高田みづえの夫・若嶋津とは?2026年の死去、おかみ32年と妻の現在を徹底解説
高田みづえさんの夫は、大相撲で大関まで昇進した元力士の若嶋津六夫(わかしまづ・むつお)さんです。本名は日高六男(ひだか・むつお)。現役時代は「南海の黒豹」の愛称で親しまれ、1984年には幕内優勝を2度達成した名力士でした。
2人は1985年9月27日に結婚。高田さんは人気歌手としての活動に終止符を打ち、1990年に夫が創設した松ケ根部屋で、約32年間にわたって相撲部屋のおかみを務めました。しかし、2017年の転倒事故による長期療養を経て、若嶋津さんは2026年3月15日、肺炎のため69歳で亡くなりました。さらに、同年8月には高田さんがNHK「うたコン」で一夜限りの歌唱復帰を果たしています。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 夫の正体:元大関・若嶋津六夫さん。本名は日高六男さんで、2026年3月15日に肺炎のため69歳で死去。
- 夫婦の歩み:1985年に結婚。高田さんは松ケ根部屋の創設から2022年まで約32年間、おかみとして夫と弟子たちを支えた。
- 妻の現在:2026年8月25日にNHK「うたコン」で歌唱。10月24日にはラジオ番組にも生出演し、新たな一歩を踏み出している。
【結論】高田みづえの夫は元大関・若嶋津六夫!本名とプロフィール
高田みづえさんの夫だった若嶋津さんは、昭和の大相撲を代表する人気大関の一人です。端正な顔立ちと引き締まった体格、俊敏な取り口で女性ファンからも高い人気を集めました。
日本相撲協会の歴代大関プロフィールによると、若嶋津さんの本名は日高六男。1957年1月12日、鹿児島県熊毛郡中種子町、種子島に生まれました。
四股名は「日高」から「若島津」、さらに「若嶋津」へと変わっています。引退後は親方として後進の育成に取り組み、相撲界でも長く活動しました。
若嶋津六夫さんの基本プロフィール
- 四股名:若嶋津六夫
- 本名:日高六男
- 生年月日:1957年1月12日
- 出身地:鹿児島県熊毛郡中種子町
- 所属部屋:二子山部屋
- 最高位:大関
- 現役時代の愛称:南海の黒豹
- 幕内優勝:2回
- 引退:1987年7月場所
- 死去:2026年3月15日(享年69)
若嶋津さんを語るうえで欠かせないのが「南海の黒豹」という愛称です。浅黒い肌とスピード感のある相撲が特徴で、重量感だけに頼らない俊敏な取り口が人気を集めました。
現役時代の得意技は左四つ、上手投げ、吊り。体格を生かしながら相手の動きを読み、素早く勝負を決める相撲が持ち味でした。
また、1984年には春場所で14勝1敗、名古屋場所では15戦全勝という圧倒的な成績を残しています。大関としての実力だけでなく、華やかな存在感も昭和の相撲ファンの記憶に残る理由です。

【1985年の結婚】高田みづえと若嶋津の夫婦生活、子どもは何人?
