岸谷五朗の若い頃は?19歳のSET入団から映画ブレーク、2026年の現在まで徹底解剖
俳優・演出家として長年第一線で活躍する岸谷五朗。現在の渋みのある演技や存在感からは想像しにくいが、若い頃の岸谷五朗は、19歳で劇団に飛び込み、アルバイトでレッスン費を稼ぎながら演技やダンスを学んだ、非常にエネルギッシュな青年だった。
1964年9月27日生まれの岸谷五朗は、2026年11月現在62歳。中央大学商学部に在学していた19歳のとき、三宅裕司が主宰する劇団スーパー・エキセントリック・シアター(SET)に入団した。その後、寺脇康文との活動やラジオ番組『岸谷五朗の東京RADIO CLUB』を経て、1993年の映画『月はどっちに出ている』で大きな注目を集める。2026年には新演劇プロジェクト「PRIME VINsTAGE」も始動した。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 19歳で劇団入団:中央大学在学中に三宅裕司主宰のSETのオーディションに合格。応募者100人以上の中から選ばれた。
- 苦労した下積み時代:夜中のサンドイッチ工場や解体工事などで働き、クラシックバレエやタップダンスのレッスン費を確保していた。
- 2026年も演劇の最前線:映画『月はどっちに出ている』でのブレークから、地球ゴージャス30周年、そして新プロジェクト「PRIME VINsTAGE」へと活動を広げている。
【若い頃の原点】岸谷五朗は19歳で三宅裕司の劇団SETに入団していた
岸谷五朗の若い頃を語るうえで欠かせないのが、演劇との出会いだ。現在の俳優としてのキャリアは、テレビドラマや映画から始まったわけではない。出発点は、舞台への強い憧れだった。
子どもの頃に見た劇団四季の舞台が人生を変えた
2024年12月29日公開の「婦人公論.jp」のインタビューで、岸谷五朗は幼少期の演劇体験について振り返っている。
小学生の頃、母親に連れられて劇団四季の舞台を観劇したことが、俳優を志すきっかけになったという。舞台上で表現する人々の姿に強く惹かれ、客席ではなく演じる側に立ちたいという気持ちが芽生えた。
「僕はあっち側へ立とう」
この言葉には、幼い頃から舞台に対して抱いていた憧れが表れている。
興味深いのは、最初から演劇一筋の優等生だったわけではないことだ。本人によれば、子どもの頃はバスケットボールやドッジボール、サッカーなど、何をやっても比較的器用にこなせるタイプだったという。一方で、すぐにできてしまうため、物事を長く続けられない一面もあったと振り返っている。
そんな岸谷が本気で舞台俳優を目指そうと決めたのは高校時代。進路を考える時期になり、突然、自分が俳優になるという目標を思い出したというエピソードも印象的だ。
中央大学商学部に進学し、19歳でSETのオーディションに挑戦
母親から大学には進学したほうがよいと勧められ、岸谷五朗は中央大学に進学した。プロフィール資料では中央大学商学部への在籍が確認できる。
しかし、大学生活を送るなかでも舞台俳優への思いは強かった。2024年の本人インタビューでは、大学1年のとき、19歳という年齢に焦りを感じ、学生演劇を経験するより先に劇団のオーディションを受けたと語っている。
応募先は、三宅裕司が主宰する劇団スーパー・エキセントリック・シアター。通称SETと呼ばれる劇団だった。
本人の記憶によると、応募者は100人以上。そのなかで合格したのは本人を含めてわずか3人だったという。
19歳という若さで、すでに競争の激しい演劇の世界へ足を踏み入れていたのだ。
この時期の岸谷五朗を理解するうえで大切なのは、大学進学と演劇への挑戦が必ずしも対立していなかった点である。大学に進学した後も、自分の将来を舞台俳優に定め、行動に移していった。その決断が、その後40年以上にわたる演劇人生の出発点になった。
【下積み時代の実態】アルバイトでレッスン費を稼ぎ、ダンスやバレエを習得
