平野レミと和田誠はどんな夫婦?1972年の結婚から47年の絆、2026年の現在まで徹底解説
料理愛好家・平野レミと、イラストレーター、グラフィックデザイナーとして活躍した和田誠。2人は1972年に結婚し、2019年に和田誠が亡くなるまで、47年間にわたって夫婦として歩んできた。出会ってわずか1週間ほどで結婚を決めたというエピソードは、今も多くの人に知られている。
2人を結びつけたのは、久米宏を介した縁だった。和田誠が手掛けた「週刊文春」の表紙や、たばこ「ハイライト」のパッケージデザイン、家庭での夫婦の姿、長男・和田唱と次男・和田率を中心とした家族関係にも注目が集まる。2026年には平野レミの自伝出版やNHK「最後の講義」への出演もあり、夫との思い出を語る機会が続いている。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 1972年に結婚:久米宏らを介した縁で出会い、わずか1週間から10日ほどで結婚を決意した。
- 47年間の夫婦生活:互いの仕事や個性を尊重し、和田誠は料理や家事を通じて平野レミを支えた。
- 2019年に死別:和田誠は肺炎のため83歳で死去。平野レミは2026年も料理愛好家として活動を続けている。
【1972年に結婚】平野レミと和田誠はどんな夫婦だったのか
平野レミと和田誠が結婚したのは1972年(昭和47年)。2人の結婚生活は、2019年10月に和田が亡くなるまで約47年間続いた。
当時の平野はシャンソン歌手としてテレビやラジオで活動していた。一方の和田は、広告デザインやイラストレーションの世界で実績を重ね、1968年に独立したクリエーターだった。
料理とデザインという異なる分野で活動していた2人だが、夫婦生活では互いの個性を大切にしていた。平野は和田の仕事に過度に干渉せず、和田も平野が料理や歌に打ち込むことを応援した。
2021年の女性セブンプラスのインタビューで、平野は和田との47年間を振り返り、仕事が大好きだった夫の世界を尊重していたと語っている。夫婦だからといって常に同じ時間を過ごすのではなく、それぞれの世界を持つことが自然な関係だった。
また、平野は和田について、優しく、自分の自由を認めてくれる存在だったと回想している。夫婦の関係を理解するうえで重要なのは、単に仲が良かったということだけではない。互いの仕事や価値観を尊重しながら、日々の暮らしを共有していた点にある。
2019年に和田が亡くなった後も、平野は夫への感謝を繰り返し語ってきた。47年間という時間は、2人が築いた家庭と、それぞれの人生を支え合った歴史そのものだった。

【出会いと馴れ初め】久米宏がつないだ2人の縁とは?
和田誠が平野レミに興味を持ったきっかけ
2人の出会いには、テレビ番組とラジオが関係している。
2026年5月5日公開の文春オンラインの記事では、平野が自伝『平野レミ大百花』で明かした馴れ初めが紹介された。
和田が最初に平野を見たのは、出会いの約1年前に放送された生放送の歌番組だった。平野は歌っている途中で声が出なくなり、バンドの演奏を止めて、もう一度最初からやり直すよう求めたという。
その自由奔放な姿が和田の印象に残った。さらに、和田は平野が出演するラジオ番組も聴くようになり、実際に会ってみたいと考えるようになった。
そこで紹介を頼んだ相手が、ラジオ番組で平野と共演していた久米宏だった。
久米宏は交際を勧めなかった?意外な紹介の舞台裏
興味深いのは、久米が2人の出会いを積極的に後押ししたわけではないことだ。
文春オンラインの2026年の記事によると、久米は和田から平野を紹介してほしいと頼まれた際、むしろ慎重な反応を示した。久米は自著の中で、和田に「あの人だけはやめたほうがいいです。人生を棒に振りますよ」と伝えたことを明かしている。
しかし、和田は諦めなかった。久米に断られた後、TBSのディレクターに頼み込み、1972年の秋、女性アナウンサーも交えた4人で食事する機会が設けられた。
つまり、久米宏は2人をつなぐきっかけとなった人物だが、実際に初対面の場を設定したのはTBSのディレクターだった。この違いは、馴れ初めを理解するうえで押さえておきたいポイントだ。
初対面で意気投合した理由は知識と料理への関心
初めて会った場所は、TBSのビルにあった日本料理店だった。
平野の回想によると、和田は落ち着いた雰囲気で、話が面白く、知識も豊富な人物だった。食事中には魚の目の位置を見ながら、ヒラメとカレイの見分け方を説明してくれたという。
