杉山邦博アナウンサーと相撲の関係は?NHK実況の歩みと2026年現在を徹底解説
「杉山アナウンサーと相撲」というキーワードで検索すると、真っ先に名前が浮かぶのが、元NHKアナウンサーで相撲ジャーナリストの杉山邦博(すぎやま・くにひろ)氏です。1953年にNHKへ入局し、長年にわたって大相撲の実況と取材を続けてきた人物で、1981年の大関・貴ノ花の引退実況では、思わず声を詰まらせた姿が大きな話題になりました。
2026年11月現在、杉山氏は96歳。NHKを定年退職した後も東京相撲記者クラブ会友として相撲界を見つめ続けています。2026年の名古屋場所や秋場所についても取材・評論活動が報じられており、長年の経験に裏打ちされた力士評は健在です。
この記事では、杉山邦博氏の経歴や年齢、NHK時代の大相撲実況、貴ノ花引退時の名場面、「泣きの杉山」と呼ばれた理由、そして2026年最新の活動まで詳しく整理します。
📌 この記事の重要ポイントまとめ
- 人物の正体: 「杉山アナウンサー」とは、元NHKアナウンサーの杉山邦博氏を指すケースが中心。
- NHK入局: 1953年。1954年2月には名古屋準本場所で初めて大相撲の実況を担当。
- 代表的な名場面: 1981年の大関・貴ノ花の引退実況。「泣きの杉山、泣かせの杉山」と呼ばれた。
- 現在の年齢: 1930年10月19日生まれで、2026年11月現在96歳。
- 2026年の活動: 名古屋場所や秋場所を現場で取材し、AERA DIGITALやNEWSポストセブンなどで相撲評論を発信。
【人物の正体】杉山アナウンサーとは誰?相撲との深い関係
「杉山アナウンサー」という検索ワードで調べられている人物は、元NHKのスポーツアナウンサー、杉山邦博氏です。
杉山邦博(すぎやま・くにひろ)
- 生年月日:1930年10月19日
- 出身地:福岡県小倉市(現・北九州市)
- 出身大学:早稲田大学第一文学部
- 元所属:NHK
- 現在の肩書:相撲ジャーナリスト
- 主な役職:東京相撲記者クラブ会友
- 日本福祉大学生涯学習センター名誉センター長・客員教授
杉山氏は、単に相撲の試合結果を伝えるアナウンサーではありませんでした。
力士の立ち合い、体の使い方、勝負が決まった瞬間の表情、花道を引き揚げるときの様子まで、土俵を取り巻くあらゆる出来事を観察してきた人物です。
その取材歴は70年以上に及び、昭和、平成、令和と、時代ごとに変化する大相撲を現場から見続けてきました。
杉山邦博の年齢は2026年現在96歳
杉山邦博氏は1930年10月19日生まれです。
2026年10月19日に96歳の誕生日を迎えました。
2026年7月や8月の報道で「95歳」と紹介されているのは、誕生日を迎える前の年齢であるためです。11月現在の年齢とは異なります。
2025年11月の介護ポストセブンのインタビューでは、95歳になっても年間6場所の取材を続ける姿が紹介されました。東京相撲記者クラブ会友として、長年にわたって土俵を見つめてきたことも取り上げられています。
96歳になった現在も、相撲の現場に足を運び、力士の取組を観察している点が杉山氏の大きな特徴です。
【NHK時代の経歴】1953年入局から大相撲実況の第一人者になるまで
杉山邦博氏が相撲と深く関わるようになった原点は、アナウンサーになる以前にさかのぼります。
福岡県小倉で育った杉山氏は、小学校1年生だった1937年ごろ、ラジオで聞いた双葉山と玉錦の取組実況に強く魅了されました。
まだ見たことのない力士の姿や国技館の様子を、声だけで伝えるアナウンサーの仕事に憧れたのです。
早稲田大学時代の挫折と努力
杉山氏は1949年、早稲田大学第一文学部に進学しました。
当初は大学の放送研究会への入会を希望していましたが、声や九州の訛りを理由に入会できませんでした。
しかし、この挫折でアナウンサーになる夢を諦めることはありませんでした。
ラジオドラマ研究会に入り、標準語やアクセントを徹底的に勉強。さらに大学3年時には、自ら早稲田大学アナウンス研究会を立ち上げています。
後に多くの放送関係者を輩出することになるこの研究会は、杉山氏自身の努力から生まれたものです。
1953年にNHK入局、名古屋で相撲実況を学ぶ
1953年、早稲田大学を卒業した杉山氏はNHKにアナウンサーとして入局しました。
最初の赴任地は名古屋放送局です。
ここで出会ったのが、当時の放送部長だった山本照氏でした。
