【米独立リーグへの挑戦】三澤興一がアメリカで過ごした2年間
中日ドラゴンズを退団した三澤は、2007年秋、新たな挑戦を決断する。
それは、長年の夢だったメジャーリーグを目指してアメリカへ渡ることだった。
ホワイトソックスのマイナーキャンプから独立リーグへ
2026年1月のNumber Webのインタビューで、三澤は高校時代に日本代表としてアメリカを訪れた経験が、海外挑戦への思いにつながったと振り返っている。
渡米後、最初に参加したのはシカゴ・ホワイトソックスのマイナーキャンプだった。しかし、キャンプ後半に契約を得られず、その後は代理人を付けずに各地のトライアウトを受けて回った。
そして2008年6月、ノーザン・リーグのゲーリー・サウスショア・レイルキャッツと契約する。
ここで三澤は、非常に優秀な成績を残した。
2008年・ゲーリーでの成績
防御率
NPBでの経験を生かし、アメリカの独立リーグでも結果を残したことは、三澤の実力を考えるうえで見逃せない。
ロングビーチでは伊良部秀輝ともチームメートに
2009年からはゴールデン・ベースボール・リーグのロングビーチ・アーマダに所属した。
このチームで出会ったのが、元ロッテ、ヤンキースなどで活躍した伊良部秀輝だった。
伊良部は2009年に独立リーグで現役復帰し、三澤と同じチームでプレーした。
Number Webのインタビューでは、三澤が伊良部との交流を振り返っている。野球の技術を追求する姿勢や、投球について研究し続ける姿が強く印象に残っていたという。
異国の地で日本人投手同士が同じチームで過ごした経験は、三澤にとっても忘れがたいものになった。
三澤興一の引退理由はメジャー挑戦の失敗だけではない
2010年春、三澤は現役引退を発表した。
中日からの戦力外通告後も、アメリカで約2年間にわたってプレーを続けた。メジャーリーグとの契約には至らなかったものの、本人はその経験を貴重な時間だったと振り返っている。
特に印象的なのは、Number Webで語った次の内容だ。
目的に向かって何ができるのか、道を探すなかで自分と向き合う時間がたくさんありました。
出典:Number Web「米独立リーグの日常と伊良部秀輝の素顔」(2026年1月28日掲載)の本人インタビューを要約。
三澤の引退は、単にNPBで結果が出なくなったからという話ではない。
中日退団後も野球を続け、長年の夢だったアメリカでのプレーに挑戦し、その経験を経て現役生活に区切りを付けたという経緯がある。
【三澤興一の指導者評判】巨人で9年間、投手育成に携わった実績
現役引退後、三澤は巨人に戻り、スコアラーを経験した後、2017年に二軍投手コーチへ就任した。
以降は一軍、二軍、三軍の投手コーチを歴任。2025年シーズンまで、巨人の若手投手育成を中心に指導者として活動した。
一軍・二軍・三軍を経験した指導歴
三澤の指導者としての特徴は、育成段階の異なるチームで投手を指導してきた点にある。
- 2017年:二軍投手コーチに就任
- 2019年:一軍投手コーチへ配置転換
- 2021年:二軍投手コーチへ配置転換
- 2022年:二軍投手チーフコーチ
- 2024年:三軍投手チーフコーチ
- 2025年:三軍投手チーフコーチ
2017年の就任は、巨人のスコアラーから現場の指導者への転身だった。
また、2019年には一軍投手コーチを務め、2021年以降は再びファームの投手育成に携わった。
こうした経歴は、選手の成長段階や一軍で求められる能力を幅広く理解する機会にもなったと考えられる。
トレード経験を若手選手への指導に生かす
三澤の指導者としての考え方を知るうえで興味深いのが、自身の移籍経験を若手に伝えてきたことだ。
2026年1月のNumber Webのインタビューでは、移籍やトレードを経験した選手に対して、自分の経験を話していると明かしている。