一方、和田も平野に興味を持った。平野がしゃぶしゃぶのたれについて店員に質問する様子を見て、料理が好きな人だと感じたそうだ。
食事の後、和田は平野を自宅兼仕事場に誘った。久米からは家に誘われても断るよう忠告されていたが、平野はもっと話を聞きたいという気持ちから、初対面にもかかわらず誘いに応じた。
和田の自宅には本が大量に並び、2人は怪談や幽霊の話などをして過ごした。平野は翌日も、その次の日も和田の家を訪ねるようになった。
出会って1週間から10日で結婚を決意
その後、和田は以前から計画していたフランク・シナトラのコンサートを観るため、アメリカへ出発した。離れている間、平野は和田に会えない寂しさを感じたという。
帰国した和田が平野に伝えたのが、結婚の申し出だった。
「結婚しようか」
「しましょう、しましょう」
このやり取りは、2026年に公開された平野本人の回想でも紹介されている。
結婚を決めるまでの日数については、本人の回想や過去のインタビューで「一週間」「10日」と表現に幅がある。いずれにしても、出会ってからごく短期間で結婚を決意したことは共通している。
出会いの時点で互いの人柄や価値観に強く惹かれ、短い期間でも一緒に暮らす将来をイメージできたことが、スピード婚につながったと考えられる。
出典:文春オンライン2026年5月5日、2026年4月のプレジデントオンライン掲載記事、平野レミ本人のインタビュー。
【結婚生活47年】夫婦エピソードから分かる和田誠の素顔
料理を一度も否定しなかった夫
2人の結婚生活を語るうえで欠かせないのが、料理を通じた関係だ。
2026年4月3日公開の文春オンラインの記事では、平野が和田との食卓の思い出を振り返っている。
結婚後、初めて料理を作ったとき、和田は平野に「これからレミの料理を何回食べられるかな」と話したという。
その言葉を聞いた平野は、夫が食事を大切にしていることを感じ、毎日の料理を一食ずつ真剣に作ろうと考えた。
和田は平野の料理を食べると、いつもおいしいと伝えてくれた。変わった料理を出しても、最初に味見をしてくれたという。
味付けが十分でないときも、否定するのではなく、コクや塩気について具体的な感想を伝えていた。平野は、和田が上手に褒めてくれるから新しい料理を考えることが楽しくなったと回想している。
この関係は、料理愛好家としての平野レミの活動にも影響を与えた。単に料理を食べる人ではなく、創作意欲を引き出すパートナーだったのだ。
家事や育児にも自然に参加していた
和田は仕事一筋のクリエーターという印象を持たれがちだが、家庭では家事や育児にも関わっていた。
2020年のほぼ日刊イトイ新聞の対談で、平野は和田が食器洗い、ゴミ出し、落ち葉の掃除などをしてくれたと語っている。子どもの幼稚園への送り迎えをすることもあったという。
平野がお礼を伝えると、和田は家庭は一つのものなのだから、誰が家事をしてもよいという考えを示した。
一方、家事をすべて和田が担っていたわけではない。平野自身も家庭を守ることを大切にし、料理や日常の家事を中心的に担っていたと振り返っている。
互いにできることを自然に引き受ける。和田の家事への向き合い方には、家庭を夫婦共同の場所として捉える姿勢が表れていた。
仕事と家庭をきちんと分けていた
2人の夫婦関係には、仕事と家庭を明確に分けるという特徴もあった。
和田は自分の仕事について家庭で多くを語らなかった。平野も夫の仕事場に踏み込みすぎず、和田が持っている独自の世界を尊重していた。
ほぼ日刊イトイ新聞の対談では、平野が新婚時代に書いた日記のエピソードも紹介されている。和田には仕事の世界があり、そこに自分が入れないのなら、自分も自分の世界を持たなければならないと考えたという。
この考え方は、47年間の結婚生活を支えた大きな要素だったといえる。
さらに和田は、平野の料理活動を応援するだけでなく、料理のタイトルを考えたり、エッセイの文章を整えたりすることもあった。夫婦それぞれの専門性を生かしながら、必要な場面では協力していた。
出典:文春オンライン2026年4月3日、ほぼ日刊イトイ新聞2020年9月の対談、女性セブンプラス2021年10月の記事。

【和田誠の代表作】週刊文春の表紙とハイライトのデザイン
「週刊文春」の表紙を40年間担当
和田誠は、イラストレーターという肩書だけでは収まらない多彩なクリエーターだった。