岸谷五朗の若い頃のエピソードで、とりわけ注目されるのが下積み時代の生活だ。
現在は俳優だけでなく、舞台の作・演出も手掛ける岸谷だが、劇団に入った直後から華々しい活躍をしていたわけではない。最初は思うように役がつかず、日々の稽古や技術習得に時間を費やしていた。
役が少ない時期に取り組んだ複数のレッスン
2024年の「婦人公論」のインタビューによると、岸谷は舞台で必要になる技術を幅広く身につけようと考え、アクロバット、タップダンス、ジャズダンス、クラシックバレエなどに取り組んだ。
演劇の稽古だけで満足せず、身体表現の幅を広げようとしたところに、現在の舞台演出にもつながる探究心が見える。
当時のバレエのレッスン料は、本人の記憶では1回約1500円。3時間ほどアルバイトをしなければ稼げない金額だったという。
夜中のサンドイッチ工場や解体工事でも働いた
レッスン費用を確保するため、岸谷はさまざまなアルバイトを経験した。
- 夜中のサンドイッチ工場での仕事
- 解体工事の仕事
- レッスン費を稼ぐための複数のアルバイト
特に夜間の仕事と昼間の稽古を両立する生活は、体力的にも厳しかったと考えられる。
別のインタビューでは、20代の頃に4畳半の部屋で暮らしていたことも明かしている。生活の余裕が十分にある環境ではなかったが、ダンスや演技のレッスンを続けていた。
「ゆうゆうtime」のインタビューでは、当時について、人生で最も睡眠時間が少なく、苦しい時期だった一方、最も楽しかった20代でもあったという趣旨の振り返りをしている。
この発言は、若い頃の苦労を単純な成功物語に変えてしまわないためにも重要だ。経済的な余裕がなく、睡眠時間も削られる生活だった。しかし、目標に向かって技術を身につける時間そのものには、強い充実感があった。
三宅裕司が評価したのは劇団の外でも学ぶ姿勢
三宅裕司との関係についても、本人が印象的なエピソードを明かしている。
岸谷によると、三宅から当時唯一褒められたことの一つは、劇団のレッスンだけでなく、外部にも積極的にアプローチしている点だったという。
つまり、三宅が評価したのは単なる器用さや才能ではなく、自分から学びに行く姿勢だった。
SETは、俳優に演技だけを求めるのではなく、歌やダンス、身体表現、コメディーなど多面的な技術を重視する劇団として知られている。そこで外部のレッスンも取り入れた岸谷の姿勢は、後年のエンターテインメント性の高い舞台づくりにもつながっている。
【経歴・人物相関年表】SET隊、寺脇康文、三宅裕司、東京RADIO CLUBとの関係
岸谷五朗の若い頃を理解するには、本人だけでなく、周囲の人物や所属した劇団、ラジオ番組との関係を整理するとわかりやすい。
特に三宅裕司、寺脇康文、山田幸伸との関係は、その後のキャリアを形づくった重要な要素だ。
| 時期 | 人物・作品・活動 | 岸谷五朗との関係・意味 |
|---|---|---|
| 幼少期 | 劇団四季の舞台 | 舞台俳優を志すきっかけとなった体験。 |
| 1980年代前半 | 中央大学商学部 | 大学在学中に俳優を目指し、劇団のオーディションに挑戦。 |
| 1983年・19歳 | 劇団スーパー・エキセントリック・シアター | 三宅裕司主宰の劇団に入団。舞台俳優としての活動を開始。 |
| 1987年 | SET隊 | 寺脇康文、山田幸伸と若手ユニットを結成。 |
| 1990年~1994年 | 岸谷五朗の東京RADIO CLUB | TBSラジオの生ワイド番組でパーソナリティーを担当。 |
| 1993年 | 映画『月はどっちに出ている』 | 主演を務め、映画界でも広く注目される。 |
| 1994年 | 地球ゴージャス | 寺脇康文と演劇企画ユニットを結成。 |
| 1996年 | 岸谷香との結婚 | 元プリンセス プリンセスの岸谷香と結婚。 |
| 2024年 | 地球ゴージャス30周年 | 『儚き光のラプソディ』で作・演出・出演を担当。 |
