【高校時代】千葉経済大学附属高等学校で過ごした山里亮太の青春
山里亮太さんの若い頃を知るうえで、まず注目したいのが千葉県で過ごした高校時代です。
出身高校は、千葉市稲毛区にある千葉経済大学附属高等学校。同校の公式サイトでも、山里さんが卒業生として紹介されています。
薬剤師を目指していた高校時代
意外に思われるかもしれませんが、山里さんは最初から芸人を目指していたわけではありません。
2026年に公開された関西大学のインタビューによると、母親がドラッグストアで働いていた影響もあり、当初は薬剤師になりたいと考えていました。
ところが、高校時代に友人から「時々おもしろいことを言うから、お笑いをやってみたら」と勧められたことが、芸人を意識するきっかけになったといいます。
身近な友人の何気ない言葉が、将来の進路を変えるきっかけになったのです。
バスケットボール部では努力家だった
高校時代の山里さんは、バスケットボール部に所属していました。
本人は2018年のJ-CASTニュースのインタビューで、中学・高校・大学とバスケットボールを続け、高校では練習をほとんど休まなかった一方、試合にはなかなか出られなかったと振り返っています。
引退試合でようやく出場機会を得た際にも、監督からボールに触らないよう指示されたというエピソードを明かしています。
この話から伝わってくるのは、必ずしも運動の才能に恵まれていたわけではないものの、簡単には投げ出さない性格です。
高校3年生で芸人になる決意
芸人になろうと考えた山里さんは、吉本興業への憧れを強めていきました。
特に大きかったのが、ダウンタウンの存在です。
本人は2025年11月放送のテレビ朝日系「深夜のダイアン」で、大阪NSCを選んだ理由について、ダウンタウンがNSC出身だったことを挙げています。
東京にも吉本興業の活動拠点があることを当時は知らず、お笑いを目指すなら大阪へ行こうと考えたそうです。
ただし、芸人になるために高校卒業後すぐ大阪へ行くという希望は、両親にとって簡単に認められるものではありませんでした。
そこで進路をめぐる家族との話し合いが始まります。
【大学時代】関西大学文学部への進学と北斗寮での学生生活
山里さんが関西大学を選んだ理由は、一般的な大学受験の進路選択とは少し異なっていました。
本人の目標は、あくまでも芸人になること。そのために大阪へ行く必要があり、両親を納得させる進学先として関西大学を目指したのです。
関西大学に進学した理由は両親の条件
関西大学の2026年の公式インタビューでは、当時の進路相談について詳しく紹介されています。
両親から提示された条件は、関西へ行きたいのであれば、誰に聞いても良い大学だと評価される学校に合格することでした。
山里さんはこの条件を受け入れ、関西大学を志望します。
つまり、関西大学への進学は芸人になる夢と無関係な寄り道ではありませんでした。大阪で吉本の養成所に通うという目的を実現するための、本人なりの進路設計だったのです。
文学部教育学科で学んだ4年間
山里さんは関西大学文学部教育学科を2001年に卒業しています。
大学の公式プロフィールや校友会のインタビューでも、文学部教育学科の卒業生として紹介されています。
大学生活では学業だけでなく、寮生活や学園祭などの行事にも積極的に参加しました。
特に思い出深い場所として挙げているのが、千里山キャンパス近くにあった北斗寮です。
北斗寮での生活が山里亮太を変えた
山里さんが生活していた北斗寮は、現在のドミトリー月が丘につながる学生寮です。
関西大学の2026年のインタビューによると、寮は千里山キャンパスから徒歩約10分の場所にありました。
入寮式の日には、個性的な先輩から関西大学の学歌や応援歌などを覚えるよう求められ、短時間で必死に練習したという思い出も語っています。
また、入学式などの式典や大学行事にも積極的に参加。特に学園祭には力を入れていたそうです。
本人は当時の生活について、大学に来ると毎日何か刺激的なことが起こり、日常そのものが練習の場だったという趣旨の振り返りをしています。