1936年に大阪で生まれ、多摩美術大学を卒業後、広告制作会社ライトパブリシティに入社。1968年に独立し、グラフィックデザイン、イラストレーション、映画監督、エッセイなど幅広い分野で活躍した。
代表的な仕事として知られるのが、1977年から2017年まで担当した『週刊文春』の表紙イラストレーションだ。40年間で約2000号分の表紙を手掛けた。
和田は表紙絵だけでなく、同時に雑誌のロゴもデザインした。2020年に公開された文春オンラインの対談では、元編集長とのやり取りを通じて、和田が目指したのは「オーソドックスだけど新しい」デザインだったことが紹介されている。
2017年以降は過去の作品の傑作選が掲載され、2025年には新しい表紙へと切り替わった。したがって、和田が新作を描き続けた期間は40年、作品が表紙を飾り続けた期間は約48年という区別が必要だ。
たばこ「ハイライト」のパッケージデザイン
もう一つの代表作が、たばこ「ハイライト」のパッケージデザインだ。
和田はライトパブリシティ時代に、このパッケージデザインを手掛けた。青を基調とした印象的なデザインは、広告・グラフィックデザインの分野で彼の名前を広く知らしめた仕事の一つとなった。
興味深いのは、平野自身が夫の仕事の全容を家庭で詳しく聞いていたわけではなかったことだ。2021年のインタビューでは、和田が仕事の話を家に持ち込まなかったため、夫がどのような仕事をしているのか、よく知らなかったと振り返っている。
映画監督や装丁家としても活躍
和田の代表作は雑誌や広告だけではない。
映画監督として『麻雀放浪記』『快盗ルビイ』などを手掛け、書籍の装丁、絵本、ポスター、エッセイなどにも幅広く取り組んだ。
つまり、和田誠の仕事は、イラストレーションだけでなく、出版、映画、広告など複数の文化領域にまたがっていた。
2025年には平野レミ、長男の和田唱、次男の和田率が『週刊文春』の表紙作品を振り返る企画に参加。和田家の家族が、作品の創作秘話や父の仕事について語った。
この企画は、和田の作品が家族にとっても大切な記憶であり、次の世代へ受け継がれる文化的な財産になっていることを示している。
出典:大宅壮一文庫、文春オンライン、文藝春秋の2025年8月の特集・発表資料。
【家族構成】長男・和田唱、次男・和田率と上野樹里、和田明日香の関係
平野レミと和田誠の間には、2人の息子がいる。長男はミュージシャンの和田唱、次男は実業家の和田率だ。
息子たちもそれぞれの分野で活躍しており、結婚によって女優の上野樹里と料理家の和田明日香が家族に加わった。
和田家の家族関係一覧
| 人物 | 平野レミとの関係 | 主な経歴・活動 |
|---|---|---|
| 和田誠 | 夫 | イラストレーター、グラフィックデザイナー、映画監督。2019年死去。 |
| 和田唱 | 長男 | ロックバンドTRICERATOPSのボーカル・ギター。2016年に上野樹里と結婚。 |
| 和田率 | 次男 | 1979年生まれの実業家。キッチン用品ブランド「remy」を創業。 |
| 上野樹里 | 長男の妻 | 女優。和田唱と2016年5月26日に結婚。 |
| 和田明日香 | 次男の妻 | 料理家、食育インストラクター。3児の母としても知られる。 |
家族関係は、長男・唱の妻が上野樹里、次男・率の妻が和田明日香という構成だ。上野樹里と和田明日香は、平野レミにとってそれぞれ長男と次男の妻にあたる。
上野樹里と平野レミの関係
和田唱と上野樹里が結婚したのは2016年5月26日。所属事務所を通じて結婚が発表され、2人は互いに支え合っていくというコメントを出した。
平野は2023年のテレビ出演で、唱から結婚相手が女優だと聞かされた際、最初は誰なのか分からなかったと明かしている。相手が上野樹里だと知って驚いたというエピソードも話題になった。
さらに、上野と平野の関係を示す印象的な出来事が、和田誠の死後にあった。
2021年のウートピのインタビューによると、夫を亡くした平野は、心の支えを失った悲しみを長男の唱と上野に話した。そのとき上野は、唱に平野の手を握るよう促した。
平野は、息子の手を握ったことで、亡くなった夫とのつながりを感じられたと回想している。夫が亡くなった後も、息子の中に父親の存在が受け継がれていると実感できた出来事だった。
和田明日香と平野レミの関係
次男・和田率の妻である和田明日香は、料理家、食育インストラクターとして活動している。
