【第一国立銀行とは】日本初の銀行が誕生した1873年の歴史
第一国立銀行は、1873年(明治6年)に東京で開業した、日本で最初に営業を開始した銀行です。
日本銀行の公式解説によると、開業日は1873年7月20日。所在地は、現在のみずほ銀行兜町支店がある東京都中央区日本橋兜町4番3号の場所でした。
つまり、渋沢栄一が設立した銀行は、現在の金融業界にもつながる歴史的な金融機関だったのです。
第一国立銀行の設立経緯
第一国立銀行の設立には、明治維新後の日本経済が抱えていた大きな問題が関係しています。
明治政府が成立した直後の日本では、江戸時代から使われていた金貨・銀貨・銭貨のほか、藩札や政府紙幣、為替会社の紙幣などが流通していました。
通貨の種類や信用力が統一されておらず、商取引や資金調達を安定させるための金融制度が必要だったのです。
政府が目指したのは、単に銀行を設立することではありませんでした。
- 紙幣の信用を高めること
- 商工業に資金を供給すること
- 全国的な金融取引を発展させること
- 近代的な銀行経営の仕組みを整えること
こうした課題を背景に、1872年に国立銀行条例が制定されました。
その制度を利用して最初に設立・開業した銀行が第一国立銀行です。国立公文書館と日本銀行の歴史資料でも、この制度と銀行誕生の関係が説明されています。
設立に協力した三井組と小野組
第一国立銀行の設立では、渋沢栄一だけでなく、三井組や小野組などの民間商人の存在も重要でした。
渋沢栄一記念財団の『渋沢栄一伝記資料』によると、1873年6月11日の創立総会で、渋沢は銀行の営業方法、三井・小野両組からの役員選任、総監役の設置などを提案しています。
また、自ら作成した申合規則案を提示し、株主の賛同を得ました。
当時の銀行設立は、政府が建物や組織を用意して運営するという単純なものではありません。民間の資本と経営能力を結集し、株主の参加によって成立させる事業でした。
【国立銀行条例の正体】国営銀行ではなく民間銀行だった理由
第一国立銀行について、特に間違えやすいのが「国立」という名称です。
現在の感覚では、国立銀行と聞くと政府が所有・経営する銀行をイメージするかもしれません。しかし、明治時代の国立銀行は、国営銀行ではありませんでした。
国立銀行条例に基づいて設立された民間銀行という意味です。
1872年11月15日に公布された国立銀行条例
国立公文書館の公文書によると、国立銀行条例は1872年(明治5年)11月15日に公布されました。
制度の目的は、不換紙幣の整理と金融の円滑化です。
当初の条例では、銀行設立に必要な資本金や政府紙幣・正貨の払い込み、銀行券の発行方法などが規定されていました。
特に重要だったのが、銀行券と金貨の交換を可能にする仕組みです。
当初の制度では、銀行が発行する紙幣について金貨との兌換義務がありました。つまり、紙幣を持っている人が金貨との交換を求めた場合、銀行側にはそれに応じる責任があったのです。
なぜ1876年に条例が改正されたのか
当初の制度には、銀行設立を難しくする問題がありました。
金貨との交換に備える正貨準備が必要だったため、銀行を設立する側には大きな資金力が求められたのです。
その結果、銀行を全国に普及させるという制度の目的に対して、設立のハードルが高い状態が続きました。
そこで1876年(明治9年)、国立銀行条例が改正されます。
改正によって設立条件が緩和され、金禄公債などを活用した銀行設立が可能になりました。
国立公文書館の解説によると、この制度変更を経て、1879年までに全国で153の国立銀行が誕生しています。
国立銀行と一般の民間銀行の違い
ここで押さえたいのは、国立銀行と一般の私立銀行には、銀行券の発行権限という制度上の違いがあったことです。
| 比較項目 | 国立銀行 | 一般の私立銀行 |
|---|---|---|
| 設立根拠 | 国立銀行条例 | 民間の銀行設立 |
| 経営主体 | 民間の出資者 | 民間の出資者 |
| 国営かどうか | 国営ではない | 国営ではない |
| 銀行券の発行 | 条例に基づき発行可能 | 発行できない |
| 制度上の役割 | 銀行券の発行と金融の普及 | 預金・貸付などの銀行業務 |