山本氏は大相撲実況の経験が豊富なアナウンサーで、杉山氏に実況の基礎を徹底的に教えました。
その指導は、机上の勉強だけではありません。
スタジオで先輩アナウンサーと実際に相撲を取りながら、決まり手や力士の体勢を実況するという実践的な訓練でした。
「すくい投げ」「上手投げ」といった技の名称を、迷わず瞬時に口にできるように練習を重ねたのです。
1954年2月、杉山氏は名古屋準本場所のラジオ中継で大相撲実況デビューを果たしました。
この経験が、その後の長い相撲報道人生の出発点となります。
杉山邦博の経歴・年代別年表
主な経歴と関係者・出来事の整理
杉山氏はNHK在職中、名古屋、福岡、大阪、東京など、大相撲の本場所が開催される地域の放送局に勤務しました。
また、相撲だけでなくプロ野球やオリンピックの実況も担当しています。1968年のメキシコオリンピックでは10種目の実況を経験しました。
「相撲の杉山」という印象が強い一方、実際には幅広いスポーツ報道を支えたベテランアナウンサーだったのです。
【伝説の実況】貴ノ花引退で「泣きの杉山」と呼ばれた理由
杉山邦博氏の名前を語るうえで、避けて通れないのが1981年の大関・貴ノ花の引退実況です。
この出来事によって、杉山氏は単なる名実況アナウンサーではなく、視聴者の感情に深く寄り添う人物として知られるようになりました。
1981年、大関・貴ノ花の引退
貴ノ花は、現在の若乃花・貴乃花兄弟の父親としても知られる名力士です。
小柄な体格ながら、技術と粘り強さで大型力士に立ち向かう姿が多くの相撲ファンに愛されました。
しかし、1981年1月場所、貴ノ花は現役引退を決断します。
その引退を伝える実況を担当したのが杉山氏でした。
引退を伝えた際、杉山氏は感極まり、言葉を詰まらせてしまいます。
当時の実況を象徴する言葉として知られているのが、次の一言です。
「今日、貴ノ花関が引退です……」
この言葉の後、杉山氏は思わず絶句しました。
長年、力士の姿を間近で見つめてきたアナウンサーだからこそ、その引退を単なるニュースとして淡々と伝えることができなかったのでしょう。
この実況は大きな反響を呼び、週刊誌などで「NHKアナも泣いた大関貴ノ花の引退」と紹介されました。
「泣きの杉山、泣かせの杉山」という異名
この出来事をきっかけに広まった呼び名が、「泣きの杉山、泣かせの杉山」です。
この異名には二つの意味があります。
- 泣きの杉山:杉山氏自身が、力士の引退や名勝負に感情を動かされること。
- 泣かせの杉山:その真摯な実況によって、聞き手や視聴者まで感動させること。
実況者が感情を表に出すことについては、さまざまな考え方があります。
しかし杉山氏の場合、単に感情的になったわけではありません。
力士が積み重ねてきた努力、勝負に懸ける思い、引退という決断の重みを理解していたからこそ、声に感情が表れたのです。
貴ノ花以外にも印象的な力士との出会い
杉山氏は、初代若乃花を特に印象に残る力士として挙げています。
若乃花の若い時代の苦労や、横綱として見せた豪快な技を長く観察してきました。
また、大鵬、柏戸、栃錦、北の湖、輪島といった昭和の名力士たちについても、単なる勝敗ではなく、それぞれの相撲の特徴や個性を語っています。
このように、杉山氏の実況には、長年の取材で培われた力士一人ひとりへの理解がありました。
【2026年最新】杉山邦博の現在は?名古屋場所・秋場所の取材活動
2026年現在、杉山邦博氏はNHKの現役アナウンサーではありません。
1987年10月18日に定年を迎え、その後はNHK専門員を経て、相撲ジャーナリストとして活動を続けています。
現在の主な肩書は、東京相撲記者クラブ会友、日本福祉大学生涯学習センター名誉センター長、客員教授です。
特に注目したいのが、2026年に入ってからも続く大相撲の現場取材です。
2026年7月の名古屋場所で安青錦らを評価
2026年7月の名古屋場所では、杉山氏が現地で力士の取組を見つめ、その内容を評論しています。
日本福祉大学が2026年8月6日に公表した情報によると、AERA DIGITALは8月2日、杉山氏への取材記事を2本掲載しました。
そのうちの一つは、名古屋場所の三つ巴の優勝決定戦を取り上げた記事です。
この場所では、安青錦が熱海富士、霧島との優勝決定戦を制して優勝しました。
杉山氏は安青錦について、立ち合いの気迫や得意の左下手を生かす精神力の強さを評価しています。
