増位山太志郎の現在は?元大関の相撲人生と歌手活動、76歳で迎えた最期を徹底解説
2026年現在、「増位山の現在」を調べる人が知っておきたいのは、元大相撲大関で演歌歌手としても人気を集めた増位山太志郎(ますいやま・だいしろう)さんが、2025年6月15日に76歳で亡くなったという事実です。所属事務所のゴールデンミュージックプロモーションは、2025年6月17日に訃報を発表。死因は肝不全で、晩年は病気療養とリハビリを続けていました。
増位山さんは、1981年に現役力士を引退した後、三保ヶ関親方として相撲部屋を率い、2013年の日本相撲協会定年退職後は歌手活動に力を注ぎました。「そんな夕子にほれました」「そんな女のひとりごと」「男の背中」などのヒット曲でも知られ、土俵と歌謡界の両方で足跡を残した人物です。その生涯、相撲成績、親方時代、歌手としての代表作、晩年の経緯を振り返ります。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 現在:増位山太志郎さんは2025年6月15日、肝不全のため76歳で死去。
- 相撲:最高位は大関。生涯戦績597勝538敗18休、技能賞5回を記録した。
- 歌手:「そんな夕子にほれました」「そんな女のひとりごと」などのヒット曲を持ち、2013年の定年退職後も歌手として活動した。
【2026年現在】増位山太志郎さんは2025年6月15日に76歳で死去
増位山太志郎さんは、2025年6月15日午後2時38分、肝不全のため亡くなりました。享年76歳です。
訃報を公表したのは、歌手活動で所属していたゴールデンミュージックプロモーションです。2025年6月17日付の公式発表では、以前から病気療養中だったこと、そして最期まで活動への復帰を望んでいたことが明かされました。
同発表によれば、増位山さんは2022年12月に体調不良を訴え、医師から敗血症と診断されていました。その後、復帰を目指して療養とリハビリを続けるため、芸能活動を休止していました。
ここで押さえておきたいのは、死因として公表されたのは肝不全であり、2022年に診断された敗血症とは区別して理解する必要があるという点です。所属事務所の発表は、肝不全による死去と、それ以前の敗血症の診断をそれぞれ記載しています。
2026年11月現在、増位山さん本人の新たな芸能活動や出演情報はありません。現在の状況を正しく理解するには、2025年6月の訃報を起点に、残された相撲記録や音楽作品を振り返ることが大切です。

【二代目増位山の生涯】初代の父から史上初の親子大関へ
増位山太志郎さんは、1948年生まれ。本名は澤田昇(さわだ・のぼる)です。父親は、元大関で初代増位山として知られる増位山大志郎。父子ともに大関へ昇進した、相撲史に残る親子でした。
父親の反対を押し切って相撲界入り
所属事務所の公式プロフィールによると、増位山さんは高校時代に水泳選手として活動していました。しかし、卒業前に力士になることを決意します。
父親は元大関で、三保ヶ関部屋を率いる立場にありました。息子が同じ相撲界に進むことには強く反対したとされています。それでも本人は志を曲げず、1967年1月場所に「瑞竜」のしこ名で初土俵を踏みました。
その後、1968年に増位山のしこ名を継承。1969年7月場所で十両に昇進し、1970年3月場所で新入幕を果たしました。
1980年に大関昇進、父子で大関の歴史をつくる
1970年代を通じて番付を上げ、1980年3月場所に大関へ昇進しました。これにより、父の初代増位山大志郎と息子の二代目増位山太志郎が、ともに大関を経験する史上初の親子大関となりました。
増位山さんの魅力は、力任せに相手を押し切る相撲だけではありません。右四つからの下手投げや内掛けなど、技術を生かした多彩な取り口が持ち味でした。相手の動きに対応する柔軟な足腰と技の選択が、業師としての評価につながりました。
増位山太志郎さんの生涯と関係者・転機の年表
| 時期 | 出来事・人物 | 意味・関係 |
|---|---|---|
| 1948年 | 増位山太志郎さん誕生 | 初代増位山大志郎の長男 |
| 1967年1月 | 初土俵 | 瑞竜のしこ名で相撲界入り |
| 1972年 | 「いろは恋唄」で歌手デビュー | 力士と歌手の二つの活動を開始 |
| 1980年3月 | 大関昇進 | 史上初の親子大関を実現 |
| 1981年3月 | 現役引退 | 年寄・小野川を襲名 |
| 1984年 | 10代三保ヶ関を継承 | 三保ヶ関部屋の師匠に就任 |
| 2013年11月15日 | 日本相撲協会を定年退職 | 本格的に歌手活動へ移行 |
| 2022年12月 | 敗血症と診断 | 療養とリハビリのため活動休止 |
| 2025年6月15日 | 肝不全のため死去 | 享年76歳 |
この年表から分かるのは、増位山さんの人生が相撲一筋で終わったわけではないということです。現役時代から音楽に取り組み、引退後は親方として弟子を育て、協会退職後は歌手として再び活動の中心を移しました。