この違いは、日本銀行の公式解説でも明確に説明されています。
つまり、第一国立銀行は政府そのものではなく、民間の経営主体が公的な制度の枠組みを利用して設立した銀行でした。
この仕組みは、近代日本の金融制度を理解するうえで欠かせないポイントです。
【渋沢栄一の役割】総監役から頭取へ、銀行経営をどう主導したのか
渋沢栄一は、第一国立銀行の設立に関わっただけではありません。
銀行の制度設計、組織運営、営業の発展にも深く関与しました。
その役割は、大きく分けて総監役時代と頭取時代に整理できます。
1873年の総監役就任
渋沢栄一記念財団の詳細年譜によると、1873年6月11日の創立総会で、渋沢は取締役に推薦されました。
しかし、当時はまだ官職にあったため、取締役への就任を辞退しています。
その翌12日、総監役への就任に関する契約を締結しました。
その後、大蔵省を辞め、民間経済人として第一国立銀行の経営に携わります。
総監役は、設立初期の銀行運営を監督する重要な立場でした。
渋沢は銀行の営業方法や組織規則の整備に関わり、株主の意見をまとめながら、銀行としての基盤を築いていきました。
1875年に頭取へ就任
渋沢栄一は1875年(明治8年)に第一国立銀行の頭取に就任しました。
ここで注目したいのは、頭取になった後も、銀行の経営課題に対して具体的な改革を進めていたことです。
1876年には政府による官金取扱いの変更があり、第一国立銀行は従来の政府関係の業務に依存した経営から、民間取引を重視する経営への転換を迫られます。
同年7月16日の株主総会では、渋沢が頭取として営業状況を報告し、役員や経費の見直し、利益配当制度の改正などを提案しました。
その狙いは、純然たる民間銀行として成長できる経営体制を整えることでした。
この経営判断は、第一国立銀行の歴史を考えるうえで重要です。
単に銀行を設立しただけでなく、制度変更や政府との関係の変化に対応しながら、民間金融機関としての自立を進めたからです。
渋沢栄一が銀行経営を通じて実現しようとしたこと
渋沢栄一の銀行経営は、預金や貸付だけを目的としたものではありませんでした。
銀行を企業活動の基盤として位置づけ、資金を必要とする事業者と、資金を提供できる投資家を結びつけることを重視していました。
公益財団法人渋沢栄一記念財団の略歴でも、第一国立銀行を拠点として株式会社組織による企業の創設・育成に取り組んだことが紹介されています。
この考え方は、渋沢の経済活動を理解する重要な視点です。
銀行を一つの事業として成功させるだけでなく、銀行を通じて企業が生まれ、産業が成長し、経済全体が発展する仕組みをつくろうとしていました。
【第一国立銀行からみずほ銀行へ】153年にわたる銀行の変遷
第一国立銀行の歴史は、1873年の開業で終わりません。
1896年に株式会社第一銀行となり、1971年には日本勧業銀行と合併して第一勧業銀行が誕生します。
さらに2002年、みずほ銀行を中心とする金融グループの再編につながりました。
銀行名と関係者の歴史年表
以下は、渋沢栄一記念財団、国立国会図書館、みずほフィナンシャルグループなどの資料に基づく変遷です。
1896年、第一国立銀行から第一銀行へ
第一国立銀行は、国立銀行としての営業期間を経て、1896年に株式会社第一銀行となりました。
これは単なる名称変更ではありません。
国立銀行条例に基づく銀行から、株式会社組織の商業銀行へ移行した歴史的な転換点です。
渋沢栄一記念財団の年譜によれば、渋沢はこの移行後も頭取を続けています。
1971年、第一銀行と日本勧業銀行が合併
1971年10月1日、第一銀行と日本勧業銀行が対等合併し、第一勧業銀行が発足しました。
この合併によって、第一国立銀行から続いてきた第一銀行の歴史は、別の金融機関の系譜と統合されます。
みずほフィナンシャルグループの公式沿革でも、この合併が第一勧業銀行の発足として記録されています。
2002年、3行の統合・再編でみずほ銀行が誕生
次の大きな転換点は2002年です。
第一勧業銀行、富士銀行、日本興業銀行の3行が会社分割・合併によって統合・再編され、みずほ銀行とみずほコーポレート銀行が発足しました。
このとき、第一勧業銀行の銀行業務は新しいみずほ銀行の系譜につながります。