| 2026年 | PRIME VINsTAGE | 新しい演劇プロジェクトを立ち上げ、旗揚げ公演を実施。 |
SET隊で寺脇康文とコンビを組んだ若手時代
1987年、岸谷は同じSETに所属していた寺脇康文、山田幸伸とともに「SET隊」というユニットを結成した。
SET隊は、劇団の活動とは別に、コントやラジオドラマなどの分野でも活動した若手ユニットだ。
現在の地球ゴージャスにつながる岸谷と寺脇の関係は、この頃から深まっていった。
寺脇は、後にテレビドラマ『相棒』シリーズの亀山薫役などで知られる俳優となる。岸谷と寺脇は、それぞれ映像作品でも存在感を発揮するようになったが、舞台で培った関係は長く続いている。
三宅裕司は岸谷五朗の演劇人生の恩師的存在
三宅裕司は、岸谷が19歳で入団したSETの主宰者であり、俳優としての初期の成長に大きな影響を与えた人物だ。
本人のインタビューからも、三宅が若い岸谷の努力や自主性を見ていたことがわかる。
ただし、二人の関係を単純に現在まで続く師弟関係と捉えるより、演劇の世界に入る入口をつくり、若い岸谷の姿勢を評価した先輩・主宰者と説明するほうが実態に近い。

【1993年が転機】映画『月はどっちに出ている』で岸谷五朗が注目された理由
劇団での舞台経験を積み、ラジオでも知名度を上げていった岸谷五朗にとって、大きな転機になったのが1993年公開の映画『月はどっちに出ている』だった。
在日韓国人のタクシードライバー・忠男役で主演
『月はどっちに出ている』は、崔洋一監督による1993年の映画だ。原作は梁石日の小説『タクシー狂躁曲』。岸谷は、在日韓国人のタクシードライバーである姜忠男(カン・チュンナム)を演じた。
共演はルビー・モレノ。岸谷演じる忠男と、フィリピン人ホステスのコニーとの関係を軸に、多国籍都市・東京で生きる人々の日常や社会的背景を描いている。
本作の特徴は、単純な恋愛映画にとどまらず、在日コリアンの生活や外国人労働者を取り巻く環境など、当時の都市社会が抱えていた問題を描いた点にある。
岸谷の演技も、舞台で培った身体表現だけではなく、人物の内面や日常的な感情を自然に伝えるものだった。
本人が語った映画出演のきっかけ
「婦人公論」の2024年インタビューでは、岸谷本人が映画出演までの経緯を詳しく語っている。
1990年から約4年間担当していたTBSラジオの『岸谷五朗の東京RADIO CLUB』で名前が知られるようになり、それが映画出演につながったという。
崔洋一監督から会いたいと言われ、脚本を読むように求められた岸谷は、オーディションのようなものだと受け止めて台本を読んだ。その後、主人公に選ばれた。
本人の話によると、監督は最初に会った段階ですでに役のイメージを感じていた一方、その後も約100人に会って出演者を探していたという。
このエピソードからも、映画出演が偶然の一度きりの抜擢ではなく、岸谷の舞台経験やラジオでの活動が積み重なった結果だったことがわかる。
日本アカデミー賞新人俳優賞などを受賞
『月はどっちに出ている』は映画界でも高い評価を受けた。岸谷自身も、1994年の第17回日本アカデミー賞で新人俳優賞を受賞している。
作品は第67回キネマ旬報ベスト・テンで日本映画第1位となり、ベルリン国際映画祭のフォーラム部門でも上映された。
1993年11月6日に公開された同作は、2026年11月6日で公開からちょうど33年を迎える。岸谷五朗にとって、舞台俳優から映画俳優へと活動領域を広げた象徴的な作品だ。
ラジオ『東京RADIO CLUB』も人気を支えた
岸谷五朗の若い頃を振り返る際、映画と同じくらい重要なのがラジオでの活動である。
『岸谷五朗の東京RADIO CLUB』は、TBSラジオで1990年10月8日から1994年9月30日まで放送された若者向けの平日夜の生ワイド番組だ。通称「レディクラ」と呼ばれた。
放送ライブラリーにも番組記録が残されており、岸谷五朗と恵俊彰が出演した放送回などを確認できる。