その考え方は明快だ。
新しい球団に移籍することは、必ずしも前の球団から必要とされなくなったという意味ではない。新しい環境で必要とされているからこそ、移籍の機会が生まれるという考え方である。
実際、三澤はソフトバンクへ移籍した大江竜聖ら、新天地へ向かう選手にも自身の経験を伝えていたという。
これは、巨人から近鉄へ突然移籍し、その後再び巨人へ戻った本人だからこそ伝えられる内容だ。
指導者としての評価をどう見るべきか
三澤の指導者としての評価は、単純な勝敗や防御率だけでは判断できない。
見るべきポイントは次の3つだ。
1. 指導経験の幅: 一軍から三軍まで、異なる育成段階の投手を担当した。
2. 実戦経験の豊富さ: 巨人、近鉄、ヤクルト、中日、米独立リーグを経験している。
3. 選手への伝達力: 自分のトレードや戦力外通告の経験を、新天地へ移る若手選手への助言に生かしている。
特に3点目は、三澤ならではの指導者としての持ち味だ。
単に投球技術を教えるだけでなく、プロ野球選手が直面する環境の変化やキャリアの転換にも、自身の経験を通じて向き合ってきた。
2025年11月のフロント転身は、こうした現場経験を球団運営の別の領域で生かす新しい段階と捉えられる。
【三澤興一に関するよくある質問(FAQ)】
Q1:三澤興一は2026年現在、巨人の何を担当している?
A1:2025年11月1日付で巨人の三軍投手チーフコーチから国際部長に就任した。2026年度のNPB公式コーチ一覧には名前がなく、現場の投手コーチではなく球団フロントの国際部門を担当している。
Q2:三澤興一はなぜ巨人から近鉄へ移籍した?
A2:2001年6月21日に発表された2対2の交換トレードによるもの。巨人の投手陣に故障者が相次いだ時期の補強策で、三澤と玉峰伸典が近鉄へ移籍した。
Q3:三澤興一の現役時代の通算成績と防御率は?
A3:NPB通算296試合、28勝18敗、6セーブ、通算防御率3.98、306奪三振。2000年の巨人時代には防御率2.33を記録している。
Q4:三澤興一はなぜ現役を引退した?
A4:2007年に中日から戦力外通告を受けた後、メジャーリーグを目指して渡米。米独立リーグでプレーを続け、2010年春に現役引退を発表した。本人はアメリカでの経験を貴重な時間だったと振り返っている。
Q5:三澤興一は帝京高校で甲子園優勝を経験している?
A5:経験している。1992年春の第64回選抜高校野球大会で帝京高校が優勝し、三澤もそのチームの投手として全国制覇を経験した。
まとめ:三澤興一の野球人生は現役引退後も続いている
三澤興一の経歴を振り返ると、単なる元巨人投手という肩書きでは説明できない、多彩な野球人生が見えてくる。
帝京高校での甲子園優勝、早稲田大学での通算31勝、アトランタ五輪の銀メダル。そして1997年の巨人入団から近鉄、巨人、ヤクルト、中日への移籍と、米独立リーグへの挑戦まで、節目ごとに新しい環境へ飛び込んできた。
2010年の引退後も巨人のスコアラーや投手コーチとして球界に携わり、2025年11月には国際部長へ転身した。
2026年11月現在の三澤興一は、巨人の国際部長として球団のフロント部門に身を置く人物である。
特に注目したいのは、現役時代に経験したトレードや海外挑戦が、後年の指導者としての考え方にもつながっている点だ。
環境が変わることを失敗と捉えず、新しいチャンスとして受け止める。その経験を若い選手に伝えてきた三澤の歩みは、プロ野球における選手のセカンドキャリアや指導者の役割を考えるうえでも興味深い。
今後は国際部長として、巨人のチーム強化や国際部門でどのような役割を果たしていくのか。その動向にも注目したい。 (出典: 三澤 興 一(Yahoo!ニュース))