【元大関・増位山の相撲成績】生涯597勝と技能賞5回の実績
増位山さんの相撲人生を数字で振り返ると、派手な優勝回数だけでは測れない実力が見えてきます。日本相撲協会の歴代大関プロフィールには、以下の成績が記録されています。
日本相撲協会の公式記録
- 最高位:大関
- 生涯戦績:597勝538敗18休
- 通算場所数:86場所
- 幕内戦績:422勝435敗18休
- 大関在位:7場所
- 大関戦績:44勝44敗7休
- 技能賞:5回
- 金星:4個
- 幕内優勝:0回
優勝回数だけでは分からない業師としての魅力
増位山さんは幕内優勝こそありませんでしたが、技能賞を5回受賞しています。これは、相撲の技術面で高く評価されていたことを示す実績です。
得意技は右四つ、下手投げ、内掛け。相手の力を正面から受け止めるだけでなく、体勢を崩したり、足技を仕掛けたりする技術に長けていました。
特に内掛けは、相手の足に自分の足を掛けてバランスを崩す技です。相手との距離や体勢を見極める判断力が必要で、力だけでは成立しません。
また、金星4個という記録も残しています。横綱から勝利を挙げた実績であり、上位力士に対しても存在感を示していました。
大関在位は7場所と比較的短期間でしたが、技能賞5回、金星4個という記録は、単純な勝敗だけでは捉えきれない実力を物語っています。

【三保ヶ関親方の現役引退後】弟子の育成と2013年の定年退職
1981年3月場所で現役を引退した増位山さんは、年寄・小野川を襲名し、三保ヶ関部屋の部屋付き親方となりました。
その後、父親の定年退職に伴い、1984年に10代目三保ヶ関を継承。父から受け継いだ相撲部屋の師匠として、後進の育成に携わることになります。
三保ヶ関部屋で育てた力士たち
親方時代には、小結・浜ノ嶋(現在の尾上親方)や幕内・肥後ノ海(現在の木瀬親方)らを育てました。また、後に大関となる把瑠都のスカウトにも関わっています。
2025年の訃報を受けて取材に応じた弟子たちからは、親方への感謝の言葉が伝えられました。
日刊スポーツの報道では、尾上親方が、厳しいときと普段の接し方を使い分ける指導者だったと振り返り、木瀬親方も自由にさせてもらったと語っています。
こうした証言からは、勝負の世界で培った厳しさと、弟子の自主性を尊重する指導姿勢の両面がうかがえます。
2013年11月、日本相撲協会を定年退職
増位山さんは、2013年11月15日に日本相撲協会を定年退職しました。三保ヶ関親方としての役割を終えたことで、長年にわたる相撲協会での活動にも区切りをつけました。
この退職は、単なる職業上の節目ではありませんでした。現役力士としての活動、親方としての部屋運営という二つの相撲人生を終え、歌手としての活動を本格化させる転換点になったのです。
なお、三保ヶ関部屋も親方の退職に伴って閉鎖されました。父から受け継いだ部屋の歴史も、この時期に一つの区切りを迎えています。
【歌手・増位山太志郎の代表曲】「そんな夕子にほれました」から「男の背中」まで
増位山さんを語るうえで欠かせないのが、演歌歌手としての活動です。元大関という肩書きが先行しがちですが、歌手としても大きな実績を残しました。
歌手デビューは1972年「いろは恋唄」
テイチクレコードと所属事務所のプロフィールによると、増位山さんは1972年に「いろは恋唄」で歌手デビューしました。
当時は現役力士として土俵に上がっていた時期です。つまり、相撲を引退してから歌を始めたのではなく、現役時代から歌手としてのキャリアを築いていたことになります。
代表曲1:「そんな夕子にほれました」
「そんな夕子にほれました」は、増位山さんの歌手としての知名度を大きく高めた代表曲です。
力士としての力強いイメージとは異なる、落ち着いた歌声と情感のある歌唱が印象に残る作品で、演歌・歌謡曲のファンに広く親しまれました。
大相撲の現役力士が歌謡界でもヒットを生み出したことは、当時の増位山さんの大きな特徴でした。
代表曲2:「そんな女のひとりごと」
1977年8月に発売された「そんな女のひとりごと」も、代表的なヒット曲です。
テイチクレコードの公式プロフィールでは、売上130万枚を記録した作品として紹介されています。また、1978年の第11回日本有線大賞では、同曲で有線音楽賞とベストヒット賞を受賞しました。
一方、オリコンが公表したシングル記録では、同曲の週間ランキング最高位は13位、累積売上は54.5万枚とされています。公表されている数字には違いがあるため、130万枚という数字はレコード会社のプロフィールによる紹介、54.5万枚はオリコン集計というように、出典を分けて捉える必要があります。
代表曲3:「男の背中」
「男の背中」も、増位山さんを代表する楽曲の一つです。
「そんな夕子にほれました」「そんな女のひとりごと」と並び、歌手としての活動を語る際に欠かせない作品です。相撲界で知られる人物という枠を超え、歌謡曲の世界でも独自の存在感を築きました。