高田みづえさんと若嶋津さんが結婚したのは1985年9月27日です。
当時の若嶋津さんは大関として人気絶頂。高田さんも歌手として大きな支持を集めており、人気歌手と人気力士の結婚は芸能界と相撲界の双方で大きな話題になりました。
1985年2月には婚約を発表。同年9月に挙式し、高田さんは結婚を機に芸能界を引退しました。
高田みづえはなぜ歌手を引退したのか
高田さんは1977年に「硝子坂」で歌手デビューしました。その後、「私はピアノ」「そんなヒロシに騙されて」「潮騒のメロディー」などの楽曲で人気を獲得。NHK紅白歌合戦にも7回出場した実力派歌手です。
特に「私はピアノ」は、サザンオールスターズの楽曲をカバーした作品として知られ、現在も高田さんを代表する一曲に数えられています。
人気が衰えていない時期に引退を決断した背景には、若嶋津さんとの結婚と、その後の家庭生活への選択がありました。
引退後は表舞台から距離を置き、夫の相撲人生を支える立場に移ります。歌手としての知名度を前面に出すのではなく、相撲部屋の一員として生活を築いていったことが、その後の32年間につながりました。
子どもは1男1女!長女は女優・モデルのアイリ
2人の間には、長男と長女の1男1女がいます。
- 長男:勝信さん
- 長女:アイリさん
長女のアイリさんは、モデルや女優として活動している人物です。両親が著名人であることを公表し、芸能活動を続けてきました。
2021年10月には俳優の春山翔さんとの結婚を発表。2024年4月には第1子となる女児の出産を公表しています。
さらに2026年2月には第2子の妊娠を発表し、同年8月には第2子の出産も報じられました。
2026年8月の母・高田みづえさんの「うたコン」出演後には、アイリさんも母への思いを公にしています。若嶋津さんの死去を経て、家族にとっても大きな節目となった年でした。
【経歴・年表】若嶋津の現役時代から死去までの歩み
若嶋津さんの人生は、力士としての出世、人気歌手との結婚、親方としての部屋創設、そして長期療養という大きな転換点を経ています。
日本相撲協会の公式プロフィールや2026年3月のスポーツ紙の訃報記事をもとに、主要な出来事を時系列で整理しました。
| 年月 | 出来事 | 内容・意味 |
|---|---|---|
| 1957年1月 | 誕生 | 鹿児島県種子島出身。本名は日高六男。 |
| 1975年3月 | 初土俵 | 二子山部屋に入門。 |
| 1980年3月 | 新十両 | 四股名を若島津に改名。 |
| 1981年1月 | 新入幕 | 幕内で10勝を挙げ、敢闘賞を受賞。 |
| 1983年1月 | 大関昇進 | 最高位の大関に到達。 |
| 1984年 | 幕内優勝2回 | 春場所14勝1敗、名古屋場所15戦全勝。 |
| 1985年9月27日 | 高田みづえと結婚 | 人気歌手と人気大関の結婚が話題に。 |
| 1987年7月 | 現役引退 | 通算515勝330敗21休。年寄・松ケ根を襲名。 |
| 1990年2月 | 松ケ根部屋創設 | 二子山部屋から独立して部屋を設立。 |
| 2014年12月 | 二所ノ関を襲名 | 松ケ根部屋から二所ノ関部屋へ名称変更。 |
| 2017年10月19日 | 転倒事故 | 船橋市内で倒れ、頭部の緊急手術を受ける。 |
| 2021年12月 | 部屋の継承 | 放駒親方が旧二所ノ関部屋を継承。 |
| 2022年1月 | 定年退職 | 相撲部屋のおかみとしての高田さんの役割も終了。 |
| 2023年7月 | 相撲協会を退職 | 長年の相撲協会での活動に区切り。 |
| 2026年3月15日 | 死去 | 肺炎のため69歳で死去。 |
特に注目したいのは、1984年の2度の幕内優勝です。名古屋場所では15戦全勝を記録し、大関としての実力を強く印象づけました。
その翌年に高田さんと結婚し、1987年に引退。力士としてのキャリアを終えた後も、親方として弟子を育てる道を歩みました。
日本相撲協会の記録によると、若嶋津さんの生涯戦歴は515勝330敗21休、75場所。幕内優勝2回、敢闘賞2回、技能賞3回、金星2個という実績を残しています。

【おかみ歴32年間】松ケ根部屋の創設と二所ノ関部屋の継承
高田みづえさんの人生を振り返る際、歌手引退後の約32年間に及ぶ相撲部屋のおかみとしての活動は欠かせません。
若嶋津さんが現役を引退した1987年、年寄「松ケ根」を襲名。その後、1990年2月に二子山部屋から独立し、千葉県船橋市に松ケ根部屋を創設しました。
