったのです。
【放送終了の真相】1993年の収録事故で何が起きたのか?
「やるならやらねば」が現在まで語り継がれる理由には、人気番組としての実績だけでなく、1993年に起きた重大事故があります。
1993年6月24日、番組の収録にゲスト参加していた香港の人気ロックバンドBEYONDのメンバー、黄家駒(ウォン・カークイ)が、収録中にステージから転落する事故に遭いました。
当時の香港紙サウスチャイナ・モーニング・ポストの報道によると、事故はフジテレビのバラエティ番組の収録中に発生。黄家駒は転落後に病院へ搬送されましたが、頭部に重傷を負い、事故から6日後の1993年6月30日、東京の病院で脳出血により亡くなりました。享年31歳でした。
この事故では内村光良も転落して負傷したと報じられています。番組の収録中に起きた事故は、日本だけでなく香港の音楽ファンにも大きな衝撃を与えました。
事故から番組終了までの流れ
番組の歴史を時系列で整理すると、次のようになります。
- 1993年6月24日:「やるやらクエストII」の収録中に転落事故が発生。黄家駒が重傷を負う。
- 1993年6月26日:放送期間の終点として記録されている日付。事故後の番組対応も注目された。
- 1993年6月30日:黄家駒が搬送先の病院で亡くなる。
- 1993年7月:事故を受け、フジテレビが番組の打ち切りを正式に発表したことが報じられる。
1993年6月の終了という記録は、実際の放送実績を示すものです。一方、事故後の正式な打ち切り決定や対応は、その後の7月にも報道されています。放送終了日と打ち切り発表の時期は区別して理解する必要があります。
2025年2月の週刊女性PRIMEによる事故の振り返り記事でも、香港のバンドメンバーが収録中に転落して亡くなったこと、そして番組が打ち切りになったことが取り上げられています。
なぜ事故は番組の打ち切りにつながったのか
最大の理由は、番組制作中にゲストの命が失われるという重大な事態が起きたことです。
バラエティ番組では、視覚的な面白さや意外性を生み出すために、特殊なセットや体を使った演出が採用されることがあります。「やるならやらねば」でも、大掛かりなセットを用いた企画が番組の特色になっていました。
しかし、出演者やゲストが参加する企画では、面白さと安全性を両立させなければなりません。事故の発生は、撮影現場における安全管理や制作体制のあり方を考える重大な契機となりました。
当時の報道では、事故後の調査やフジテレビと遺族側との対応も伝えられています。番組の終了は、人気や視聴者の支持とは別の次元で判断されたものでした。
ここで大切なのは、事故を出演者個人の責任に置き換えないことです。収録現場の安全確保は制作側を含めた組織的な課題であり、事故の経緯を理解する際にも、個人への根拠のない非難と制作体制の検証は分けて考える必要があります。

【番組の功績】やるならやらねばが1990年代のテレビに残したもの
「やるならやらねば」は、突然の終了によって番組としての歴史に幕を下ろしました。しかし、そこで生まれたキャラクターや企画は、単なる懐かしいテレビ番組という枠に収まりません。
テレビキャラクターのメディアミックス
番組の人気を示す要素の一つが、キャラクターをテレビ以外の媒体にも展開したことです。
マモー・ミモーやナン魔くんなどは、テレビ番組の中だけで完結する存在ではありませんでした。キャラクター名義のCD発売や漫画化など、当時としては積極的なメディアミックスが展開されています。
特に「ナン魔くん」や「やるやらクエスト」は、講談社の児童向け漫画雑誌「コミックボンボン」で漫画化された作品として知られています。
この展開は、テレビの人気キャラクターを商品や出版物へ広げるという、現在のメディアミックスにも通じる手法でした。
2009年には傑作選DVDが発売
番組の歴史を映像で振り返る機会として、2009年12月25日に「フジテレビ開局50周年記念DVD ウッチャンナンチャンのやるやらフォーエバー 誰かがやらねば! やるならやらねば! 傑作選」が発売されました。
全5枚組で、収録時間は合計678分。前身番組「誰かがやらねば!」の傑作選に加え、「やるならやらねば」のコントやパロディーを収録した内容です。
収録予定内容には、次のような企画やキャラクターが挙げられていました。
- コケる男
- ナンチャンを探せ!