実は大学職員になろうと考えたこともあった
ここには、山里さんの若い頃を知るうえで重要なエピソードがあります。
大学生活があまりにも楽しく、関西大学の職員として働く道を考えたことがあったのです。
芸人になるために大阪へ来たはずなのに、大学での人間関係や日々の活動に魅力を感じ、夢を見失いかけていました。
そんな山里さんの背中を押したのが、学生寮の部屋長でした。
部屋長は吉本の願書を渡し、提出を促したといいます。
その出来事によって、山里さんは自分が何のために関西大学へ来たのかを思い出しました。
本人も、部屋長の後押しがなければ関西大学の職員になっていたかもしれないと、大学のインタビューでユーモアを交えて語っています。
【経歴・年表】高校時代からNSC大阪校22期、M-1準優勝まで
ここまでの経緯を整理すると、山里亮太さんの若い頃には、進学・養成所・コンビ結成という大きな転換点が連続していたことが分かります。
以下は、関西大学、吉本興業、M-1グランプリの公式情報などを基に整理した経歴です。
| 時期 | 出来事・関係者 | 意味・転換点 |
|---|---|---|
| 1977年 | 千葉県で誕生 | 山里亮太の生い立ち |
| 高校時代 | 千葉経済大学附属高等学校 | 薬剤師志望からお笑いに関心を持つ |
| 高校3年生 | 芸人になることを決意 | 吉本・大阪を目指す |
| 1999年 | NSC大阪校22期生 | 芸人としての養成期間が始まる |
| 大学在学中 | 関西大学文学部教育学科 | 北斗寮で学生生活を送る |
| 2001年 | 関西大学卒業 | 文学部教育学科を卒業 |
| 2003年6月 | 山崎静代とコンビ結成 | 南海キャンディーズ誕生 |
| 2004年 | M-1グランプリ準優勝 | 全国的な知名度を獲得 |
| 2026年3月 | 関西大学卒業生アンバサダー就任発表 | 母校との新たな関係が始まる |
NSC大阪校22期に入学した経緯
山里さんは1999年にNSC大阪校22期生として入学しました。
関西大学の公式情報によると、NSCに通い始めたのは大学3年次生の頃です。
大学生活を送りながら芸人としての技術を磨くという、二つの道を同時に歩んでいました。
NSC同期には、後に活躍するダイアンなどの芸人もいます。
2025年11月の「深夜のダイアン」では、山里さんとダイアンが養成所時代を振り返る場面がありました。
山里さんは当時、関東出身でありながら大阪のNSCで活動していたことや、関西弁で漫才をしていたことについても語っています。
関西弁を使った理由として、講師から関東弁では面白くないという趣旨の指摘を受けたことを挙げていました。
ここで注目したいのは、山里さんが単に大学を卒業してから芸人になったのではないという点です。
大学在学中からNSCに通い、学生生活と芸人修業を並行させていました。
【南海キャンディーズ結成秘話】山崎静代との出会いとM-1準優勝
山里亮太さんの芸人人生における最大の転換点の一つが、相方のしずちゃんこと山崎静代さんとの出会いです。
現在では南海キャンディーズとして広く知られる2人ですが、最初からコンビを組んでいたわけではありません。
山里亮太は女性とのコンビを考えていた
山里さんはNSC卒業後、漫才コンビなどで活動していましたが、思うような結果を残せず、相方探しを続けていました。
双葉社のインタビューでは、当時の自分について、才能だけで勝負するタイプではなく、技術や努力によって芸人として戦っていく必要があると分析していたことを明かしています。
そのうえで、当時は男女コンビが比較的少なかったことから、女性を相方にするという方向性を考えていました。
しずちゃんへのアプローチは手作りのネタだった
山里さんが相方候補として考えたのが、山崎静代さんでした。
山里さんのインタビューによると、しずちゃんに声をかける際には、すでに2人で演じるためのネタを書いていました。
そして、当時のコンビを解消して自分と組んでほしいと提案したのです。