舞台で培った表現力をラジオで発揮し、映画で新たなファンを獲得する。この複数のメディアを横断する活動が、1990年代前半の岸谷の知名度を押し上げた。
【若い頃の写真・画像と現在を比較】岸谷香との結婚、俳優としての変化
岸谷五朗の若い頃の写真や画像を探す人が多い理由の一つは、現在の落ち着いた俳優としての姿と、1990年代のエネルギッシュな印象を比較したいという関心だろう。
若い頃の写真を見るなら映画『月はどっちに出ている』に注目
若い頃の岸谷五朗の画像を確認する際、資料として参考になるのが映画『月はどっちに出ている』のスチール写真だ。
2024年12月29日の「婦人公論.jp」の本人インタビューには、映画出演時の岸谷の写真が掲載されている。この写真はアミューズ提供と明記されており、1993年当時の姿を確認できる資料の一つだ。
一方、10代の劇団入団直後の写真と、1993年の映画出演時の写真は年代が異なる。検索結果で若い頃の画像として紹介されている写真が、必ずしも19歳当時のものとは限らない点には注意したい。
公式プロフィールの写真と映画当時の写真を見比べることで、若い頃から現在までのキャリアの変化を把握しやすくなる。
1994年に寺脇康文と地球ゴージャスを結成
映画で注目を集めた1993年の翌年、岸谷は寺脇康文とともに演劇企画ユニット「地球ゴージャス」を結成した。
地球ゴージャスの公式説明によると、結成は1994年、旗揚げ公演は1995年。固定メンバーだけで構成する一般的な劇団とは異なり、岸谷と寺脇を中心に、作品ごとにゲストを迎えるプロデュース公演のスタイルを採用している。
岸谷は演出を中心に、作品によって脚本や出演も担当してきた。寺脇との共同活動は、単なる俳優同士の共演ではなく、舞台作品を生み出す制作面でのパートナーシップへと発展している。
2024年には結成30周年記念公演『儚き光のラプソディ』を上演。東京の明治座と大阪のSkyシアターMBSで公演し、岸谷は作・演出・出演を担当した。
岸谷香との結婚は1996年
岸谷五朗の私生活で知られている大きな出来事が、元プリンセス プリンセスのミュージシャン・岸谷香との結婚だ。
二人は1996年に結婚した。スポニチアネックスが2022年に報じたテレビ番組での本人の話によると、二人の出会いは岸谷が担当していたラジオ番組に岸谷香がゲスト出演したことがきっかけだった。
さらに、岸谷が関わっていた劇団のプロデュース公演で、岸谷香が使用楽曲を手掛けたことも、互いの仕事への理解を深めるきっかけになったという。
1996年はプリンセス プリンセスが解散した年でもあり、音楽活動の節目と結婚が重なった時期だった。
二人の結婚生活については、テレビ番組などで語られたエピソードもあるが、家族のプライベートを過度に公開するスタイルではない。公表されている仕事や本人の発言を中心に見るのが適切だ。
若い頃と現在の比較で見えてくるもの
岸谷五朗の若い頃と現在を比べると、単純な外見の変化以上に、活動の中心が広がってきたことがわかる。
- 20代:劇団での舞台経験、ダンスや身体表現の習得、SET隊での活動。
- 30代:映画やドラマでの出演が増え、地球ゴージャスの制作・演出にも本格的に取り組む。
- 40代~50代:俳優として幅広い役柄を演じながら、演出家としての活動も継続。
- 60代:テレビドラマへの出演と新しい演劇プロジェクトの立ち上げを両立。
若い頃は、自分の技術を身につけるためにレッスンへ通い続ける立場だった。現在は、自分が経験してきた演劇の世界を次の作品や新しい表現の形に変えていく立場にある。
俳優としての魅力を保ちながら、作り手としても活動を続けていることが、若い頃との最も大きな違いだ。
【2026年最新】岸谷五朗の現在は62歳、新プロジェクトPRIME VINsTAGEが始動
2026年の岸谷五朗は、俳優としての映像作品への出演に加え、演劇の新しい可能性を探る活動にも取り組んでいる。
TBSドラマ『田鎖ブラザーズ』に出演