もともと料理が得意だったわけではなく、率と結婚した後に料理の修業を重ね、食育インストラクターの資格を取得した。家庭に寄り添うレシピや食育に関する活動で知られる。
平野レミとの関係は、いわゆる嫁姑という枠だけでは語れない。2023年のTBS番組では、明日香が平野を中心とした家族について、みんな近所に住んでいると話していた。平野も、呼べば返事ができる距離に家族がいることを冗談交じりに語っている。
さらに2026年9月21日のNHK『平野レミの早わざレシピ!2026秋』では、平野が右腕の骨折を明かして出演した際、明日香が調理を手伝った。平野は明日香について、料理が上手で、家に料理を持ってきてくれる優しい家族だと紹介している。
この出来事からも、平野と明日香が料理を通じて協力し合う関係を築いていることがうかがえる。
出典:スポニチアネックス2023年7月・12月、ウートピ2021年3月、和田明日香公式プロフィール、2026年9月の番組報道。

【2019年の死別】和田誠の死因は肺炎、平野レミが語った夫への思い
和田誠は2019年10月7日に肺炎で死去
和田誠は2019年10月7日、肺炎のため東京都内の病院で亡くなった。享年83歳だった。
訃報は10月11日に報じられた。テレビ朝日の報道によると、和田は亡くなる約1年前から体調を崩して自宅療養を続け、2019年7月から都内の病院に入院していた。
最期は家族に見守られながら亡くなったという。通夜と告別式は近親者のみで執り行われた。
死因は肺炎であり、別の病名が公式に発表されたという事実はない。長年にわたり第一線で活動したクリエーターの訃報は、出版・デザイン・映画など多くの分野に衝撃を与えた。
平野レミが語った47年間への感謝
夫の死後、平野はテレビや雑誌のインタビューで、和田との思い出を少しずつ語るようになった。
2020年のほぼ日刊イトイ新聞の対談では、和田の写真に向かって毎日感謝を伝え、お茶を2人分用意していると話した。
「私と結婚してくれて、ほんとにありがとう」
夫婦で使っていた茶碗を使い、和田の写真にもお茶を差し出す。亡くなった後も、日々の生活の中で夫との時間を大切にしていた。
女性セブンプラスの2021年のインタビューでは、47年間の結婚生活について、楽しい時間だったと振り返っている。
また、平野は和田を亡くした直後について、心の支えを失ったような気持ちになり、夫がいなくなった現実を受け入れることが難しかったと語っていた。
上野樹里と長男・唱が支えになった
平野が夫の死を受け止めていく過程では、長男の唱と上野樹里の存在も大きかった。
前述のウートピのインタビューでは、上野が唱に平野の手を握るよう促した出来事が紹介されている。
平野は、その手を握ったときに、息子の中に和田の存在を感じたという。亡くなった夫との思い出を、悲しみだけではなく、家族のつながりとして捉え直すきっかけになった。
また、2020年のほぼ日刊イトイ新聞の対談では、平野が来世でも和田と結婚したいと語っている。
「私は来世も、また和田さんと結婚するの。」
47年間を共に過ごした夫への愛情は、死別後も変わらなかった。
出典:テレビ朝日2019年10月11日、ほぼ日刊イトイ新聞2020年9月、女性セブンプラス2021年10月、ウートピ2021年3月。
【2026年最新】平野レミの現在と「最後の講義」で語ったこと
2026年も料理愛好家として活動を継続
2026年11月現在、平野レミは79歳。料理愛好家、シャンソン歌手として活動を続けている。
2026年4月5日公開のプレジデントオンラインの記事では、和田を亡くして6年半が経過した平野の現在の食生活が紹介された。
夫や息子たちと一緒に食事をしていた時代から、現在は一人で食べる機会が増えた。平野は、料理を器に盛ってテーブルに運ぶことが面倒なときには、キッチンで立ったまま食べることもあると明かしている。
一人暮らしになってからは、食器洗いも自分で行う必要がある。以前は和田が食器洗いを手伝ってくれたが、今は自分のペースで家事を進めているという。
こうした変化は、単に夫を亡くした後の生活というだけではない。家族のために料理を作ってきた平野が、自分自身の食事や暮らしを楽しむ方向へ生活を変えてきたことも表している。
2026年3月25日放送「最後の講義」に出演
2026年の平野レミを語るうえで注目されるのが、NHK Eテレの番組『最後の講義』への出演だ。