しずちゃんは最初、その申し出を別の意味に受け取ったというエピソードも、双葉社のインタビューで紹介されています。
最終的には山里さんの熱意が伝わり、2003年6月に南海キャンディーズが結成されました。
この結成秘話から見えてくるのは、山里さんが相方との出会いを偶然だけに任せていなかったことです。
自分の芸風や競争環境を考え、相性の良い相方を探し、具体的なネタまで準備して交渉していました。
M-1グランプリ2004で準優勝
南海キャンディーズが全国的な注目を集める大きなきっかけになったのが、2004年のM-1グランプリです。
M-1グランプリ公式サイトの大会記録によると、2004年の決勝ではアンタッチャブルが優勝し、南海キャンディーズが639点で2位となりました。
当時の参加組数は2,617組。結成から間もないコンビが大舞台で準優勝を果たしたことは、大きなインパクトを残しました。
この結果によって、山里さんはツッコミとしての言葉選びや、独特の毒舌を生かした芸風で広く知られるようになりました。
しずちゃんの大きな体格と柔らかな雰囲気、山里さんの細かなツッコミという対照的な組み合わせも、コンビの個性を際立たせました。
南海キャンディーズの成功は、単なる漫才コンビの誕生にとどまりません。
山里さんが長年磨いてきた観察力、言葉の技術、相方選びへの戦略が一つの形になった瞬間だったのです。
【昔の写真と2026年現在】若手芸人から人気MCへ変わった山里亮太
山里亮太さんの昔の写真を調べると、現在とは少し異なる雰囲気の若手時代の姿に関心を持つ人も少なくありません。
関西大学の過去の卒業生インタビューでは、若手時代の山里さんについて、オカッパ頭や赤い眼鏡、スカーフがトレードマークだったと紹介されています。
現在も赤い眼鏡は山里さんを象徴する特徴の一つですが、若手時代から独特のビジュアルとキャラクターを打ち出していたことが分かります。
若い頃と現在の違いは?
| 比較項目 | 若い頃 | 2026年現在 |
|---|---|---|
| 主な活動 | NSC、漫才、劇場での活動 | テレビMC、ラジオ、執筆 |
| 芸人としての立場 | 若手・下積み時代 | 人気芸人・司会者 |
| 代表的な活動 | 南海キャンディーズ結成、M-1準優勝 | 情報番組、バラエティー |
| 母校との関係 | 関西大学の学生 | 卒業生アンバサダー |
| 得意分野 | 漫才のツッコミ、言葉選び | MC、コメント、トーク |
2026年3月、関西大学初代卒業生アンバサダーに就任
2026年3月17日、関西大学は山里さんが初代卒業生アンバサダーに就任することを発表しました。
そして4月5日、千里山キャンパスで就任式とトークショーが行われました。
主な活動は、大学や校友会の行事への出演、広報媒体への協力、動画や音声メッセージなどを通じた母校の魅力発信です。
関西大学の公式発表では、山里さんの知名度や発信力、母校への愛着が起用の理由として挙げられています。
特に興味深いのは、かつて芸人になるために関西大学を選んだ山里さんが、今度は卒業生として大学の魅力を発信する立場になったことです。
進学のきっかけは芸人になるための大阪進出でしたが、大学での経験そのものが、その後の人生に大きな影響を与えていました。
2026年11月現在の主な活動
2026年11月5日時点で、山里さんはテレビ、ラジオなどで継続的に活動しています。
| 番組・活動 | 内容 |
|---|---|
| 日本テレビ「DayDay.」 | 武田真一さんとともにMCを担当 |
| 関西テレビ「土曜はナニする!?」 | 宇賀なつみさんとMCを担当 |
| TBSラジオ「JUNK 山里亮太の不毛な議論」 | 水曜深夜のラジオ番組 |
| 関西大学卒業生アンバサダー | 母校の広報活動や卒業生交流に参加 |
日本テレビの番組公式プロフィールや関西大学の2026年の紹介記事でも、これらの活動が確認できます。
若い頃にNSCで磨いた話術が、現在は朝の情報番組から深夜ラジオまで幅広く生かされています。