準優勝の熱海富士についても、攻めの相撲や精神面の成長に注目しました。
もう一つの記事では、若手力士の藤ノ川や琴栄峰を取り上げています。
藤ノ川の鋭い出足や投げの強さ、琴栄峰の前に出る相撲を評価し、将来への期待を示しました。
また、高安や朝乃山といったベテラン力士の粘り強さにも目を向けています。
2026年7月、95歳で名古屋場所を現地観戦
2026年7月14日には、名古屋場所の会場で杉山氏が観戦する姿がABEMAの中継に映りました。
ENCOUNTやABEMA TIMESなどの報道によると、杉山氏は東側の花道脇の席で背筋を伸ばし、土俵を見つめていました。
当日は厳しい暑さだったこともあり、95歳で現地に足を運ぶ姿に驚きの声が上がりました。
この報道からも、杉山氏が長年の肩書だけで活動しているのではなく、実際に土俵の近くで取材を続けていることが分かります。
2026年秋場所では大の里と安青錦を分析
2026年9月27日に千秋楽を迎えた秋場所についても、杉山氏の評論が報じられています。
AERA DIGITALの2026年10月4日付記事では、秋場所を現場で取材した杉山氏が、若手からベテランまで幅広い力士の相撲を分析しました。
さらに10月6日配信のNEWSポストセブンの記事では、大関・安青錦の今後について具体的な見解を示しています。
杉山氏が注目したのは、安青錦の低い立ち合いと左を差す技術、そして強い精神力です。
一方で、横綱・大の里との体格差を克服するためには、得意の形に持ち込む技術をさらに磨く必要があると分析しました。
また、横綱を目指すなら、13勝以上の高水準の優勝を目指してほしいという考えも語っています。
2026年の主な活動記録
7月14日
名古屋場所で観戦する姿がABEMA中継に映る。
8月2日
AERA DIGITALで名古屋場所の優勝決定戦や若手力士について評論。
9月27日
秋場所千秋楽。現場で全取組を取材したことが後日の報道で紹介される。
10月6日
NEWSポストセブンで安青錦の横綱昇進に向けた課題を分析。
2026年11月5日時点で確認できる直近の具体的な評論活動は、こうした秋場所後の報道です。
96歳になった現在も、相撲の現場に立ち、力士の技術や精神面を見極めようとする姿勢が続いています。
【日本福祉大学との関係】退職後も続く教育・評論活動
杉山邦博氏の現在を知るうえで、もう一つ重要なのが日本福祉大学との関係です。
同大学では、生涯学習センター名誉センター長・客員教授を務めています。
相撲ジャーナリストとしての活動に加え、スポーツや伝統文化についての知識を次世代に伝える立場にもあります。
相撲をスポーツだけでなく伝承文化として見る
杉山氏の相撲観には、長年一貫している特徴があります。
それは、大相撲を単なる勝敗を競うスポーツとしてではなく、日本の伝承文化として捉えていることです。
2017年のニッポン放送 NEWS ONLINEのインタビューでは、相撲における「抑制の美」について語っています。
杉山氏が重視するのは、勝ったときに派手なパフォーマンスをすることよりも、勝負が終わった後の礼儀や所作です。
土俵上での一礼、勝った力士の表情、負けた力士の悔しさの表し方など、細かな部分にも相撲の文化が表れると考えています。
この視点は、昭和の力士から令和の力士まで、長年の取材を通じて培われたものです。
杉山邦博の著書にも表れる相撲への思い
杉山氏は、相撲に関する複数の著書も出版しています。
代表的なものには、次の作品があります。
- 『土俵の鬼 三代』
- 『兄弟横綱―若貴の心・技・体』
- 『名調子・杉山邦博の大相撲この名勝負』
- 『土俵一途に 心に残る名力士たち』
- 『土俵の真実』(小林照幸氏との共著)
- 『杉山アナのアンチ巨人、大鵬、卵焼き』(荒井太郎氏との共著)
特に2025年7月29日に発売された『杉山アナのアンチ巨人、大鵬、卵焼き』は、1953年のNHK入局以来、長年にわたって昭和の相撲やスポーツを見続けてきた経験を振り返る一冊です。
テレビやラジオの普及と大相撲の人気、昭和の名力士たち、時代ごとのスポーツ文化を知る資料としても興味深い内容です。
【プロの結論】杉山邦博の実況が長年愛される3つの理由
杉山邦博氏の活動を振り返ると、なぜ長年にわたって相撲ファンに支持されてきたのか、その理由が見えてきます。
1. ラジオ実況で培った観察力
杉山氏は、ラジオ時代に身につけた広い視野を大切にしています。