そして2013年7月、みずほ銀行とみずほコーポレート銀行が合併し、現在のみずほ銀行となりました。
したがって、現在のみずほ銀行は第一国立銀行の歴史を受け継ぐ金融機関ですが、第一国立銀行だけを単独で引き継いだ銀行ではありません。
富士銀行と日本興業銀行という、別の歴史を持つ金融機関も統合されている点が重要です。
【日本勧業銀行・日本興業銀行との違い】第一銀行の系譜を正しく理解する
みずほ銀行の歴史を調べると、第一銀行のほかに日本勧業銀行、日本興業銀行という名前も登場します。
この3行は、いずれも現在のみずほ銀行につながる重要な金融機関ですが、設立の目的や歴史は異なります。
日本勧業銀行は農業・工業の発展を支援した銀行
日本勧業銀行は1897年に設立されました。
その主な目的は、近代日本の農業・工業の改良と発展を金融面から支えることです。
みずほフィナンシャルグループの公式資料によれば、日本勧業銀行は債券を資金源として、長期・低利の融資を行う金融機関として設立されました。
また、当初は官営銀行として国家的な公共使命を担っていました。
1950年に関連法が廃止されると普通銀行に転換し、その後は商業銀行として発展していきます。
日本興業銀行は近代産業への長期資金供給を担った
日本興業銀行は1902年に設立されました。
近代工業が発展するなかで、企業には工場建設や設備投資などのための長期資金が必要でした。
日本興業銀行は、こうした需要に応えるために設立された特殊銀行です。
一般的な預金・貸付業務だけでなく、社債の引き受け、外資導入、証券市場の育成なども担っていました。
戦後には長期信用銀行として再出発し、産業界への資金供給を続けました。
3つの銀行の違いを整理
| 銀行名 | 設立年 | 主な役割 | 現在との関係 |
|---|---|---|---|
| 第一国立銀行 | 1873年 | 商工業金融・銀行制度の普及 | 第一銀行を経て第一勧業銀行へ |
| 日本勧業銀行 | 1897年 | 農業・工業の振興 | 第一勧業銀行の系譜 |
| 日本興業銀行 | 1902年 | 長期産業資金・証券・外資導入 | みずほグループの系譜 |
この3行の違いを理解すると、みずほ銀行がどのように成立したのかが分かりやすくなります。
第一国立銀行は、日本初の銀行として商業金融の基盤を築きました。
日本勧業銀行は農業・工業の振興、日本興業銀行は近代産業への長期資金供給という、それぞれ異なる役割を持っていたのです。
【プロの結論】渋沢栄一の銀行制度が日本経済に残したもの
渋沢栄一の功績を評価するとき、第一国立銀行の設立を単なる日本初の銀行の誕生として捉えるだけでは不十分です。
本質的な意義は、民間資本を活用し、企業活動を金融面から支える仕組みを日本に根づかせたことにあります。
重要なのは銀行をつくったことより、銀行が機能する仕組みを整えたこと
渋沢栄一は、第一国立銀行の設立時に銀行営業方法や組織規則の整備に取り組みました。
さらに頭取就任後には、政府との関係が変化するなかで民間取引を重視する経営改革を進めています。
この経緯から分かるのは、銀行の価値は設立時の名称や制度だけで決まるものではないということです。
預金者から資金を集め、事業者に必要な資金を提供し、経済活動を支える。その機能を持続的に運営できる組織をつくることが重要でした。
渋沢栄一の歴史を調べるときの3つの判断基準
第一国立銀行に関する情報を読む際には、次の3点を区別すると理解を深められます。
1. 設立と開業を区別する:1873年6月の創立と、7月20日の営業開始は別の出来事です。
2. 国立と国営を区別する:国立銀行条例に基づく民間銀行であり、政府が経営する銀行ではありません。
3. 歴史的な系譜と単独の承継を区別する:第一銀行から第一勧業銀行を経てみずほ銀行につながりますが、現在のみずほ銀行には富士銀行や日本興業銀行の系譜も含まれています。
この3点を押さえるだけでも、渋沢栄一と現代の銀行の関係を誤解せずに理解できます。
【渋沢栄一と銀行】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:渋沢栄一が設立した銀行は何という名前ですか?