芸人としての活動だけでなく、情報番組のMCとして社会的な話題を扱う立場になったことも、大きな変化です。
【プロの結論】山里亮太の若い頃から分かる成功の理由
山里亮太さんの若い頃を振り返ると、現在の活躍につながる3つの特徴が浮かび上がります。
1つ目は、自分の進路を実現するための戦略性です。
高校時代に芸人を目指し、両親の条件を受け入れて関西大学に進学。大学在学中にNSCへ通うという選択をしました。
夢を持つだけでなく、その夢を実現するために必要な環境を自分で整えていたのです。
2つ目は、努力を継続する姿勢です。
バスケットボール部での経験や大学行事への積極的な参加、NSCでの修業など、すぐに結果が出ない環境でも経験を積み重ねてきました。
特に関西大学での学生生活は、芸人としての活動とは直接関係がないように見えて、人との関わりや人前で話す経験を増やす時間になりました。
3つ目は、自分の特徴を客観的に分析する力です。
南海キャンディーズの結成に際して、山里さんは自分の芸風を分析し、女性とのコンビという方向性を選択しました。
相方探しからネタ作りまで自ら行ったエピソードには、芸人として成功するための現実的な判断力が表れています。
山里さんの成功を単に「才能があったから」と説明するのは不十分です。
自分の得意不得意を理解し、努力によって補い、環境や人との出会いを生かしていく。その積み重ねこそが、現在の活動につながっています。
【山里亮太の若い頃】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:山里亮太の出身高校はどこですか?
A1:千葉県千葉市稲毛区にある千葉経済大学附属高等学校です。高校時代はバスケットボール部に所属していました。
Q2:山里亮太は大学時代に何を学んでいましたか?
A2:関西大学文学部教育学科で学び、2001年に卒業しています。大学3年次からNSC大阪校にも通っていました。
Q3:山里亮太がNSC大阪校に入った理由は何ですか?
A3:ダウンタウンへの憧れがあり、芸人を目指すなら吉本のNSCで学びたいと考えたためです。大阪へ行くために関西大学への進学を目指しました。
Q4:山里亮太はNSC大阪校の何期生ですか?
A4:1999年に入学したNSC大阪校22期生です。ダイアンなどと同期にあたります。
Q5:南海キャンディーズはいつ結成されましたか?
A5:2003年6月です。山里亮太さんと山崎静代さんがコンビを結成し、翌2004年のM-1グランプリで準優勝しました。
Q6:山里亮太は2026年現在、関西大学とどのような関係がありますか?
A6:2026年3月に関西大学初代卒業生アンバサダーに就任しました。母校の魅力を全国に発信する役割を担っています。
Q7:山里亮太の若い頃の写真は現在と違いますか?
A7:若手時代はオカッパ頭や赤い眼鏡、スカーフが特徴的でした。現在も赤い眼鏡はトレードマークとして知られています。
まとめ:山里亮太の若い頃は夢と努力が交差した青春時代だった
山里亮太さんの若い頃は、千葉での高校生活から関西大学への進学、NSC大阪校22期への入学、南海キャンディーズの結成へと続く、挑戦の連続でした。
特に印象的なのは、大学生活が楽しすぎて芸人になる夢をあきらめかけた時期があったことです。寮の部屋長の後押しによって初心を思い出し、芸人としての道を歩み続けました。
2003年の南海キャンディーズ結成、2004年のM-1グランプリ準優勝を経て、山里さんは漫才師として大きな成功を収めます。
そして2026年には、関西大学の初代卒業生アンバサダーに就任しました。
芸人になるために選んだ大学が、25年後には自分の歩みを語る大切な場所になった。
この歩みこそ、山里亮太さんの若い頃を振り返る最大の魅力です。
主な参考資料:関西大学公式広報・KANDAI HEADLINES、関西大学校友会、吉本興業公式プロフィール、M-1グランプリ公式大会記録、日本テレビ、関西テレビ、J-CASTニュース、日刊スポーツ、双葉社インタビュー。 (出典: 山里 亮太 若い 頃(Yahoo!ニュース))