【通算成績】上田二朗がプロ野球に残した記録と阪神コーチ時代
上田氏の通算成績は、NPB公式記録によると次のとおりです。
セーブ3、完投61、完封13。NPB公式個人年度別成績(2025年シーズン終了時掲載データ)。
引退後は阪神の投手コーチに就任
1982年に現役を引退した上田氏は、翌1983年から阪神の指導者として新しいキャリアを始めました。
主な指導歴は以下のとおりです。
- 1983年:一軍投手コーチ補佐
- 1984年:二軍投手コーチ
- 1989年:一軍投手コーチ
- その後:二軍育成コーチを3年間担当
- 1993年:再び一軍投手コーチ
- 1994年:コーチ職を退任
- 1995年:球団フロント入り
2025年のFull-Countのインタビューでは、コーチ時代の経験についても語っています。
印象的なのは、投手の練習を見守る際の気配りについてのエピソードです。
ある日、ブルペンで仲田幸司投手と田村浩一投手が投球練習をしていた際、上田氏は一方の投手ばかりを見ていました。すると、もう一方の投手が「上田さんが僕を見てくれないので」と練習をやめてしまったといいます。
この経験から、選手には技術指導だけでなく、声をかけたり、目を配ったりすることも必要だと学んだそうです。
現役時代に投手として多くの経験を積んだ上田氏が、指導者としては選手とのコミュニケーションを重視するようになったことが伝わるエピソードです。
2003年の阪神優勝も忘れられない経験
フロント職としても阪神を支えた上田氏は、星野仙一監督のもとで2003年のリーグ優勝を経験しています。
当時は管理部長を務めており、優勝パレードにも参加しました。
現役時代には1985年の優勝を二軍コーチとして経験していましたが、2003年は球団の管理部門からチームを支える立場でした。
選手、コーチ、フロントという異なる立場で阪神に携わってきたことは、上田氏のキャリアを特徴付ける部分です。
2012年1月1日付で阪神球団を退団。40年以上にわたって関わってきたタイガースとの球団職員としての関係に一区切りをつけました。
【2026年現在】上田二朗は何をしている?野球解説者としての活動
2026年11月現在、上田氏は野球評論家として活動しています。
特に阪神タイガースについては、現役時代の経験と指導者・フロント時代の知識を生かした評論を続けています。
2026年もサンケイスポーツで阪神を分析
2026年9月18日付のサンケイスポーツ関西版には、上田氏による「サブマリン斬り」という阪神関連の評論記事が掲載されました。
同記事では、阪神の大竹耕太郎投手について、球速だけに頼らない投球の価値を取り上げています。
現役時代にアンダースローで活躍した上田氏ならではの視点から、投手の技術やチームの戦い方を分析する活動です。
同記事でも、上田氏はサンケイスポーツ専属評論家として紹介されています。
2026年の阪神コーチではない
現在の役職についても整理しておきましょう。
2026年度のNPB公示に掲載された阪神タイガースの監督・コーチ一覧には、上田氏の名前はありません。
つまり、現在の阪神の現役コーチとして活動しているのではなく、球団退団後は評論家として阪神を見守る立場です。
2026年11月時点で79歳。現役時代の実績だけでなく、長年の球団経験を踏まえた野球評論を続けていることが、現在の上田氏を理解するうえで重要です。
【プロの結論】上田二朗の本当の評価は22勝だけでは分からない
上田二朗氏の野球人生を振り返ると、評価すべきポイントは大きく3つあります。
第一に、1973年の22勝という実績です。
プロ4年目に22勝を挙げ、287回1/3を投げた実績は、阪神の歴史に残る投球記録です。江夏豊氏との二枚看板として投手陣を支えたことも忘れてはいけません。
第二に、アンダースローという個性を武器にしたことです。
高校時代の故障や病気を経て投法を変更し、大学で実力を伸ばしてドラフト1位にまで成長しました。最初から順風満帆だったわけではなく、環境の変化を自分の強みに変えた選手です。
第三に、引退後も阪神を支えたことです。
投手コーチ、二軍育成コーチ、フロント職、野球評論家と、選手生活の後にも野球に関わり続けています。
上田氏を調べる際には、単に22勝という数字だけを追うのではなく、阪神と南海での経験、登録名の変遷、指導者としての実績まで含めて評価することが大切です。
【上田二朗】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:上田二朗は何勝したプロ野球選手ですか?
A1:NPB公式記録では通算92勝101敗3セーブです。361試合に登板し、防御率は3.95でした。
Q2:上田二朗が1973年に記録した22勝は本当ですか?
A2:本当です。阪神で46試合に登板して22勝14敗を記録しました。投球回は287回1/3、NPB公式表示の防御率は2.23です。
Q3:上田二朗が登録名を変更した理由は何ですか?
A3:家相の先生から、その年の年回りに合った名前を勧められたことがきっかけです。「上田二朗」から「上田次郎」、再び「上田二朗」、そして「上田次朗」へと変更しました。
Q4:上田二朗は南海ホークスでも活躍しましたか?
A4:1979年オフに南海へ移籍し、1980年に6勝6敗1セーブ、1981年に5勝9敗を記録しました。1982年途中に阪神へ復帰しています。
Q5:上田二朗は2026年現在も阪神のコーチですか?
A5:いいえ。2012年に阪神球団を退団しており、2026年現在は野球評論家として活動しています。サンケイスポーツで阪神の評論も担当しています。
まとめ:上田二朗は阪神の歴史を支えたアンダースローの名投手
上田二朗氏は、1969年ドラフト1位で阪神に入団し、1973年に22勝を挙げた元プロ野球投手です。
南海ホークスへの移籍や阪神復帰を経験し、通算92勝を記録。1982年の引退後も阪神の投手コーチやフロントとして球団を支えてきました。
登録名の変更は家相や年回りに関係するもので、「上田次郎」「上田次朗」も同一人物の別時期の登録名です。また、ドラマ『TRICK』の上田次郎とは別人です。
2026年現在もサンケイスポーツ専属評論家として阪神の試合を分析しており、長年の経験を生かした野球評論を続けています。
上田二朗という人物の魅力は、1973年の22勝という記録だけではありません。 選手、指導者、球団フロント、評論家という複数の立場から阪神タイガースを支えてきた、その長い野球人生にあります。
主な参考資料
- 日本野球機構(NPB)「上田次朗 個人年度別成績」
- Full-Count「球界群像 上田二朗」連載(2025年3~4月)
- 週刊ベースボールONLINE「上田二朗インタビュー」
- サンケイスポーツ関西「上田二朗 サブマリン斬り」(2026年9月18日)
- NPB「2026年度 阪神タイガース監督・コーチ一覧」
記事の情報基準日:2026年11月6日 (出典: 上田 二 朗(Yahoo!ニュース))