第一国立銀行です。1873年に設立され、同年7月20日に営業を開始しました。日本で最初に開業した銀行として、日本銀行も公式に紹介しています。
Q2:第一国立銀行は現在のみずほ銀行ですか?
歴史的な系譜はつながっています。第一国立銀行は1896年に株式会社第一銀行となり、1971年に日本勧業銀行と合併して第一勧業銀行になりました。その後、2002年の金融再編と2013年の銀行合併を経て、現在のみずほ銀行につながっています。
Q3:第一国立銀行は国営銀行だったのですか?
いいえ。国立銀行条例に基づく民間銀行でした。「国立」は制度上の名称であり、政府が所有・経営するという意味ではありません。
Q4:渋沢栄一は第一国立銀行の頭取だったのですか?
はい。1873年の創立時は総監役を務め、1875年に頭取へ就任しました。1896年に株式会社第一銀行へ移行した後も頭取を続けています。
Q5:第一銀行と第一勧業銀行は同じ銀行ですか?
厳密には同じではありません。第一銀行と日本勧業銀行が1971年に合併して、第一勧業銀行が誕生しました。第一銀行は第一国立銀行の後継となる銀行です。
Q6:日本興業銀行も渋沢栄一が設立した銀行ですか?
第一国立銀行とは別の金融機関です。日本興業銀行は1902年に設立され、近代産業への長期資金供給や証券業務などを担いました。後にみずほグループの統合に加わっています。
まとめ:渋沢栄一が設立した第一国立銀行は日本の金融史の出発点
渋沢栄一が設立した銀行は、1873年7月20日に開業した第一国立銀行です。渋沢は創立時の総監役を経て1875年に頭取となり、民間銀行としての経営基盤を整えました。

1872年の国立銀行条例は、国営銀行をつくる法律ではなく、民間銀行による銀行券発行などを制度化するものでした。その後、1876年の条例改正によって銀行設立が進み、日本の金融制度は大きく発展します。
第一国立銀行は1896年に第一銀行となり、1971年に日本勧業銀行と合併して第一勧業銀行へ。さらに2002年の金融再編、2013年の合併を経て、現在のみずほ銀行へと歴史がつながっています。
2026年に渋沢栄一と銀行の関係を振り返るうえで大切なのは、単に「日本初の銀行をつくった人物」と理解するだけではなく、民間資本による金融制度を整え、企業と産業の成長を支える仕組みを築いた人物として捉えることです。第一国立銀行の歴史には、日本の近代経済がどのように形成されたのかを読み解く重要な手がかりがあります。
主な参考資料・公的情報
- 日本銀行「日本で最初にできた銀行はどこですか?」
- 国立公文書館「国立銀行条例が制定される」
- 公益財団法人渋沢栄一記念財団「渋沢栄一年譜」「渋沢栄一詳細年譜」
- みずほフィナンシャルグループ「〈みずほ〉の成り立ちと変革への取り組み」「沿革」
- 国立国会図書館「第一勧業銀行」典拠情報
記事基準日:2026年11月5日 (出典: 渋沢 栄一 銀行(Yahoo!ニュース))