この部屋の立ち上げから、高田さんは夫と弟子たちを支えるおかみとして本格的に活動することになります。
創設当初は少人数からのスタート
Numberの2022年の取材記事によると、松ケ根部屋の設立当初は弟子3人と元力士のマネージャーという小規模な体制でした。
高田さんは、芸能界とはまったく異なる相撲界の生活に飛び込み、食事の準備や弟子たちの生活面のサポートなどを担いました。
また、町内会やPTAの役員も経験し、地域との関係を築いていきました。かつてのアイドル歌手という肩書よりも、地域に暮らす一人の女性として、相撲部屋を支えることに力を注いだのです。
2026年8月のスポニチの取材では、高田さん自身が、おかみとして延べ100人を超える弟子たちと過ごしたことを振り返っています。
松ケ根部屋から二所ノ関部屋へ
2014年12月1日、若嶋津さんは年寄「二所ノ関」を襲名しました。これに伴い、松ケ根部屋も二所ノ関部屋へと名称を変更しています。
ここで注意したいのは、2021年の部屋継承です。
2021年12月、日本相撲協会は、部屋付き親方だった放駒親方(元関脇・玉乃島)が若嶋津さんの二所ノ関部屋を継承することを承認しました。
同時に、若嶋津さんは年寄名跡を荒磯に変更。元横綱・稀勢の里の荒磯親方が二所ノ関を襲名し、新たな二所ノ関部屋を率いる形になりました。
つまり、現在の二所ノ関部屋と、若嶋津さんが率いていた旧二所ノ関部屋は、同じ名称を引き継いでいるように見えても、継承の経緯が異なります。
若嶋津さんは2022年1月11日に65歳で定年を迎えました。このタイミングで高田さんのおかみとしての32年間にも一区切りがつきました。
その後、若嶋津さんは参与として相撲協会に残りましたが、2023年7月に正式に退職しています。
高田さんにとっての32年間は、単に夫の仕事を手伝った期間ではありません。弟子たちの成長を見守り、相撲部屋という一つの生活共同体を支え続けた時間でした。
【2017年の転倒事故】若嶋津の長期療養と2026年の死因・肺炎
若嶋津さんの人生に大きな影響を与えた出来事が、2017年10月19日に発生した転倒事故です。
当時60歳だった若嶋津さんは、千葉県船橋市内の路上で自転車に乗っていた際に転倒し、頭部に大けがを負いました。搬送先の病院で緊急手術を受け、一時は集中治療室で治療を受ける状態となりました。
事故後は長いリハビリ生活へ
事故直後には、部屋付き親方が病院前で容体を説明し、少しずつ反応が見られるようになったことを明かしていました。
その後も若嶋津さんは長期にわたって療養を続けました。2023年12月のスポニチの報道でも、事故後のリハビリ生活が続いていたことが伝えられています。
さらに2026年8月のスポニチのインタビューでは、高田さんが事故後から約8年半にわたって介護生活を送っていたことが紹介されました。
夫が親方として相撲界で活動していた時期とは異なり、事故後は家庭で療養を支える日々が続きました。高田さんにとっても、長年の生活が大きく変わる出来事だったことがうかがえます。
2026年3月15日、肺炎のため69歳で死去
2026年3月15日、若嶋津さんは千葉県内の病院で亡くなりました。享年69歳でした。
スポニチの報道によると、死亡時刻は同日午前11時34分。死因は肺炎と発表されています。
高田さんの説明では、若嶋津さんは2025年夏ごろから体調を崩し、入院生活を送っていたといいます。亡くなる際は家族に見守られていたと報じられました。
訃報に際して高田さんは、夫への感謝を次のように語っています。
「親方には、ありがとうという気持ちです」
これはスポニチが2026年3月15日に伝えた高田さんの言葉です。長年にわたって夫を支えてきた妻としての思いが込められています。
2017年の事故と2026年の死因は区別が必要
インターネット上では、2017年の転倒事故と2026年の死去が一続きの出来事として語られることがあります。
しかし、報道で発表された2026年の死因は肺炎です。2017年の事故後に長期療養が続いたことは事実ですが、事故そのものが直接の死因だったとする発表ではありません。
事故による療養期間と、最終的な死因を混同しないことが、若嶋津さんの晩年を正確に理解するうえで大切です。

【2026年最新】高田みづえの現在は?うたコン出演と歌手活動の再開
夫の死去後、高田みづえさんの近況にも注目が集まっています。
2026年11月現在、特に大きな話題となったのが、8月25日に放送されたNHK総合「うたコン」への出演です。
2026年8月25日「うたコン」で一夜限りの復活