引退後も続いた歌手活動とデュエット作品
2012年には松居直美さんとのデュエット曲「秘そやかに華やかに」を発売し、第45回日本作詩大賞の入賞作品となりました。
2013年11月15日の日本相撲協会退職後は、歌手活動を本格化させます。同年11月20日には「夕子のお店」、2014年9月17日には「冬子のブルース」を発売しました。
この2作品は第56回日本レコード大賞の企画賞を受賞。「冬子のブルース」は第47回日本作詩大賞にも入賞しています。
また、2014年には菊地まどかさんとのデュエット曲「屋形船」を発売。ほかにも日野美歌さんとの「大阪恋めぐり」など、さまざまな形で音楽活動を展開しました。
相撲協会を退職してから歌手になったというよりも、長年続けてきた音楽活動を人生の中心に据え直したと見る方が、増位山さんのキャリアを正確に理解できます。

【晩年の療養と訃報】2022年の敗血症から2025年の肝不全まで
増位山さんの晩年は、歌手活動への復帰を目指した療養とリハビリの期間でした。
2022年12月に敗血症と診断され活動休止
所属事務所の2025年6月17日付の訃報によると、増位山さんは2022年12月に体調不良を訴え、医師から敗血症と診断されました。
復帰に向けた療養とリハビリを行うため、歌手活動を休止。その後も復帰を望んでいたことが事務所の発表に記されています。
2025年2月のステージ復帰計画も実現せず
日刊スポーツの2025年6月18日付の報道によると、増位山さんには2025年2月にステージへ復帰する計画もあったものの、実現しませんでした。
関係者が連絡を取った際にも、新曲を気にかけるなど、音楽への意欲を持ち続けていたと報じられています。
所属事務所も訃報の中で、本人が最期まで活動復帰を強く望んでいたことを伝えました。
「増位山太志郎は最期まで活動復帰できることを強く望んでおりました。」
これは所属事務所が公表した訃報の一節です。相撲と歌を愛し、長年にわたって二つの世界で活動してきた増位山さんの人生を象徴する言葉でもあります。
2025年6月15日、肝不全のため76歳で死去
2025年6月15日午後2時38分、増位山さんは肝不全のため亡くなりました。所属事務所は6月17日に公表し、享年76歳と発表しました。
葬儀は遺族の意向により、家族と近親者のみで執り行う家族葬とされました。事務所の発表では、弔問、香典、供花なども辞退する旨が伝えられています。
日本相撲協会も訃報を受け、公式チャンネルで追悼動画を公開しました。現役時代の多彩な技や技能賞5回の実績、親方としての活動を振り返る内容です。
大相撲の元大関であり、歌謡界でもヒット曲を残した増位山さんの訃報は、二つの分野で活動してきた人物の生涯を改めて振り返る機会となりました。
【増位山太志郎の現在】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:増位山太志郎さんは現在も生きていますか?
A1:いいえ。2025年6月15日午後2時38分、肝不全のため76歳で亡くなりました。所属事務所が2025年6月17日に正式発表しています。
Q2:増位山太志郎さんの死因は何ですか?
A2:公表された死因は肝不全です。2022年12月には敗血症と診断され、療養とリハビリのため活動を休止していました。敗血症の診断と最終的な死因である肝不全は、発表上では別の情報として記載されています。
Q3:増位山太志郎さんの代表曲は何ですか?
A3:「そんな夕子にほれました」「そんな女のひとりごと」「男の背中」などです。特に「そんな女のひとりごと」は大ヒットし、1978年の第11回日本有線大賞で有線音楽賞とベストヒット賞を受賞しました。
まとめ:【プロの結論】増位山太志郎さんが残した相撲と歌の功績
増位山太志郎さんは、元大関として相撲界に名を残しただけでなく、演歌歌手としても多くの人に親しまれた人物でした。
その生涯を振り返ると、次の3つの功績が際立ちます。
- 相撲界:史上初の親子大関を実現し、生涯597勝538敗18休、技能賞5回という実績を残した。
- 親方として:10代三保ヶ関を継承し、浜ノ嶋や肥後ノ海らの育成に携わった。
- 歌謡界:「そんな夕子にほれました」「そんな女のひとりごと」などのヒット曲を生み出し、協会退職後も歌手として活動した。
2025年6月15日に76歳で亡くなったため、2026年現在、本人の活動再開や新たな出演を期待することはできません。しかし、残された相撲の公式記録や音楽作品は、今もその功績を伝えています。
増位山さんを知るうえでは、元大関という肩書きだけでなく、親方として弟子を育てたこと、現役時代から歌を愛し続けたことにも目を向けたいところです。
土俵では業師、歌謡界ではヒット歌手、そして引退後は後進を育てた親方。増位山太志郎さんは、相撲と音楽という異なる世界で自分の道を切り開いた、稀有な人物として記憶されていくでしょう。
(出典: 増 位 山 の 現在(Yahoo!ニュース))