テレビではカメラが映している部分しか画面に映りません。しかし、ラジオ実況では土俵全体の状況を言葉で説明しなければなりません。
そのため、画面に映っていない力士の動きや表情まで観察する習慣が身につきました。
これは、現在のテレビ中継でも生かせる大きな強みです。
2. 勝敗だけでなく力士の人生を見る
貴ノ花の引退実況が象徴するように、杉山氏は力士を単なる競技者として見ていません。
入門からの努力、怪我との闘い、昇進への苦労、引退の決断まで、力士の人生そのものに目を向けています。
だからこそ、引退という場面で言葉を詰まらせるほどの感情が生まれたのでしょう。
3. 昭和から令和までを比較できる経験
杉山氏は、栃錦や若乃花、大鵬、柏戸の時代から、若貴ブーム、白鵬、稀勢の里、そして2026年の大の里や安青錦まで、幅広い世代の力士を見てきました。
同じ相撲でも、時代によって力士の体格、技術、取り口、ファンの楽しみ方は変化します。
長い時間軸で比較できることは、短期間の取材だけでは得られない専門性です。
杉山氏の評論は、目の前の一番だけでなく、その力士が歩んできた道や大相撲の歴史を踏まえている点に価値があります。
杉山邦博氏の本質的な功績は、実況者として相撲を伝えたことだけではありません。土俵の歴史と力士の人生を、次の世代に伝える役割を長く担ってきたことです。
【杉山アナウンサーと相撲】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:杉山アナウンサーとは杉山邦博さんのことですか?
A1:はい。相撲に関する検索で「杉山アナウンサー」といえば、元NHKアナウンサーで相撲ジャーナリストの杉山邦博氏を指すケースが中心です。1953年にNHKへ入局し、大相撲実況の第一人者として知られています。
Q2:杉山邦博さんは2026年現在何歳ですか?
A2:1930年10月19日生まれで、2026年11月現在96歳です。2026年7月や8月の報道では、誕生日を迎える前だったため95歳と紹介されています。
Q3:杉山邦博さんがNHKに入局したのは何年ですか?
A3:1953年です。早稲田大学第一文学部を卒業後、NHKに入局しました。1954年2月には名古屋準本場所で大相撲の実況デビューを果たしています。
Q4:「泣きの杉山」と呼ばれる理由は何ですか?
A4:1981年の大関・貴ノ花の引退実況で、引退を伝える際に感極まって言葉を詰まらせたことがきっかけです。「泣きの杉山、泣かせの杉山」という異名で知られています。
Q5:杉山邦博さんは現在もNHKのアナウンサーですか?
A5:いいえ。1987年10月にNHKを定年退職しています。その後は東京相撲記者クラブ会友として取材・評論活動を続けています。
Q6:杉山邦博さんは2026年も相撲を取材していますか?
A6:はい。2026年7月の名古屋場所では現地観戦する姿が報じられ、8月にはAERA DIGITALで評論記事が掲載されました。9月の秋場所についても現場取材と評論活動が報じられています。
Q7:杉山邦博さんは現在どのような肩書を持っていますか?
A7:相撲ジャーナリスト、東京相撲記者クラブ会友のほか、日本福祉大学生涯学習センター名誉センター長・客員教授という肩書を持っています。
まとめ:杉山邦博は96歳になった今も相撲を伝え続ける
杉山アナウンサーと相撲の関係を調べると、その中心人物として浮かび上がるのが杉山邦博氏です。
1953年のNHK入局から始まった相撲との関わりは、1954年の実況デビュー、1981年の貴ノ花引退実況を経て、現在まで続いています。
特に「泣きの杉山、泣かせの杉山」という異名は、力士の人生や相撲に対する深い理解があったからこそ生まれたものです。
2026年11月現在96歳。NHKを退職してからも東京相撲記者クラブ会友として取材を続け、名古屋場所では安青錦や熱海富士、秋場所では大の里や若手力士たちの相撲を分析しています。
杉山邦博氏の活動を知ることは、大相撲の歴史を知ることにもつながります。
勝敗の数字だけでは見えてこない力士の努力、礼儀、精神力、そして引退に至るまでの人生。そうした土俵の奥深さを伝え続ける姿こそ、長年にわたって「相撲の杉山」と呼ばれてきた最大の理由でしょう。
2026年以降も、長年の経験を生かした杉山氏の相撲評論と、次世代へ受け継がれる大相撲への視点に注目が集まります。 (出典: 杉山 アナウンサー 相撲(Yahoo!ニュース))