テイチクエンタテインメントの公式アーティスト情報でも告知されていた番組のタイトルは「高田みづえ 一夜限りの復活SP」。
1985年に芸能界を引退して以来、長く歌手活動から離れていた高田さんが、NHKの音楽番組に出演しました。
披露した主な楽曲は次の2曲です。
- 「硝子坂」:1977年のデビュー曲。
- 「私はピアノ」:1980年にヒットした代表曲。
NHKに残る過去の映像も紹介され、岩崎宏美さん、榊原郁恵さんらがゲストとして出演。高田さんの歌手時代を振り返る特別な番組となりました。
また、3月に亡くなった夫・若嶋津さんへの思いや、再び歌おうと決意した背景についても語られました。
2026年8月22日のスポニチの報道では、高田さんは夫の四十九日法要後に出演の話を受けたことを明かしています。
夫を見送り、32年間のおかみとしての役割も終えた後、自分自身の人生について考え始めていた時期だったといいます。
2026年10月24日にはラジオ番組に生出演
さらに2026年10月24日、高田さんはニッポン放送の「徳光和夫 とくモリ!歌謡サタデー」にゲストとして生出演しました。
同局への生出演は41年ぶり。8月の「うたコン」での歌唱がきっかけとなり、パーソナリティーの徳光和夫さんから出演のオファーを受けたことが報じられています。
高田さんは、夫を亡くした後の心境について、次のように語っています。
「一歩踏み出さなきゃ」
また、歌手活動への本格復帰については慎重な姿勢を示し、再び歌うことには「怖い」という気持ちもあると説明しました。
紅白歌合戦への出場や本格的なコンサート活動についても、具体的な復帰を表明したわけではありません。
2026年11月現在の高田さんについては、次のように整理できます。
- 1985年に引退した歌手として、2026年8月にテレビで歌唱。
- 同年10月に41年ぶりにニッポン放送へ生出演。
- 夫を亡くした後、新しい生活に向けて一歩を踏み出している。
- 歌手としての本格的な活動再開は、まだ明言していない。
長年にわたり家庭と相撲部屋を支えてきた高田さんが、再び歌声を届けたことは、単なる懐かしの歌番組への出演とは異なる意味を持っています。
夫との別れを経験した後、自分自身の人生を改めて考えるきっかけとなった出演だったことが、10月のインタビューからも伝わります。
【高田みづえの夫に関するよくある質問(FAQ)】
Q1:高田みづえの夫は誰ですか?本名は何ですか?
A1:元大関の若嶋津六夫さんです。本名は日高六男(ひだか・むつお)さん。現役時代は「南海の黒豹」と呼ばれ、幕内優勝を2回達成しました。
Q2:若嶋津はいつ亡くなりましたか?死因は何ですか?
A2:2026年3月15日に亡くなりました。享年69歳で、死因は肺炎です。2017年の転倒事故後は長期療養を続けていました。
Q3:高田みづえは現在も歌手活動をしていますか?
A3:2026年8月25日にNHK「うたコン」に出演し、「硝子坂」「私はピアノ」を披露しました。10月24日にはラジオ番組にも生出演しています。ただし、本格的な歌手活動への復帰は明言していません。
まとめ:高田みづえと若嶋津が歩んだ約40年半の夫婦の歴史
高田みづえさんの夫だった若嶋津六夫さんは、昭和の大相撲を代表する元大関であり、「南海の黒豹」の愛称で多くのファンに親しまれた人物でした。
1985年9月27日に結婚した2人は、歌手と力士という異なる世界から夫婦となり、1990年の松ケ根部屋創設を経て、相撲界で長い年月を過ごしました。
高田さんは約32年間おかみとして弟子たちを支え、夫の2017年の転倒事故後は長期にわたる療養生活にも寄り添いました。そして2026年3月15日、若嶋津さんは肺炎のため69歳で亡くなりました。
一方、2026年8月の「うたコン」出演、10月のラジオ生出演は、高田さんが新たな人生を歩み始めたことを感じさせる出来事です。
若嶋津さんの功績は、大関としての優勝実績だけではありません。親方として7人の関取を育て、相撲部屋を通じて多くの力士の人生に関わりました。そして、その歩みを長年にわたって支えたのが高田みづえさんでした。
夫婦が築いた家庭と相撲部屋の歴史、そして高田さんが再び歌声を届け始めた2026年は、2人の歩みを振り返るうえで大きな節目となっています。
主な根拠資料:日本相撲協会公式プロフィール・協会発表、スポニチ、日刊スポーツ、Number、テイチクエンタテインメント公式情報、2026年のテレビ・ラジオ出演報道。
(出典: 高田 み づえ 夫(Yahoo!ニュース))