- ナン魔くん
- マモー・ミモー
- 命影郎
- 加納さんの屈辱
- 九州男児
- 北神田三郎
- ドラマパロディー
前身番組と後継番組の両方をまとめた構成は、2つの番組が連続した歴史を持っていたことを示しています。
なお、販売店のNeowingでは現在、同DVDの製造中止が表示されています。新品を通常販売で入手できるとは限らないため、購入を検討する場合は販売状況の確認が必要です。
2026年から振り返る番組の価値
2026年の視点から見ると、「やるならやらねば」の特徴は、コント、ゲーム、キャラクター、ドラマパロディーを一つの番組にまとめていた点にあります。
現在のバラエティ番組にも、人気キャラクターを育てる企画や、出演者が身体を張るゲーム企画は存在します。しかし、「やるやら」は、それらをゴールデンタイムのレギュラー番組として展開し、キャラクターの認知度をテレビの外にまで広げました。
一方で、当時の勢いや大規模な演出をそのまま評価するだけでは、番組の歴史を十分に理解できません。視聴者を楽しませる創造性と、出演者やゲストを守る安全管理は、どちらもテレビ制作に不可欠なものです。
「やるならやらねば」は、1990年代のバラエティー黄金期を象徴する作品であると同時に、娯楽番組の制作責任について考えるきっかけを残した番組でもあります。
【よくある質問】やるならやらねばの歴史・出演者・終了理由(FAQ)
Q1:やるならやらねばは何年から何年まで放送されましたか? A1:1990年10月13日から1993年6月26日まで、フジテレビ系列の土曜日20時台に放送されました。
Q2:やるならやらねばの前身番組は何ですか? A2:「ウッチャンナンチャンの誰かがやらねば!」です。1990年4月から9月まで木曜日21時台に放送された生放送のバラエティ番組で、その人気を受けて「やるならやらねば」に発展しました。
Q3:マモー・ミモーを演じていたのは誰ですか? A3:マモーを内村光良、ミモーをちはるが演じていました。2人の独特な扮装と掛け合いが人気を集めた名物キャラクターです。
Q4:ナン魔くんを演じていたのは誰ですか? A4:南原清隆です。ナン魔くんと使い魔メフィストが、マモー・ミモー側の妖怪たちと戦うという設定のコントシリーズでした。
Q5:ナンチャンを探せとはどんな企画ですか? A5:街中の映像に変装して隠れた南原清隆を探すクイズ企画です。前身番組から引き継がれ、「ウッチャンを探せ!」などの派生企画も生まれました。
Q6:やるならやらねばが終了した理由は何ですか? A6:1993年6月24日の収録中に発生した転落事故が理由です。ゲスト出演していた香港のロックバンドBEYONDの黄家駒が重傷を負い、6月30日に亡くなりました。この重大事故を受け、番組は打ち切りとなりました。
Q7:やるならやらねばのDVDは発売されていますか? A7:2009年12月25日に、前身番組「誰かがやらねば!」と合わせた5枚組の傑作選DVDが発売されました。マモー・ミモーやナン魔くんなどの人気企画が収録されています。ただし、現在は販売店で製造中止と表示されている商品です。
まとめ:やるならやらねばは笑いと教訓を残した伝説の番組
「ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!」は、1990年10月から1993年6月まで、フジテレビ系の土曜20時台を盛り上げた人気バラエティ番組です。
内村光良と南原清隆を中心に、ちはる、出川哲朗、勝俣州和など多彩な出演者が参加。マモー・ミモー、ナン魔くん、ナンチャンを探せ!といった名物キャラクターや企画を生み出しました。
前身の「誰かがやらねば!」から受け継いだコントの魅力を発展させ、CDや漫画などのメディアミックスにも取り組んだことは、1990年代のバラエティー史における重要な実績です。
しかし、1993年6月の収録中に起きた黄家駒の転落事故と、その後の死去によって番組は打ち切りとなりました。華やかな人気の裏側にあった重大な出来事も、番組の歴史を理解するうえで忘れてはならない部分です。
2026年に改めて振り返る「やるならやらねば」は、単に懐かしいコントを楽しむための番組ではありません。ウッチャンナンチャンの表現力、キャラクターを育てる企画力、そしてテレビ制作に求められる安全への責任。その両面を考えることができる、1990年代を代表するバラエティ作品です。 (出典: やる なら やら ねば(Yahoo!ニュース))