放送日は2026年3月25日午後10時から。再放送は3月31日、さらに制作会社の番組情報では6月13日の再放送も案内された。語りは小木博明が担当した。
この番組は、各分野の第一人者が「もし今日が最後だったら何を伝えたいか」をテーマに、若い聴衆へメッセージを伝えるドキュメンタリーだ。
平野の回では、料理の創作の秘密や独自の生き方だけでなく、夫・和田誠を亡くした後の寂しさ、そこからどうやって楽しく生きられるようになったのかというテーマも取り上げられた。
番組の紹介文では、「愛すること」と「愛をもらうこと」が重要なテーマとして示されている。
ここで注意したいのは、「最後の講義」という番組名が平野の芸能活動や料理活動からの引退を意味するわけではないことだ。人生を振り返り、次の世代に伝えたいことを語る番組企画である。
2026年9月の生放送では右腕の骨折を公表
2026年9月21日には、NHK総合の『平野レミの早わざレシピ!2026秋』に生出演した。
この日の放送で平野は、右腕を骨折したことを明かし、ギプス姿で登場した。報道によると、右腕は粉砕骨折だったという。
通常の調理が難しい状況でも、左手を使いながら料理を進め、ゲストの浜辺美波や共演者の協力を得て番組に出演した。
次男の妻である和田明日香も調理をサポート。平野は明日香を家族として紹介し、料理の腕前や優しさを称賛した。
この放送は、平野が2026年も料理番組の第一線で活動していることを示す出来事となった。なお、9月の出演時点で骨折を公表したことと、11月現在の回復状況は別の情報であり、その後の経過については最新の本人発表を確認する必要がある。
2026年1月には自伝『平野レミ大百花』も発売
2026年1月14日には、中央公論新社から平野レミの自伝『平野レミ大百花』が発売された。
同書では、平野の人生や料理に対する考え方、和田誠との出会いなどが取り上げられている。文春オンラインでは同書から馴れ初めのエピソードが紹介され、2026年の新しい発言として注目を集めた。
和田との出会いから47年間の結婚生活、死別後の暮らしまで、平野自身の言葉で語られる内容は、2人の関係を知るための重要な手掛かりとなっている。
出典:NHKオンデマンド、テレビマンユニオン2026年3月の番組情報、プレジデントオンライン2026年4月5日、文春オンライン2026年5月5日、日刊スポーツ2026年9月21日。
【よくある質問】平野レミと和田誠に関するFAQ
Q1:平野レミと和田誠は何年に結婚した?
A1:1972年に結婚した。出会いから結婚を決めるまで約1週間から10日ほどだったと本人が回想している。2019年10月に和田が亡くなるまで、約47年間の夫婦生活を送った。
Q2:和田誠の死因は何?
A2:2019年10月7日、肺炎のため83歳で亡くなった。亡くなる約1年前から体調を崩しており、同年7月から東京都内の病院に入院していたことが報じられている。
Q3:平野レミと上野樹里、和田明日香の関係は?
A3:上野樹里は長男・和田唱の妻、和田明日香は次男・和田率の妻だ。2人とも平野レミの義理の娘にあたる。上野は夫の死後に悲しむ平野を支え、明日香も料理や日常生活で平野を支える姿が2026年の番組でも紹介された。
まとめ:平野レミと和田誠の47年間が残したもの
平野レミと和田誠は1972年に結婚し、2019年に和田が肺炎で亡くなるまで47年間を共に過ごした。2人の出会いは久米宏を介した縁から始まり、初対面からわずか1週間から10日ほどで結婚を決意するという印象的なものだった。
結婚生活では、互いの仕事や個性を尊重し、和田は平野の料理や創作活動を応援した。平野も夫の仕事の世界を大切にし、家庭では食事や日常生活を通じて夫婦の時間を積み重ねてきた。
和田の死後、平野は深い悲しみを経験したが、長男・唱や上野樹里、次男・率、和田明日香ら家族とのつながりに支えられてきた。
2026年には自伝『平野レミ大百花』の発売やNHK『最後の講義』への出演があり、和田との出会いや人生観を改めて語る機会が生まれている。
2人の夫婦関係から読み取れるのは、長く一緒にいるために必要なのは、同じ価値観を持つことだけではないということだ。相手の仕事を尊重し、自分自身の世界も持ち、毎日の食事や家事といった小さな出来事を大切にする。平野レミと和田誠が築いた47年間は、夫婦のあり方や家族のつながりを考えるうえで、今も多くの示唆を残している。 (出典: 平野 レミ 和田 誠(Yahoo!ニュース))