地球ゴージャスの公式サイトは、2026年2月9日、岸谷五朗のTBS金曜ドラマ『田鎖ブラザーズ』への出演を発表した。
岸谷が演じるのは、小池俊太。青委警察署刑事課強行犯係の係長を務める警部補で、岡田将生演じる真の直属の上司にあたる人物だ。
物語の中心人物を厳しく、時には温かく見守る役どころで、舞台での演出経験を持つ岸谷が、映像作品でどのような存在感を発揮するかも見どころとなった。
新演劇プロジェクト「PRIME VINsTAGE」を立ち上げ
2026年5月18日、アミューズは岸谷五朗による新しい演劇プロジェクト「PRIME VINsTAGE(プライムヴィンテージ)」の始動を発表した。
その背景には、20代の頃に取り組んだ小劇場での活動への思いがある。
岸谷は公式プロジェクトサイトで、小劇場での経験が地球ゴージャスを大劇場へと成長させる足掛かりになったことを振り返っている。一方で、小劇場そのものの空間でしか生まれない芸術表現に、改めてじっくり向き合いたいという考えも示している。
つまり、これまでの活動を縮小するためのプロジェクトではない。大劇場で培った経験を持つ現在だからこそ、あえて小劇場に戻り、新しい表現を追求する試みだ。
旗揚げ公演『ジャコメッティのように』の内容
PRIME VINsTAGEの旗揚げ公演は、オリジナル舞台『ジャコメッティのように』。岸谷五朗が作・演出を担当し、自身も出演した。
作品は、彫刻家アルベルト・ジャコメッティの生涯と、その周囲にいた人々の関係をモチーフにしている。芸術家と妻、友人という三者の関係を通して、芸術や愛、生きる意味を描く人間ドラマだ。
主な出演者は渡部豪太、純名里沙、岸谷五朗。さらに大駱駝艦の小田直哉、石井エリカも参加した。
公演日程は次のとおりだった。
- 東京公演:2026年7月17日~8月2日、シアター・アルファ東京。
- 大阪公演:2026年8月13日~8月20日、ABCホール。
2026年11月現在、旗揚げ公演はすでに終了している。
注目したいのは、PRIME VINsTAGEが地球ゴージャスとは異なる表現を目指している点だ。地球ゴージャスが大規模なエンターテインメント性や多彩な出演者とのコラボレーションを特徴とする一方、新プロジェクトでは小劇場ならではの濃密な空間と、作品をじっくり構築する創作姿勢を重視している。
19歳でSETに入団し、20代を小劇場で過ごした岸谷が、60代になって再びその原点に向き合う。この流れは、若い頃の経験が現在の創作活動に直結していることを示すものだ。
【プロの結論】岸谷五朗の若い頃の本当の魅力は、努力を続ける姿勢にある
岸谷五朗の若い頃を振り返ると、現在の成功を支えているのは、単に早い段階で才能を認められたことではないとわかる。
19歳で劇団に入団した後、すぐに大きな役を得たわけではなかった。演技以外にもアクロバットやダンス、バレエを学び、レッスン費を稼ぐために夜間の工場や解体工事で働いた。
そして、三宅裕司のもとで舞台経験を積み、寺脇康文らとSET隊として活動し、ラジオを通して知名度を上げ、映画で評価を得た。
この経歴から読み取れるのは、岸谷五朗が一つの分野だけに依存せず、必要な能力を自分で探し、実践してきたことだ。
舞台俳優としてスタートしながら、ラジオのパーソナリティー、映画俳優、テレビドラマの出演者、そして舞台演出家へと活動を広げてきた。各段階で得た経験が次の仕事につながっている。
2026年のPRIME VINsTAGEも、若い頃の小劇場経験を振り返るだけの懐古的な活動ではない。小劇場で培ったものを、現在の経験や視点で新しい作品に変える挑戦だ。
岸谷五朗の若い頃の写真に惹かれる人にとっても、1993年の映画出演時の姿だけでなく、その前に積み重ねた劇団での時間を知ることで、俳優としての魅力をより深く理解できるはずだ。
【岸谷五朗の若い頃】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:岸谷五朗は若い頃、何歳で劇団に入団しましたか?
A1:19歳です。中央大学に在学していた時期に、三宅裕司が主宰する劇団スーパー・エキセントリック・シアター(SET)のオーディションに合格しました。本人のインタビューによると、100人以上の応募者のうち合格したのは3人だったそうです。
Q2:岸谷五朗は若い頃、どんなアルバイトをしていましたか?
A2:夜中のサンドイッチ工場や解体工事などのアルバイトをしていました。クラシックバレエやタップダンスなどのレッスン費を稼ぐためで、当時のバレエは1回約1500円だったと本人が振り返っています。
Q3:岸谷五朗が若い頃にブレークした映画は何ですか?
A3:1993年公開の映画『月はどっちに出ている』です。崔洋一監督の作品で、岸谷は在日韓国人のタクシードライバー・姜忠男役を演じました。1994年には日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞しています。
Q4:岸谷五朗と寺脇康文は若い頃からの知り合いですか?
A4:はい。同じ劇団スーパー・エキセントリック・シアターに所属し、1987年には山田幸伸とともにSET隊を結成しました。1994年には二人で地球ゴージャスを立ち上げています。
Q5:岸谷五朗は2026年現在、何歳ですか?
A5:1964年9月27日生まれで、2026年11月現在62歳です。2026年にはTBSドラマ『田鎖ブラザーズ』に出演し、新演劇プロジェクトPRIME VINsTAGEの旗揚げ公演『ジャコメッティのように』でも作・演出・出演を担当しました。
まとめ:岸谷五朗は若い頃の経験を2026年の演劇活動につなげている
岸谷五朗の若い頃は、19歳でのSET入団から始まり、アルバイトをしながら演技やダンスを学んだ下積み時代、寺脇康文とのSET隊、ラジオでの人気獲得、そして1993年の映画『月はどっちに出ている』でのブレークへと続いていく。
1994年の地球ゴージャス結成は、俳優としてだけでなく、舞台をつくる側へ活動を広げた重要な転換点だった。
そして2026年、62歳になった岸谷五朗は、新プロジェクトPRIME VINsTAGEを立ち上げ、小劇場でしか生まれない表現に改めて挑戦している。
若い頃の苦労と現在の活躍を結びつける最大のポイントは、演劇への探究心が途切れていないことだ。19歳で舞台の世界に飛び込んだ青年は、40年以上を経た今も、新しい作品を生み出す挑戦を続けている。
岸谷五朗の魅力は、過去の代表作だけでは語り尽くせない。若い頃に身につけた技術と経験を、現在進行形の創作活動へと変え続けているところにある。
主な確認資料:アミューズ公式プロフィール・2026年公式発表、地球ゴージャス公式サイト、婦人公論2024年12月29日掲載の本人インタビュー、放送ライブラリー、映画作品公式情報、スポニチアネックス。
(出典: 岸谷 五朗 若い 頃(Yahoo!ニュース))